No.471 横浜・世田谷・彦根

私は特に“運命論者”ではありませんが、 巡り合わせの不思議さを感じることが時々あります。 今日はある偶然の一致を紹介しましょう。 2008年(平成20年)〜2010年(平成22年)横浜開港150年関連の仕事で彦根市に何度か出向くことになりました。 国宝 彦根城 ゆるキャラ人気のひこにゃん それまで滋賀県長浜・大津は何度も訪れたことはありましたが、彦根は気になっていましたがスルーしました。 私は、東京都世田谷区世田谷に生まれました。 中学で引っ越すまで野毛町(これも因縁?)と上町に育ちました。 一時期過ごした世田谷の自宅近くは「ボロ市」で有名な通りがあり、玉電が走る下町風情の住宅地です。近くに「豪徳寺」という大きな寺があります。 この豪徳寺は「招き猫」で有名なところですが、その所以となった彦根井伊家の寺として有名です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/豪徳寺 寛永10年(1633年)近江彦根藩第2代藩主であった井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し整備したことから現在に至ります。 ここには、一部の彦根藩主の墓がありますが中でも第15代藩主だった井伊直弼の墓もあることで有名になりました。 井伊直弼の墓 自宅近くに掃部山公園があります。 掃部山は難読地名に入るでしょう。 「かもんやま」と読みます。 名前の由来は、井伊直弼(いいなおすけ)の官職名から来ています。 江戸時代には 様々な役職(官位)があり大名は○○守・頭(〜のかみ)と名乗りました。テレビドラマで有名な大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)は、町奉行として徳川吉宗の「享保の改革」を支援した大名で、越前=福井とは全く関係がありません。 井伊家は代々掃部頭(かもんのかみ)を名乗ったため、近江彦根藩の第15代藩主だった井伊直弼も“井伊掃部頭直弼”と名乗ります。幕末の徳川幕府の大老となった井伊直弼の公園がなぜ横浜市西区にあるのでしょうか? 彦根市に建つ井伊直弼像 この話は次回(No.472)で紹介します。 小さい頃遊んだ豪徳寺、平成の自宅近くにある掃部山公園 ともに井伊直弼つながりですが 自宅は引っ越し決めるときの理由には全く入っていませんでした。というよりまったく忘れ去られていた存在といったほうが正確でしょうか。 さらに一時期暮らした「世田谷区野毛」 現在の自宅近くにも「野毛」があり 縁とは不思議なものです。 →もう少し加えれば 現在の実家が茅ヶ崎で両親は福井県出身ですが、  茅ヶ崎は「大岡越前守」の墓があるのです。  父は引っ越してから知ったそうです。 しつこく、因縁はまだあります。 私の自宅近くに「日ノ出町」という街があり、京浜急行の駅近くには幕末期「陣屋」がありました。開港に際し関内の居留地警備のために幕府の命令で一時期福井藩が警備にあたっていました。ただ、この警備にあたっては一悶着ありました。 幕府は、横浜に居留地を開くにあたり警備を越前松平藩に命じますが、 このときの藩主“松平春嶽”は、命令をやんわりと拒否します。 これに激怒したのが 時の大老“井伊直弼”ですから 因縁ですね。 このことも含めて“安政の大獄”で春嶽は失脚、その後(しぶしぶ)越前松平藩は横浜警備に就くことになり、そこにスタッフとして赴任したのが岡倉 覚右衛門 岡倉天心の父親です。 歴史は史実の点と線を編むのが面白いところですね。 No.382 1月16日(水)横浜と福井 ...
2013/11/120 DownloadsDownload