昔々、横浜に大きな龍が住んでいたそうな。
ところが明治になって
吉田勘兵衛の子孫に胴体を斬られてしまったそうな。
なんて話しを今日は繰り広げます。
星空を物語に見立てて星座を生み出すとか
地形や風景を花鳥などに見立てる人間の想像力って
素晴らしいものがありますね。
(龍の丘)
本牧から山手、根岸、蒔田そして滝頭までの丘陵地
この一帯の姿を「龍」に見立てた伝説が残っています。
竜の名を寺院の山号(さんごう)にしたところがこのエリアには
多いのです。
真ん中の「堀割川」は後から付記したものです |
これらの「龍」をなぞっていくと
大きな龍に姿が“顕れて”きますでしょうか?
頭の部分が
高野山真言宗 龍頭山密蔵院 (瀧頭山?)
横浜市磯子区岡村2丁目16-19
喉頚の部分が
高野山真言宗 青龍山 宝生寺
南区堀之内1丁目
この宝生寺は、歴史上初めて文献に「横浜」の名が登場した古文書を持っているお寺です。
この一帯をかつて治めた平子(たいらこ)氏一族の開基といわれています。
ちょっと |
その他
南龍山 不動院 無量寺
高野山真言宗
横浜市南区蒔田町174
海龍山 本泉寺増徳院
高野山真言宗準別格本山
横浜市南区平楽103
※寺籍は横浜市中区元町1−13
多くの開港後の横浜商人が菩提寺としました。
No.410 横浜最古の寺周遊(前編)
龍祥山 勝國寺
曹洞宗総持寺派
横浜市南区蒔田町932
曹洞宗 泉谷山竜珠院(りゅうしゅいん)
横浜市磯子区岡村2丁目16-19
(堀割川)
この一帯の丘陵地の首元を削って
堀割川が作られます。
まさに伝説の「龍」の首を斬ったことになります。
その後の言い伝えによれば
この堀割川の完成で 龍は
「増徳院」に移ってしまい
宝生寺以下 堀割川以西の寺は衰退し
「増徳院」が隆盛を極めたとあります。
まさに 堀割川を切り開いた
吉田さんによって
古代・中世の龍伝説が切り落されてしまった
という 物語でした。
(余談)
滝頭の瀧はさんずいに龍を表し龍に関係ありと伝わっている話しもありますが、
地名の由来では 定かではありません。
(堀割川関連)
No.435 大岡川物語(1)
No.192 7月10日(火)もう一つの大岡川
No.187 7月5日(木) 目で見る運河