8月 4

No.217 8月4日 (土)わがひのもとの虎列刺との戦い

1890年(明治23年)8月4日の今日
「横浜に虎列刺病流行の徴あるを以て、神奈川県庁内に検疫本部を置かる(十月二十七日、検疫本部を廃せらる)」(横浜沿革誌)から開国時代の検疫奮闘について簡単に紹介しましょう。E8-99-8E-E5-88-97-E5-88-BA-E7-97-8508-03■パンデミック(世界的大流行)
19世紀は産業革命の時代ですが、伝染病の時代でもありました。産業革命以降「世界の工場」と呼ばれたイギリスの時代「パクス・ブリタニカ」でもありました。文明のボーダレス化は疫病の伝染をもたらします。
インドに古くから存在した経口感染症の一つコレラは、19世紀になり世界史に登場します。これまでに7回の世界的流行 (コレラ・パンデミック) が発生します。
第一回が1817年頃に起ります。日本にも伝染しますが、「海禁施策」と人の移動制限が厳しい江戸時代のため皮肉にもコレラ・パンデミックは起りませんでした。日本にコレラ・パンデミックが直接的に起ったのが1840年頃に起った第三回目からです。
(安政コレラ)
世界に広がったコレラはその後集中的に発生します。原因が特定できなかったからです。1858年(安政5年)大阪に始まり、東海道を江戸に向かったコレラは「安政コレラ」と呼ばれています。
この頃、時代は黒船来航、開国騒動が起っていたこともあり人々の不安が不必要に拡大します。三日でころりと死に至る病い「三日コロリ」日本のコレラ・パンデミックの始まりです。

E8-99-8E-E5-88-97-E5-88-BA-E7-97-85438

1859年9月18日(安政6年8月24日)神奈川宿でコレラらしき病人が十数人死亡します。この時すでにコレラは江戸を始め全国に伝染していました。その後、コレラは波状的に日本で猛威をふるいます。
徳川幕府から明治新政府になった明治維新以降、防疫上は最悪の時期となります。
関所の撤廃、外国との交易、都市の急膨張がパンデミックを決定づけます。横浜はこの条件にジャストフィットします。
簡単に横浜コレラ・パンデミックを追います。
1877年(明治10年)9月上海で大流行していたコレラが横浜に上陸し700人近い死亡者がでます。
1886年(明治15年)6月3日に始まったコレラ発症は8月16日までに1,600近い死者を出します。
そして冒頭にある「「横浜に虎列刺病流行の徴あるを以て、神奈川県庁内に検疫本部を置」いた
1890年(明治23年)8月4日の大流行が横浜を襲います。
この間、人々は手をこまねいていた訳ではなく、1884年にドイツでコッホがコレラ菌を発見し、防疫方法が暫時進化していきます。この大流行が、横浜及び日本のコレラ・パンデミック最後となります。
この時、疫病対策に全力をあげた病院が横浜万治病院で、伝染病撲滅の金字塔となっています。
その後小規模の伝染が起りますが「三日コロリ」と人々を恐怖に陥れることは無くなりました。

blog-E8-99-8E-E5-88-97-E5-88-BA-E7-97-85

検疫本部を置いた1890年(明治23年)9月に母国に向けて出港した悲劇の船が土耳其国軍艦エルトゲロル号です。乗務員もコレラに一部感染してしまいます。
No.159 6月7日(木) 強い日土友好の原点

(森鴎外と三橋信方)
三橋信方、明治時代の外交官で1906年(明治39年)に横浜市長となり在任中1910年(明治43年)6月25日に亡くなるまで務めました。彼が横浜開港五十周年に際しハマのマーク、そして横浜市歌を森鴎外に制作依頼します。
この話しが何故コレラと関係があるのか?
ドラマの詳細なストーリーは別な機会にご紹介しますが、彼が市長となる20年前の1887年(明治20年)31歳の時、神奈川県書記官だった三橋信方は横浜水道事務所管理(責任者)となり上下水道の整備に重要な役割を果たします。外交官時代ヨーロッパでコレラ、ペストの恐ろしさを実感していた彼は、安心できる水の確保に尽力します。
野毛山のパーマー像記念碑にも三橋信方の名が書かれています。
No.121 4月30日  日本にCivil engineeringを伝えた英国人

同じく、軍医 森林太郎はドイツに留学し、コレラを含む公衆衛生の研究を行い日本に戻ります。森は特に下水道整備の重要性を説きます。
森と三橋との交友関係は日記などに若干触れられている程度ですが、“水”を通して二人の同じ「安全都市」への思いが横浜市歌 作詞依頼に結びついたことは想像にかたくありません。
No.89 3月29日 ペスト第一号もYOKOHAMA

Facebook Comments


Copyright 2017. All rights reserved.

Posted 2012/08/04 by tadkawakita in category "横浜に因んだ人たち

About the Author

横浜の歴史にざくっと関心をもって15年です。本腰をいれて学び始めて5年となりますが、学べば学ぶほどに深くなっていきます。
Y2345というキーワードを作りました。1923年〜1945年までの横浜を軸に「横浜史」を乱学しています。
史実に出会ったら、できるだけ現在の地を訪れるよう努力しています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)