7月 19

第852話 7月19日京浜急行と権現山の戦い

京浜急行神奈川駅は京急線の中で一番“狭い”ホームのある駅です。(感覚です。実際測っていません)
開業は1905年(明治38年)12月24日、歴史ある駅です。
light20150211神奈川駅 lightP2110494 lightP2110514今日は駅そのもののエピソードは別の機会に譲ります。
神奈川駅のある一帯は明治期に鉄道を敷設する際、丘陵の一角を大きく削りました。
神奈川駅を挟んで両側が繋がっていました。light台場神奈川駅東京に向かって右側(東側)の駅際にある小高い丘が「幸ケ谷公園(権現山)」、反対側の西側が高島台にあたります。
今日は横浜の歴史を一気に戦国時代へと時間を戻しましょう。
時は16世紀初め、永正7年(1510年)7月19日の今日は、9日間も壮絶な権現山(ごんげんやま)の戦いが終わった日です。
「権現山の戦い」とは、上杉連合軍がここ権現山を居城とした上田勢と支援した北条氏を破った戦いです。
江戸時代に本格的に整備された東海道ですが、それ以前から東海道は太田道灌の開いた江戸と西国を結ぶ重要な道でした。東京駅から東海道線に乗ると品川近辺の御殿山を過ぎると、平坦な道が続きます。
神奈川県に入り最初の丘陵がここ<神奈川>です。
中世から、権現山は街道の要衝にあたり、戦略的に重要な場所でした。
当時武蔵の国一帯は上杉一族の勢力下にありました。その南端にあたる城が権現山城で扇谷上杉朝良家臣<上田蔵人政盛>が城主として一帯を治めていました。ここに、波乱が起こります。伊豆にあった北条早雲が、鎌倉まで勢力を伸ばし、さらには武蔵の国へと侵攻します。
この時、早雲は権現山城主であった上田 政盛に、上杉傘下から我が北条の仲間になれというメッセージに呼応し兵を挙げます。
この権現山の戦いに関しては上田 政盛が早雲の策略に乗って主君<上杉>を“裏切る”といった表現が多いようです。
「伊勢宗瑞(北条早雲)の調略に応じて相模国境に近い武蔵国権現山城で挙兵した。」
「まず扇谷上杉朝良の家臣・上田政盛を寝返らせ、修築したばかりの相模国<ママ>権現山城に据えた。」(文中相模国→武蔵国)
「早雲は永正4年(1507)、越後の守護代長尾為景(ながおためかげ、1489〜1543・上杉謙信の父)と守護上杉房能の戦いに乗じて、扇谷上杉氏家臣の権現山城主上田政盛(うえだまさもり、生没不詳)を寝返らせます。」
資料を読むと事態はそれほど単純では無く、関東上杉家の<内紛>が<上杉家>に反旗を翻す要因と考えるのが妥当と思われます。元々、権現山城主 上田政盛は扇谷(おおぎがやつ)上杉家の家臣でした。ところが、同じ上杉家の<山内上杉家>によって領地だった神奈川湊を奪われてしまいます。ここに<山内上杉家>に対する反感(恨み)が生まれ、新たなる勢力となってきた北条早雲に与します。
ただ悲劇なのは、この反旗によって仲違いした扇谷上杉家の上杉朝良と山内上杉家の上杉憲房が連合で上田政盛の挙兵した権現山城を圧倒的陣容で包囲し壮絶な戦いが行われ、早雲の援軍が到着する前に陥落します。
※一説では上田政盛は生き残り、後に扇谷上杉家家臣として復活したという説もあります。

この権現山の戦いをキッカケに関東全域をめぐって伊勢氏(後の北条氏)と上杉氏との同盟関係が完全に破綻、戦国時代の覇権争いが激化していくことになります。

(神奈川台場)
この権現山の戦いの舞台となった場所は現在幸ヶ谷公園となっています。ただ戦いのあった当時よりかなり<低く>なっています。
ペリー来航後、急遽神奈川台場を構築するにあたり、埋立て用の土砂がこの権現山の山頂部分を削って使用されたため低くなり<台形>に変わっています。

※余談
この権現山の戦い、2万の上杉勢に対し2000の将兵で迎え撃った上田政盛陣営は圧倒的大軍の前に惨敗しますが、そこに
「19日上杉勢がなだれのごとく城内に乱入した時、城中より「我こそ神奈河の住人間宮の某」と叫びつつ上杉に突入した勇ましい武士がいた。神奈河(今は神奈川と書く)住民間宮とは信冬もしくは子の彦四郎信盛と伝えられている。」
この間宮は討ち死にせず戦のあと笹下に居を構え、北条政権下磯子一帯の領主となります。この間宮家が杉田家となり産業の少ないこの地で梅林などの殖産に務めました。

No.201 7月19日(木)港を感じる絶景ポイント
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=406
横浜港のある東京湾は、船舶の航行が集中するポイントにあたります。
船舶通航信号所として
1986年(昭和61年)7月19日(金)「横浜港シンボルタワー」が完成しました。

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7月 19

2015年7月18日快速運転開始

2015年(平成27年)7月18日市営地下鉄ブルーラインの快速運転開始、
併せてダイヤ改正も行われました。
内容は
平 日の10時〜16時
土休日の9時半〜16時
おおよそ一時間に1〜2本の快速車両が追加登場。
これまでの運行本数を減らさず、合間を快速が縫うダイヤグラムとなっています。

☆横浜〜新横浜
11分が8分に短縮
☆戸塚〜関内
22分が17分に短縮

これに合わせて7月18日あざみ野駅構内で
 記念式典がありました。
平成27年7月18日(土)9時15分~9時30分
9時15分から始まり<2番線から9時29分発>を見送る中行われます。

あざみ野駅発 最初の快速が9時29分湘南台行き
一方の湘南台駅発の最初の快速は9時32分あざみ野行き
最初に出発するからなのか?
横浜市内で式典を挙行したかった?からか

(あざみ野駅)
市営地下鉄「あざみ野」駅が開業したのは
1993年(平成5年)3月18日で、90年代田園都市線の乗換に度々利用しました。確か
当時「あざみ野」駅は急行が停車しなかった記憶があります。しかも、当時(今も?)大型SCもあり賑わっているたまプラーザ駅ではなく隣の小さな「あざみ野」が終着駅なんだろうと疑問に思った記憶があります。
この市営地下鉄3号線(ブルーラインの一部)はあざみ野より先(新百合ヶ丘)に延伸する予定の都合で、ここになったという話を聞いたことがあります。鉄道計画というのは様々な思惑も含み中々難しい問題です。
一時期この延伸計画は眠っていましたが現在少し前進しているようです。
昭和38年に専門家委員会で検討されたプランでは横浜から新横浜を経由し荏田(延伸計画中の東急田園都市線)までを結ぶ予定で答申されていました。この答申をベースに飛鳥田市政六大事業における高速鉄道計画が組まれます。
この時のプランでは
1)荏田付近〜綱島付近〜鶴見付近
2)綱島付近〜新横浜駅付近〜横浜駅付近〜桜木町・関内付近〜戸塚付近〜長後付近
という青写真が描かれています。
現在の路線と比較すると終着点が両端とも変わっています。
長後ではなく六会付近へそして最終的に<湘南台>
荏田ではなく、元石川近辺に修正され最終で<あざみ野>
と変化します。
新横浜からあざみ野間の事業免許が認可されたのが
昭和61年2月のことでした。
最初の目論見が昭和30年代後半ですから約25年四半世紀もの時間が費やされました。
気の長い話です。
調べていたら相鉄ネタもでてきました。
特別列車「相鉄JAZZトレイン」が旭区誕生40周年・旭ジャズまつり20周年を記念して、
2009年7月18日に運行なんて記事がヒットです!
https://www.youtube.com/watch?v=TM5WQXdtbrI
相模鉄道・鉄道カンパニーでは、相鉄グループ横浜開港150周年記念事業 「SOTETSU GROUP 横浜開港150 (イチ・ゴー・マル) PROJECT」の一環として車内のジャズコンを挙行!
この企画は いろいろこじつけて 時折実施してほしいな。

(過去の7月18日ネタ)
No.200 7月18日(水)無限の境界
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=407
1997年(平成9年)7月18日(金)
横浜市西区西区みなとみらい2丁目に複合商業施設「クイーンズスクエア横浜」が開業しました。
2012年で創業15周年を迎えました。

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7月 19

第851話 2009年(平成21年)7月17日相鉄平沼橋駅爆破予告

今日は少し“キワモノ”でこじつけました。
2009年(平成21年)7月17日に横浜地裁である事件の判決がありました。
事件は鉄道に対する<爆弾予告>で威力業務妨害に問われたもので
(判決)
事件番号:平成21年(わ)第737号等
罪 名:威力業務妨害
判 決:懲役1年6ヶ月・執行猶予4年
担 当:横浜地裁第3民事部 甲良裁判官(単独)
概 要:被告は今年の3月に相鉄平沼橋駅などに爆破を予告する紙を置いた。判決理由の中で甲良裁判官は、「自己中心的・短絡的犯行で酌むべき事情は無い」としながらも、「本件は紙を置いた程度に止まっており、実際の電車運行には支障が無かった」として情状酌量を認めた。

事件そのものの情報は上記だけなのでこれ以上のコメントはできませんが、
爆破予告の対象駅を<相鉄線 平沼橋>とした理由が気になりました。
「平沼橋駅」実に地味な駅です。

lightP3110130平沼橋lightP6040301平沼橋 lightP3110137

ということで、本日のテーマは「相鉄線平沼橋駅」です。無理無理ネタです。

(相鉄線平沼橋駅)
「平沼橋駅」は横浜駅から900mしかない相鉄線で最も駅間距離の短い駅です。しかも、駅前に殆ど店らしい店の無い静かな駅です。駅前に“何もない駅”といえば京浜急行「神奈川駅」かここ「平沼駅」が横浜市内の静かな駅代表格ではないでしょうか。
共にメガステーション「横浜駅」に近いというのも共通点です。

「平沼駅」は1931年(昭和6年)10月25日に開業しました。
相鉄線はとにかく<苦労して>延伸してきた鉄道路線で、開業は1926年(大正元年)に二俣川と厚木間開業からスタートしました。当初は保土ケ谷駅に乗り入れる予定で延伸してきますが、最終的に横浜駅まで延伸し現在に至っています。
横浜駅 1933年(昭和8年)12月27日
平沼駅 1931年(昭和6年)10月25日
西横浜駅 1929年(昭和4年)2月14日
天王町駅 1930年(昭和5年)9月10日
北程ヶ谷駅1927年(昭和2年)5月31日(現:星川駅)
※和田町駅1952年(昭和27年)8月15日
上星川駅 1926年(大正15年)12月1日
西谷駅 1926年(大正15年)12月1日
鶴ヶ峰駅 1930年(昭和5年)10月25日
以上各駅の開業時期を見ても明らかなように、横浜駅から上星川駅までは天王町駅・和田町駅を除き、小刻みに(おおよそ二年毎に)横浜方面に延伸しながら開業しています。
「平沼駅」から900mしかない「横浜駅」への乗り入れにも二年という時がかかりました。
(平沼橋周辺)
前段で紹介したように駅前には殆ど店がありません。
この20年変らない人気のお店といえばお弁当の「寿軒」で値段も安く頑張っています。lightP6290021 lightP6290022 駅近くの名所といえば「横浜 水天宮平沼神社」です。
江戸後期にこのエリアの埋立て事業を始めた(5代目)平沼九兵衛が埋め立てた新田の氏神様として祀ったのが始まりです。碇の<紋>が近代の水天宮らしいちょっとモダンさも感じさせます。

ここの氏子総代は代々平沼家が務めています。スポーツ市長の平沼亮三も務めました。
少し歩きますが、バラを中心に四季の花が美しい「横浜イングリッシュガーデン」に電車で行く方はこの「平沼駅」から徒歩10分です。
http://www.y-eg.jp/index.php

(過去の7月17日ブログ)
No.199 7月17日(火)山手独立。
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=408
1899年(明治32年)7月17日(月)の今日。
治外法権が解消された通商航海条約が発効しました。
これによって、(一週間後の24日)より横浜居留地で内地雑居(ないちざっきょ)が始まり「山手町」が誕生します。

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