第857話【絵葉書の風景】謎解き大日本水産会

ここに「大日本水産会創立二十五年紀念」の絵葉書があります。

大日本水産会創立二十五年紀念
大日本水産会創立二十五年紀念

水産共進会発行
Pablished by the Fishery Exposition in Commemoretion of the twenty-fifth Anniversary of the Japan Fisherv Society.
(※英文には一部誤植がありますがそのまま転記しました)
発行時期:1906年(明治39年)10月ごろ
発行年確定の根拠は後述します。
絵柄:明治15年(設立時)と23年後の明治38年の輸出水産物金額比較
明治15年235万円
明治38年957万円
背景には 海藻と魚がイラストで描かれています。
海産物に占める<昆布類>の割合が大きかったのでしょうか海藻類(昆布とワカメ)中心ですね。
(見本市)
近年、首都圏では幕張メッセ・東京ビッグサイト・パシフィコ横浜が様々な見本市(Trade Show)開催が競われています。
戦後以上に業界Trade Showが全国各地で開催されました。
その名も
博覧会に加えて共進会・五二会(織物・陶器・銅器・漆器・紙の5品目に雑貨と敷物の2品目を加えた製品産物等の品評会)・実業大会 等々。
ちなみに1879年(明治12年)第一回製茶共進会、第一回糸繭共進会が横浜で開催されました。(正確には調べていませんが横浜初の共進会ではないでしょうか)
No.259 9月15日(土)全国お茶の品評会開催
【芋づる横浜物語】縁は異なもの味なもの2

(水産共進会)
共進会は、日本の産業振興を図るため、産物や製品を集めて展覧し、その優劣を品評する会のことで水産共進会は
1882年(明治15年)に設立された「大日本水産会」が主催した共進会です。
この大日本水産会は現在も社団法人として活動を続けています。
http://www.suisankai.or.jp
「大日本水産会は水産業の振興をはかり、経済的、文化的発展を期することを目的として、明治15年(1882年)に設立された、我が国唯一の水産業の総合団体です。」
※水産業に関係する生産者、加工業者、流通業者、小売販売会社など、約400の会員で構成されています。
であれば
創立25年となっているこの絵葉書は明治15年+25年で、明治40年ごろだろう。
明治40年に何か大きな「水産共進会」が開催されてはいないか?
明治40年9月に発行された「大日本水産会報300号」目次に
第2回関西九州府県連合水産共進会とあり、その他の資料からも
「明治40年(1907)、関西・九州の各県を中心に20の府県が参加し、「第二回関西九州府県連合水産共進会」が長崎市で開かれた。」
とありましたから、この創立25年紀念も長崎で行われたのかな?
と推理しました。
どうも腑に落ちない。何か変だと感じ、ここで一旦書くことを休止しました。

理由は、
この絵葉書が入手時<数枚の他の絵葉書>と一緒に袋に入っていたからです。
light2016年08月24日04時23分51秒_002 light2016年08月24日04時24分00秒 light2016年08月24日04時24分18秒開港五十年紀念絵葉書2点
東京勧業博覧会
第十回関東区実業大会
そしてこの一枚でした。
この五枚がまとまっているのは偶然か?何かの理由があったのか?
ここで再度、資料を探ってみることにしました。
同封の他の絵葉書に関して調べ始めると
実にお恥ずかしい話、簡単に謎が解けてしまいました。
時系列に並べました。
1906年(明治39年)10月〜
第十回関東区実業大会
1907年3月20日(明治40年)〜
東京勧業博覧会
1909年(明治42年)
開港五十年紀念絵葉書
(同時開催)
第十回関東区実業大会
1906年(明治39年)10月〜
日露戦争が集結した明治38年、国家破産寸前の戦争を米国の仲介で終えた日本は、国民の猛烈な批判を浴びつつも、なんとか勝利宣言し国家財政の立て直しのために産業振興策を打ち始めます。
関東区実業大会は、東京・神奈川・埼玉・群馬・千葉・茨城・栃木・長野の1府7県が参加し、毎年秋に開催され区切りとなる第10回は横浜で開催。
この第十回関東区実業大会と同時開催されたのが
「大日本水産会創立二十五年記念水産共進会」ということが判りこの絵葉書の謎が判明しました。
「大日本水産会」の沿革に記載して欲しい!!
(一連のイベント)
この絵葉書群をいっしょにされていた方は、恐らく数年間の大きなイベントの記憶のために一緒にされていたのかもしれません。この時期は、前述の通り、日露戦争終結後から第一次世界大戦までの戦間期です。
経済も変動が多く、人々の意識もうつろい生活に変化が起こっていきます。
絵葉書の魅力は、統一されたサイズに時代の情報が記載されていることです。
(略年表)
明治15年2月
大日本水産会創立、小松宮彰仁親王を会頭に奉戴。品川弥二郎氏を初代幹事長に選出
明治15年4月
「大日本水産会報告」第1号発刊
明治16年3月
第一回水産博覧会上野で開催
明治19年3月
水産共進会 東京上野公園で開催(第三回?)
明治20年
大日本水産学校 設立(短命)
明治21年
石巻を会場として水産共進会が開かれ、これが起爆剤となって石巻の水産業が発展
明治22年1月
水産伝習所(東京水産大学→東京海洋大学)の開所式を挙行
明治23年7月
水産功績者の第一回表彰を行う、戦後数年を除き毎年実施
明治25年8月
大日本水産会報告を「大日本水産会報」と改題
明治28年1月
本会幹事長が帝国議会に漁業法案を提出、本法案が漁業諸法制制定の端緒になる
明治30年
水産伝習所、農商務省の水産講習所に組織変更
明治30年3月
遠洋漁業奨励法制定
明治34年4月
漁業法公布
明治36年
神奈川県水産共進会
明治37年2月
対露宣戦布告
明治39年10月14日
第10 回関東区実業大会(から16日)※毎年秋に開催
会議に合わせて大日本水産会の創立25年記念水産共進会と、
横浜港輸出品の改良発展をはかる目的で横浜輸出品品評会が開かれた。
明治39年11月
大日本水産会創立25年記念水産共進会審査報告
明治40年
水産共進会三重県 津で開催
明治40年12月3日
水産共進会本県受賞者 一等古賀辰四郎他
明治40年9月
第2回関西九州府県連合水産共進会(塩)大日本水産会報300号(明治40.9)
明治41年
第二回関西九州府県連合水産共進会
明治42年5月
社団法人許可、漁業模範船「水産丸」を7月に進水
明治44年4月
農商務省設置
大正5年5月
「水産宝典」発行 大日本水産会報を11月に「水産界」と改題
大正12年3月
中央卸売市場法公布
大正12年9月
関東大震災
大正12年10月
朝鮮水産共進会。10月10日から31日にかけて開催。
朝鮮水産共進會総裁 有吉忠一※ 朝鮮政務総監(〜大正13年)
朝鮮水産共進會長 和田純 慶尚南道知事
朝鮮水産共進會協賛會会長 香椎源太郎
朝鮮水産共進會事務総長 小西恭介
朝鮮水産会長 西村保吉
※大正14年、第10代横浜市長に就任、復興事業を推進。
大正15年1月
石垣産業奨励会(現農林水産奨励会)を設立
昭和7年5月
「日本水産動植物図集」完成
昭和7年10月
全国漁業組合大会の開催、漁業法改正、重油対策等を検討
昭和8年5月
「水産デー」を設定、毎年行事を開催
昭和8年12月
東京中央卸売市場竣工
昭和16年12月
対米英宣戦布告
昭和20年5月
三会堂ビル戦災により焼失
昭和20年8月
終戦
昭和20年9月
トルーマン宣言(大陸棚地下資源等)
昭和22年7月
水産振興会議を設置し水産庁の設置、資材確保、金融問題等検討を行う
昭和23年7月
水産庁発足
昭和24年12月
新漁業法制定
昭和26年10月
戦後最初の全国水産大会の開催
以下省略