開港開国は、多くの外国文化と同時に伝染病も流入してきました。
今日は、自慢できない「はじめて」物語をご紹介しましょう。
日本に初めて「ペスト」が上陸したのが1896年(明治29年)の今日です。
横浜港に入港したアメリカ船籍ゲーリック号の乗客の一人(外国人)が病気のため下船、市内の病院に入院します。患者は容態が急変し4月1日に死亡します。
検査したところ「ペスト」と判明します。
ネズミとノミを媒介し伝染するペストは幸運にも大流行することはありませんでした。
ペストを媒介するクマネズミ |
伝染病には幾つか種類があります。
19世紀の<悪魔>「ペスト」はパンデミック(世界的感染)の真っ最中で国家存亡に関わる重大事件となっていました。これまで「ペスト」は日本では発症していませんので、国内に病原菌を持ち込まないよう<検疫体制>の確立が急がれていました。
ペストのパンデミック(世界的感染)は史上3回起ったと言われています。
最初が6世紀から7世紀の東ローマ帝国時代の流行で「ユスティニアヌスの斑点」と呼ばれました。
二回目は14世紀のヨーロッパで発生し世界にひろがりました。全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の三分の一から三分の二、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されています。
そして三回目の世界感染はアジアから起ります。香港、広州で大流行し1894年頃には8〜10万人の死者が出たと推計されています。その後二回目と同様、全世界に広がり1903〜1921年の20年間でペストによる死亡者は1,000 万人を越えたといわれています。
神奈川県が作成したペスト流行地図 |
ちょうどこの頃に、日本は<開港>し多くの外国人が日本に入国し始めます。
当然開港地横浜に「ペスト」感染の危険性が押し寄せます。
ペストが初めて日本に上陸したのが横浜なら、初めて感染した日本人も横浜に住む沢田松五郎(23歳)さんでした。1899年(明治32年)11月に中国から帰国し門司港で下船し広島で発病し、亡くなります。
当時の記録で、真性ペスト第一号とされています。
関西を中心に何回か流行しますが、大規模な感染は起りませんでした。
横浜市内では1902年(明治35年)に初めて流行が確認されました。
1926年(大正15年)に終息するまで、6回流行しますが大規模な感染とはなりませんでした。
その背景には研究者の危険を背負った努力があったそうです。
1894 年に北里柴三郎が、第3回の世界流行のさなか香港でペスト調査を行い菌を発見します(同行した研究員がペストで亡くなっています)。
日本に初めて「ペスト」が上陸する二年前のことです。
その後、港を中心に防疫体制の整備と衛生状態の改善が飛躍的に進み、1926年以降日本では発生していません。防疫力も国家の安全保障の重要な柱といえるでしょう。
(余談)
1899年(明治32年)横浜港に入港した外国船にペスト患者が発生し、長浜検疫所からペスト菌対策に研究者が派遣されます。
若き日の野口英世です。