ヨコハマグランドホテルとニューグランドホテルは全く別のものです。
経営上の繋がりは一切ありません。
が歴史的文脈上はグランドホテル無くしてニューグランドはありません。
1927年(昭和2年)のこの日、震災で焼失した(The Grand Hotel Yokohama)が再建を断念し会社を解散しました。
ここでは、明治から大正期に高級ホテルとして輝いたThe Grand Hotel Yokohamaのエピソードを紹介します。
このホテルの創業に関わったのは写真家ベアトです。(ベアトも横浜開港史を語るとき必須の人物です)1870年(明治3年)夏にベアトが購入した英国公使館跡地の建物を(グリーン夫人が)石造りのホテルとして開業しましたが上手くいきませんでした。(写真家は財力があったんですね)
場所は海岸通20番地エリア、フランス波止場(西波止場とも)近くです。(マップ参照)現在の人形の家近辺ですね。(フランス山もすぐ近くです)
※ちなみに横浜には開港時三つの港がありました。元町よりのフランス波止場、現在の大桟橋エリアのイギリス波止場、そして万国橋エリアの日本波止場です。
立ち行かなくなったホテルは再度ベアトが資金調達し明治6年に改装オープンします。その後、1889年(明治22年)に個人経営から法人化(株式会社)します。翌年の明治23年にフランス人の建築家サルダ(Sarda,Paul)設計により、隣接の18・19番に新館を増築します。室数は200余りと横浜を代表するホテルとして関東大震災で焼失するまで営業していました。
サルダ(Sarda,Paul)は、「1月16日 指路教会建つ」でヘボンと指路教会会堂の時に紹介した建築家です。
当時、高級ホテルのノウハウはやはり英仏、特にフランスが持っていました。ホテルの朝食にもこの伝統が流れています。コンチネンタルブレックファースト、ブリティッシュ ブレックファースト(アメリカンブレックファースト)ですね。
海岸通20番地エリアはフランスの支配が強く感じられるエリアでしたので、フランスの高級ホテルの名を使い(The Grand Hotel)としたのでしょう。余談ですが、スウェーデンのストックホルムにある世界的にも有名な5つ星「グランドホテル」は1872年(明治5年)にフランス人の(Jean-François Régis Cadier)によって設立されたホテルです。
関東大震災が無ければ、もしかすると現在もThe Grand Hotel Yokohamaが営業していたかもしれません。
少し長くなりますが、グランドホテルをかたるときに 忘れてはいけない人物がいます。
1889年(明治22年)支配人として、サンフランシスコからルイス・エッピンガー(Louis Eppinger)が着任します。
※カクテルの紹介コーナーでルイス・エッピンガーをバーテンダーと紹介していますが、資料をさがすと支配人と紹介されていますのでここでは支配人と紹介しておきます。
エッピンガーは着任2年目の1890年、新しい創作カクテルの考案に取り組みます。
エッピンガーはカクテルに造詣が深く、アメリカ時代に(1885年頃)ニューヨークで人気を博したカクテル「アドニス」をバーのメニューに加えます。「アドニス」とはライト・オペラと呼ばれた草創期のミュージカルのタイトルで、ギリシア神話を題材にした女神アフロディーテ(ヴィーナス)と四季の始まりとなった逸話を残すペルセポネの二人に愛された美少年アドニスの代表的悲劇をアメリカ流にアレンジしたものです。
1880年代空前のロングランヒットとなり、19世紀まで主流だったブランデーに代わり人気のあった手軽で高級感のあるシェリー酒、特にフィノベースのカクテルが作られました。
ドライ・シェリー3分の2、スイート・ベルモット3分の1、オレンジ・ビターズひと振りをステアしてカクテル・グラスに注いだものです。食前酒としておすすめです。
この「アドニス」をエッピンガーは横浜版にアレンジしました。
スイート・ベルモットをドライ・ベルモットに変えたのです。
「アドニス」に比べ甘さが抑えられ「竹のように素直でクセがなく、すっきりとした辛口に仕上げられた」ためエッピンガーは「バンブー」と名付けたそうです。
私の珍説(仮説):「電灯の事業化に成功した」エジソン(1847年2月11日 – 1931年10月18日)は、1879年(明治12年)に実用化しますが、そのフィラメントに京都岩清水八幡宮脇の竹林から採取した竹を使い成功します。
http://www.iwashimizu.or.jp/story/edison.php?category=0
それから10年経っていますから、ニッポンバンブーというブランドはアメリカでも話題になっていたのではないでしょうか。
海を渡った美少年(アドニス)は、アメリカに渡った「竹」を割って生まれた「かぐや姫」に?
(グランドホテル焼失)
関東大震災は、横浜のほとんどの建造物を倒壊、焼失させます。再建を試みるもの、諦めるものありましたが、グランドホテルは後者を選びます。
国際ホテルの必要性を感じた横浜市内の財界、市役所の総意で1927年12月1日現在のニューグランドホテルがオープンします。
敷地は幕末に開設されたフランス海軍病院跡でここでもフランスとの因縁があります。
またまた余談ですが、福沢諭吉が欧州を巡った時、帰路パリで泊まったホテルはグランドホテルです。
ニューグランドホテルに関しては別の日に様々なエピソードをご紹介しましょう。