敗戦復興のまっただ中、希望を失いつつあった日本人の心を明るくした歌姫といえば
美空ひばりです。
1952年(昭和27年)1月4日
彼女のもとに四万通の年賀状が届けられました。
あまりの多さに郵便局はリアカーを使って運んだという当時のひばり人気を象徴する事件です。
昭和の歌謡界を代表する美空ひばりは女優(子役)としても当時の日本人の心をわしづかみにしました。
美空ひばりは、横浜市磯子区滝頭に生まれ、9歳で(旧杉田劇場)でデビューし平成元年に亡くなるまで次々とヒットを飛ばす天才歌手でした。
アイドルの激務の中でも横浜市立滝頭小学校(滝頭国民学校)、精華学園中等・高等部を卒業します。
この精華学園高等部は吉永小百合、星由里子も通っていた有名校(当時の堀越学園?)でした。創設初期の校長は内村鑑三でミッションスクールでした。
現在は東海大学に吸収され付属望洋高等学校です。
なぜ精華学園に通うことになったかというと1947年(昭和22年)野毛にオープンした横浜国際劇場(現在はJRA)の支配人だった(芸能プロデューサー)福島 通人との出会いがあったからです。教育も重んじた彼がしっかり学校教育も受けさせる必要があるということで妻の出た精華学園に入学させました。
福島 通人は1949年(昭和24年)のひばり出演映画『のど自慢狂時代』、『踊る龍宮城』および主題歌の『河童ブギウギ』、『悲しい口笛』のプロデュースにかかわり、ひばりを名実共に全国区にします。
1952年(昭和27年)には中学生でありながらもうすでに雑誌(平凡)、ラジオ(NHK他)を席巻し大スターに躍り出た彼女でしたが、学校の学芸会にも出演したといいますから美空ひばりの生真面目さを現すエピソードと言えるでしょう。
美空ひばりに因んで、2005年2月、杉田のランドマーク?「らびすた新杉田」の3階にオープンしたのが新「杉田劇場」です。(2012年10月一部書き直し)
No.45 2月14日 バレンタインにふさわしい素敵なニュース
同じ日に何があったか?
1986年シーバス横浜駅東口から山下公園まで運行開始
シーバスの名は BUS(乗合自動車)ではありません!Bassで美味の魚スズキのことです。