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第976話【横浜の道】横濱国道物語

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横浜市内の国道を紹介しましょう。
国道とは「日本において国が建設・管理する道路の総称である。(wikipwdia)」
そもそも「国道」という言葉が初めて使われたのは、1876年(明治9年)に発せられた「太政官布告」によって、全国の道路を国道、県道、里道に定めたことに始まります。当時国道は、全て一等、二等、三等の三等級に分けられました。
起点は江戸時代以前からの五街道を受け継ぎ「日本橋」としました。
この時、一等国道とされたのが、東京と各開港場を結ぶ幹線道路で、最も近くにあった一等国道が横浜港につながる「一号線」でした。
道路の幅員にも規定があり一等国道は七間で約12.7m、二等は六間、三等は五間と設定されました。
その後、大きく道路の法律が変わったのが1918年(大正7年)に成立した新道路法です。この時から「国道に関する建設費および改修費は国が全額負担」となりましたが、軍事道路の用途が強く、軍の影響を強く受けました。
戦後になり新しく道路体系が決まり
「1高速自動車国道(高速道路) 2一般国道 3都道府県道 4市町村道」とに分かれます。
その昔、国道に一級、二級という区別があったことを記憶されている方も多いと思います。
1965年(昭和40年)に一級と二級の区別をなくし、一般国道として統合されましたが、一級・二級の呼び名はその後も一般生活では残りました。
昔の一級国道は(1号〜40号)
二級国道は(101号〜244号)と分けられていました。
ところが国道のわかりにくさは重複区間があったり、バイパスができたりと利用上は混乱するときがあります。
現在全国では459路線の国道が整備されています。
台帳上の一番長い国道が東京〜青森間をつなぐ国道4号で743.6km。
<台帳上>とは?実は最も長いのが国道58号で、
途中「海上国道」というフェリー航路が国道の一部として設定されているからです。国道58号は857.6kmあり、4号線より100m以上長くなっています。
では一番短い国道は?というと
国道174号線で神戸市中央区神戸港〜神戸市中央区を結ぶ187mという短さです。
これは最初に紹介した日本橋と開港した港を結ぶ一等国道のなごりです。
ということは当然、横浜にも港につながる一等国道があった!訳で、
それが国道133号線として現存しています。
この他港につながる国道を紹介しましょう。
東京港には国道130号
川崎港には国道132号
清水港には国道149号
名古屋港には国道154号
四日市港には国道164号
大阪港には国道172号
舞鶴港には国道177号
門司港には国道198号
明治以来の港があるのに国道に繋がっていないところもあります。
【横浜の国道】
現在横浜市内の国道は現在7ルート
東名高速道路 (高速自動車国道)
国道1号 (第二京浜)鶴見区尻手〜戸塚区東俣野
国道15号 (第一京浜)鶴見区市場〜神奈川区栄町
国道16号 西区桜木町〜西区桜木町
国道133号 中区海岸通〜中区桜木町
国道246号 青葉区新石川〜緑区長津田
国道357号 (東京湾岸道路)鶴見区扇島〜金沢区福浦
国道466号 (第三京浜)都筑区東山田〜神奈川区三ツ沢西町
国道468号 (首都圏中央連絡自動車道)※工事中
この7ルートの国道の中で、横浜らしい国道といえば、
 国道133号 中区海岸通〜中区桜木町
 前段で紹介しました<皇居と港をつなぐ道>として整備された「一等国道」筆頭が一号線に、日本橋から最初の国際港横浜に繋がった道の港接続部分が、国道整備上残されたという感じ。
【横浜の国道】133開港の道物語
つぎに
国道1号線と国道15号線の関係も不思議です。共に東海道の動脈道路として整備されたものですが、
国道1号線が<第二京浜国道>と呼ばれ
国道15号線が<第一京浜国道>と呼ばれています。
さらには
国道466号が<第三京浜国道>です。

□◇第一京浜国道15号
この京浜国道、
最も海岸線を走っている<第一京浜国道>国道15号線は俗称「いちこく」と呼ばれていて、
東京から横浜駅までは ほぼ箱根駅伝のコースです。
日本橋を起点に、横浜市内の神奈川区栄町で国道1号(青木通交差点)と結合します。総延長は29.6キロメートル (km)
で、本来は明治時代の「1號國道」にあたります。
本来の「東海道」がこの国道15号線です。
ところが、この規格では交通量の増大に全く対応できなかったことと、
明治大正期に(現在もよくある?)起こった省庁間の摩擦で、第一京浜国道は道路として機能不全に陥ります。例えば<電柱問題>が生じ、道路機能をアップすることができなくなります。電柱問題は、現在当たり前のように道路に林立する<電柱>を埋設し地下化する計画は明治・大正から立案されていました。欧米に学べ!で電柱は学ばなかった訳です。
さらに関東大震災があり、道路設計は旧道改善が難しくなります。
そこで内務省は首都機能の改善案として新規格の道路計画を組みます。

◇◇第二京浜物語国道1号線
新たに第二京浜国道=国道1号線が誕生します。
この国道も「にこく」と呼ばれていましたが今はどうでしょう?
正確には 品川区西五反田から横浜市神奈川区青木町までが<第二京浜>だそうです。
この第二京浜は震災復興として始まり、1930年(昭和15年)に行われる予定だった幻のオリンピックのマラソンコースにも設定されます。東京からのコース折返し地点ランドマークに<アーチ橋 響橋>が作られたという話は有名です。
かなり直線的に(無理やり?)作られたことが地図を見ても、実際に走っても実感できます。鶴見あたりの道は、鶴見の丘と海岸部を分断しているのが良くわかります。
(第687話)オリンピックと横浜
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=5872

「夜霧の第二国道」1957年(昭和32年)フランク永井
横浜を多く舞台にした脚本家、山崎巖 脚本。
「心と肉体の旅の舛田利雄が監督し、「夜の牙」の岩佐一泉が撮影した短い歌謡ドラマだったが、横浜の風景がふんだんに出てくきます。
キャストは小林旭、岡田眞澄、香月美奈子 他。
この曲は 作詞 宮川哲夫 作曲 吉田正

◇◇第三京浜
国道466号と国道番号としてはかなり後になった「第三京浜」ですが
いちこく・にこく に対して さんこくとは呼びません。そもそも国道として規格外だったことと有料道路であったことから県道として整備され後に国道となりました。
建設当時、入口近くの野毛に暮らしていた私の周辺でも「吉田ワンマン道路計画の一つだ!」などと揶揄されたようですが、日本で初めての「6車線の自動車専用道路」は、当時画期的な高規格道路で、現在も快適な走行が可能な首都圏のバイパスとなっています。
横浜新道と首都高速に繋がっていますが、混んでいる時などレーン選択は初めての人にはちょっと<酷>かもしれません。
一方、一般道から第三京浜に入るルートもコツが必要なので、昔のままの規格の厳しさを感じます。

◇◇国道16号線
この路線は、起点も終点も横浜市西区という珍しい国道です。
物語満載の国道です。第977話【横浜の道】国道16号線で紹介します。

◇◇国道246号線
「二四六」の響きに甘酸っぱい懐かしさを感じる方は「バブル世代」かもしれません。
現在の40代後半でギリギリ、80年代後半の馬鹿騒ぎな時代を経験しているのではないでしょうか。
TBSのドラマで注目された246エリアは東京から川崎・横浜でした。この延長線に「にこたま」が登場した時代です。
でも横浜エリアの246は、決して自慢できる道路だとは思えません。完全に地域を分断し、南北のアクセスが難しく、二四六川が流れている感じです。縦に16号、横に246・東名
道路という視点では、地域を分けてしまう<壁>となってしまっていることは否めません。

◇◇国道357号・国道468号
国道357号(東京湾岸道路)
計画線上では 鶴見区扇島〜金沢区福浦を結んでいます。
ここは八景島のど真ん中でストップ。この先横須賀まで延伸予定が止まったままです。
国道468号 (首都圏中央連絡自動車道)※工事中
現在大船駅周辺で大工事中。この5年で最も変化する道路でしょう。
横浜横須賀道路「釜利谷インター」から栄区を縦断、大船から国道1号線に合流する計画です。
かなり前からの計画が今になって動き出した。少子化による交通量減少の中でも工事は黙々と続いています。

第977話【横浜の道】国道16号線

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国道16号は現在、起点:西区桜木町〜終点:西区桜木町という珍しい道路です。
歴史は新しく1963年(昭和38年)4月1日に幾つかの路線が統一されて16号となりました。
横浜界隈的に起点から16号を辿ります。
ルート16は
帷子川支流「石崎川」近く、元「桜川」のあった場所を起点に初めて鉄道が始まった初代横浜駅・新橋間の鉄道路線に沿って大江橋へ続きます。

二代目横浜駅。ちょうど市電のあたりが16号線起点
現在の桜木町付近
16号線起点・終点付近
初代横浜駅、現桜木町駅。興産館(現ぴおシティ)あたりの16号線。

<大江橋> 横浜市内では珍しい人名の橋です。(大江卓)
関内大通と交わる尾上町の交差点を右折、羽衣橋を渡ると旧吉田新田の背骨、中央部を吉野町まで。このルートは関東大震災まで狭い道でしたが、吉田川沿いを通っていた市電のルート変更を行い、広い道路として新規整備されました。
吉野町の交差点を左に。
中村川の「睦橋」を越え、堀割川に沿って磯子方面に。

尾上町交差点付近で16号線は大きく曲がります。

<八幡橋>際を右折し横須賀方面に曲がります。
ここから16号線は旧海岸線でした。
磯子駅を通過し、新杉田駅を過ぎると内陸部に入り込み、富岡からほぼ京浜急行線と並行して金沢文庫まで走ります。泥亀あたりで少し京急と分かれ、また金沢八景で並走します。京急と国道16号線は馬堀海岸までほぼ並走しています。
その後16号線は国道の中でも数少ない海の国道を経て、房総半島に上陸し千葉県を縦断、埼玉県、東京都下八王子からかつて絹の街道として盛んな往来があった八王子街道となった横浜市旭区に入ります。保土ヶ谷バイパスと旧道に分かれ、旧道はほぼ「帷子川」の沿って横浜中心部に入り、終点に向かいます。

(歴史)
横浜に海軍鎮守府(東海鎮守府)が1876年(明治9年)に短期間ですが設置されます。
1884年(明治17年) 12月15日、東海鎮守府は横須賀に移転「横須賀鎮守府」となります。この時から横浜と横須賀との道路整備が行われ、1887年(明治20年)に鎮守府に至る国道として「国道45号線」となりました。

戦後の
1952年(昭和27年)12月4日に施行された新道路法に基づく路線指定でこの区間が「一級国道16号」に指定されます。これが国道16号のはじまりです。
その後、延長を重ね、他の国道を取りまとめ環状線となって現在にいたります。

旭区から終点に至る16号線は、江戸時代から八王子街道として開け、保土ケ谷区と西区の区境(洪福寺松原商店街はずれ)に東海道と八王子街道(旧道)の<追分>があります。この主要街道は神奈川往還とも呼ばれ、保土ケ谷宿への重要街道でした。幕末からは繊維(絹)街道として遠くは山梨商人の道として賑わいました。