【横浜の橋】№3-2 震災と横浜の橋
1月17日は阪神淡路大震災から21年目だった。 私たちは9月1日、3月11日と共に忘れてはならない震災の日である。 “災害は忘れた頃にやってくる”のではなく “災害は忘れなくてもやってくる”ことを自覚しておく必要がある。… 続きを読む »
1月17日は阪神淡路大震災から21年目だった。 私たちは9月1日、3月11日と共に忘れてはならない震災の日である。 “災害は忘れた頃にやってくる”のではなく “災害は忘れなくてもやってくる”ことを自覚しておく必要がある。… 続きを読む »
横浜の橋といえば「吉田橋」を採り上げない訳にはいかない。横浜開港場が誕生した時に架けられて以来、この町の成長を見守ってきた横浜の代名詞といっても過言ではない。今回から数回に分けて「吉田橋」を紹介する。 まずは簡単に「吉田… 続きを読む »
ここに一枚の絵葉書があります。 タイトルは「大日本人造肥料株式会社横濱工場」です。 画像奥には社名の入った大煙突と工場の全景が写っています。 今日のテーマは、この「大日本人造肥料株式会社横濱工場」に架かる橋の謎解きをして… 続きを読む »
横浜市内でこのような“橋との出会い”があるとは想像もしなかった。 まるで映画の一シーンのように“この橋”は目前に現れた。出会いの時期、ルートにも恵まれたのかもしれない。現存する最古のアーチ型石造橋だそうだ。「昇龍橋」 橋… 続きを読む »
道路をまたぐ橋を「跨道橋(こどうきょう)」、線路を跨ぐ橋を「跨線橋(こせんきょう)」、駅舎やホーム同士を連絡するために架けられるものを「跨線人道橋(こせんじんどうきょう)」と呼ぶ。この中で「跨線橋」が描かれている有名な絵… 続きを読む »
新年明けましておめでとうございます。 今年2016年は年間を通して幾つかのテーマに絞っていきます。 その一つが『橋』です。橋は川や谷、鉄道や海といった人が通れない場所を<繋ぐ>役割を持っています。橋をめぐる物語は深い味わ… 続きを読む »
「関内」という住所は無く開港時の居留地一帯を<関内(かんない)>と呼んでいます。 外国人居留地が治外法権であると同時に、外部と隔絶したエリアであったため、そこに関所を設け関所の内側と外側を表す地域名称として「関内」という… 続きを読む »
1966年(昭和41年)6月28日 「台風4号で第二磯子寮が被災。女性職員3人が犠牲(横浜市営交通八十年史)」 昭和41年台風第4号は6月28日の今日、房総半島に接近し神奈川県内に大きな被害をもたらしました。 http:… 続きを読む »
1925年(大正14年)3月3日 アジア初の「日本フォード」製造工場が横浜市神奈川区子安に開設されました。 http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=6947 このフォードの進出は、日本… 続きを読む »
目下1930年代の短期間に発行していた「市電ニュース」の風景を読み解いています。1931年(昭和6年)5月 九日 横濱高工對日大野球戦(午後二時半横浜公園球場にて) 九日 春季體育大会(電車及バス市役所前下車) =午后六… 続きを読む »