閉じる

第932話 【祭りの風景】牛頭天王

祭りの風景画像を読み解いてみます。
祭りの準備なのか、祭りの後の一休みなのか?
この風景は
1905年(明治38年)ごろ使用された絵葉書の画像部分です。

幟(のぼり)には「奉献 牛頭天王宮 本牧宮原」とあります。
年号も書かれていますが、<四年>の文字が読めますので、明治34年の画像でしょうか?
はっきり読み取れません。
恐らく、地名は横浜市中区に位置する「本牧宮原」のことだろうと思われます。
牛頭天王は「ごずてんのう」と読み、釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神のことだそうです。現在の「八坂神社」にあたる「感神院祇園社」から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られ現在に至るようです。
では 本牧宮原に 牛頭天王宮を祀る神社があるのか?あったのか?
1909年(明治42年)開港五十年の年に、
本牧台の八王子神社(祭神:大山津見命)
宮原の八坂神社(祭神:建速須佐之男命)
間門の浅間神社(祭神:木花咲耶姫)を
「本牧十二天」に合祀しているという資料があり、恐らくこの「宮原八坂神社」の例祭のときに撮られた写真だろうと推理しました。何故、周辺の神社が一つにまとめられたのか?理由は判りませんが、本牧地域が個々の<字(あざ)>から広域化してまとまろうとした試みかもしれません。
明治十四年の迅速図を基に 宮原 八坂神社を探してみました。
宮原に近いところに<神社>記号がありましたので ここが「八坂神社」ではないのか?と地図にマークしてみました。
2017年11月アップ。さらに分かり次第アップします。

第932話 【祭りの風景】牛頭天王」への2件のフィードバック

  1. 河北様
    ご無沙汰しております、以前「本牧・北方・根岸」の販売でお世話になりました長沢です。
    YOKOHAMA xy通信は「日本ビチュマルス」の記事から存じております。横浜の事を何でも熟知している人だなと感服しておりました。
    昨日、この後述べる琴平神社等を拝読していて川北さんの名が留まり、あれもしかしてと以前頂いたご名刺を読み直したところYOKOHAMA xyと書かれていて、確信致しました。

    奉献牛頭天王宮本牧宮原の写真は初めて見ました。全く知られていない神社で、こんな写真があるとはと驚いております。
    御推定の場所は宮原ではなく天徳寺ですね、まあ宮原の近くと言えばその通りですが。しかし、その場所には琴平神社がありました。琴平神社は現在でも少し離れた場所に一応あります。
    では、どこだと言われると思いますが分かりません。合祀されたのはその通りですが、どこに有ったかは書かれておりません。
    可能性の一つとしては、「本牧本郷村絵図」に書かれている宮原の地蔵堂、原か牛込の権現宮も皆無では無い
    位しか言えないと思います。

  2. 北西様
    天王社の場所が判明しました。
    本牧本郷絵図は2種類ありまして、昨日のはAとします。
    Bのほうも調べました所、Aの地蔵堂あたりに天王社と書かれていました。その場所は本牧(十二天)神社のそばの海岸に近い所です。また権現宮は吾妻神社でした。
    文だけでは御納得頂けないでしょうから、ご希望なら添付ファイルで絵図等をお送り致します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください