【横浜の橋】№5 移民橋
「移民橋」という名の橋はない。 移民の街だった「横浜」だからこそ“移民”の橋があった。 四方を海に囲まれた日本に暮らす我々にとって、国境は海にある。 「海外」という熟語がふさわしい。 国交を限定してきた江戸時代から明治に… 続きを読む »
「移民橋」という名の橋はない。 移民の街だった「横浜」だからこそ“移民”の橋があった。 四方を海に囲まれた日本に暮らす我々にとって、国境は海にある。 「海外」という熟語がふさわしい。 国交を限定してきた江戸時代から明治に… 続きを読む »
目下、横浜の橋の原点ともなる「吉田橋」に関して資料発掘中。 面白い素材を発見したが<謎>が究明できないので別な話題として帷子川河口の簡単な取りまとめをしてみたい。 橋の多くは<川>に架かる。現代は陸橋も多いが、基本 橋と… 続きを読む »
1月17日は阪神淡路大震災から21年目だった。 私たちは9月1日、3月11日と共に忘れてはならない震災の日である。 “災害は忘れた頃にやってくる”のではなく “災害は忘れなくてもやってくる”ことを自覚しておく必要がある。… 続きを読む »
横浜の橋といえば「吉田橋」を採り上げない訳にはいかない。横浜開港場が誕生した時に架けられて以来、この町の成長を見守ってきた横浜の代名詞といっても過言ではない。今回から数回に分けて「吉田橋」を紹介する。 まずは簡単に「吉田… 続きを読む »
横浜市内でこのような“橋との出会い”があるとは想像もしなかった。 まるで映画の一シーンのように“この橋”は目前に現れた。出会いの時期、ルートにも恵まれたのかもしれない。現存する最古のアーチ型石造橋だそうだ。「昇龍橋」 橋… 続きを読む »
「関内」という住所は無く開港時の居留地一帯を<関内(かんない)>と呼んでいます。 外国人居留地が治外法権であると同時に、外部と隔絶したエリアであったため、そこに関所を設け関所の内側と外側を表す地域名称として「関内」という… 続きを読む »
1954年(昭和29年)6月30日 「西区高島通り1丁目5番地にある横浜ホテルを東急が買収(東京急行50年史)」 (東西戦争) 戦後、 神奈川県下で五島慶太・昇 率いる「東急」と堤義明・清二率いる「西武」の熾烈な開発競争… 続きを読む »
1875年(明治8年)6月29日のこと 「学舎の名を<学校>と改称(横浜歴史年表)」 横浜の小学校は制度として1872年(明治5年)から寺院等を使って始まりました。それ以前に江戸時代からの<寺子屋>として地域の教育機関だ… 続きを読む »
1925年(大正14年)3月3日 アジア初の「日本フォード」製造工場が横浜市神奈川区子安に開設されました。 http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=6947 このフォードの進出は、日本… 続きを読む »
1980年(昭和55年)6月13日〜15日の三日間 「横浜港開港120周年・横浜商工会議所創立100周年記念」イベントにC58が走りました。その頃はまだ横濱に暮らしていなかったので写真も当時の雰囲気もわかりませんがネット… 続きを読む »