第923話【横浜絵葉書】鉄桟橋の群衆2
前回、有栖川宮威仁親王が横浜港鉄桟橋を利用する記念絵葉書の画像を読み解いてみましたが時期を特定することができませんでした。 第922話【横浜絵葉書】鉄桟橋の群衆 第922話【横浜絵葉書】鉄桟橋の群衆 追加の資料を探してい…
(横濱界隈通信)様々な横浜界隈を歴史から現在まで一つひとつたどりながら紹介していきます。
前回、有栖川宮威仁親王が横浜港鉄桟橋を利用する記念絵葉書の画像を読み解いてみましたが時期を特定することができませんでした。 第922話【横浜絵葉書】鉄桟橋の群衆 第922話【横浜絵葉書】鉄桟橋の群衆 追加の資料を探してい…
この絵葉書、まだ結論が出ていませんが謎解きしてみます。タイトルは「有栖川大将宮殿下同妃殿下横浜桟橋御上陸之光景」タイトル最後の方は 判読不能で推測しました。撮影場所はおそらく「横浜桟橋(鉄桟橋)」でしょう。中心に写ってい…
横浜市南区東南部と磯子区東部にわたり、 明治7年(1874年) 大岡川の支流中村川分水路として開削されたのが「ほりわり川」です。 この「ほりわり川」の表記が統一されていないのかあくまで誤記なのか。 堀割川 掘割川 「堀」…
1930年(昭和5年)の暮、横浜市が震災復興に一つのメドがついた頃 市電社内刷りPRとして「市電ニュース」が発行されました。 ちょうどこの頃、横浜市内の市電網が最も精力的に整備され、市域トラフィックの軸となっていきます。…
滝ノ川に架かる「大清水橋」 かな表記は「だいしみずばし」だが市の橋梁台帳では「おおしみずはし」となっている。読みが全く異なるもの珍しい。理由は近所に60年暮らす方に聞いても解らなかったが、その方は「おおしみずばし」だと思…
これまでのブログが殆ど整理されていないこと、気にはなっていましたが、 気になり始めた時にすでに500話を越え、諦めました。 できる範囲で 索引的なものも作りました。(自分の確認用!) 2017115時点 更新していきます…
1,000話に向けてエンジン掛けて 新しい発見はありませんが、調査資料の整理を兼ねて紹介します。 ハムとカーティス 今や有名なのであらためて紹介でもありませんが、 横浜市戸塚区で「鎌倉ハム」が誕生したという<トリビア>が…
横浜の戦後も遠くなりつつあります。 占領時代は特に横浜の戦後を語る上で欠かせない時間です。関内外、周辺の工場や軍事施設が空襲を受け、捕虜収容所にも被害がありました。 第847話 1945年(昭和20年)7月13日「海芝浦…
かつて、幕末から明治にかけて居留地には外国人経営によるホテルが数多く誕生しては消えて行きました。その中で、明治・大正時代の開港場を代表するホテルが幾つかありましたが、その一つがクラブ・ホテルです。1884年(明治17年)…
私は横浜の路上を意識的に観察し始めて10年、 一昨年からは仲間を集めて横浜路上観察学会なるものも始めました。 このブログでは殆ど紹介していなかったので、これも横浜の一風景ということでこのブログに紹介することにしました。 …