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「神社巡り」カテゴリーアーカイブ
No.468 横浜で学ぶ(神社編3)
神社編1、2に続き久しぶりですが
(神社編3)で、神社巡りの人気アイテム
狛犬(こまいぬ)を紹介しましょう。
狛犬全般、全国の狛犬紹介サイトはかなり多くあります。
ここでは限定的「横浜の狛犬」巡りを!
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皇紀2600に建てられた日枝神社の狛犬 |
まず、狛犬とは?
神社に奉納、設置された空想上の守護獣像で、
参道や拝殿の前に対(つい)で配置されています。
本来は「獅子・狛犬」といい、獅子と狛犬が対になっているのが日本独特の姿です。
神殿に向かって
右側が 口を開いた角なしの「阿像(あぞう)」で獅子、
左側が 口を閉じた角ありの「吽像(うんぞう)」で狛犬が設置されています。
この阿吽(あうん)の形は、日本独特のスタイルだそうです。
ところが、姿は阿吽共に“獅子”に、
逆に呼称は“狛犬”とする傾向にあります。
姿は凛々しく!呼び方は親しみやすく ということでしょうか。
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鞠を抑える阿像 |
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子どもと一緒の吽像 |
元々、インドから中国に伝わり、沖縄経由で日本に定着したようです。
中国の獅子像は一対になっているもの、単体のものありますが
対のものはほとんどが相似形で同じものが並んでいます。
※日本文化は、比較的左右非対称を好む傾向があるようです。
「左近の桜 右近の橘」
※参考サイト
http://www.asahi-net.or.jp/~dw7y-szk/bunrui0.htm
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凛と立つ牙をむき出しにする吽獅子 |
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吠える阿獅子 |
(狛犬だけじゃない)
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お稲荷さんでは「きつね」の場合も |
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ねずみが鎮座する「杉山神社」 |
横浜市西区中央にある「杉山神社」には対のネズミが神殿を守っています。
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かなり現代っぽい獅子像 |
No.427 横浜で学ぶ(神社編2) 「横浜で鳥居に出会う」
No.156 6月4日(月) 三ツ池公園「コリア庭園」開園
(狛犬の隣人?ヘッテ)
(中国の座獅子、風鎮)
中国の廈門、台湾の金門に多く建っている風の神様「風鎮」は
狛犬の原型?ともいわれています。
沖縄に伝わり「シーサー」となっていきます。
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金門島の風鎮 |
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金門島の風鎮 |
No.426 横浜で学ぶ(神社編1)
近年、歴女から発展し神社ファンが急増中とか。
神社検定も始まりました。
横浜の神社で「神社」を学んでみましょう。
体系的ではありませんが、ちょいネタで
横浜の神社をお楽しみ下さい。
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伊勢山皇大神宮 |
【横浜の神社】
神社といえば?
全国で最も多いといわれている神社は
「お稲荷様」と「八幡様」だそうです。
神社と一言で表現しますが、神社も色々分類できます。
※合祀(いっしょに祀られる)等で実数値は確定できにくいのですが
ネット、マップ等で集めたリストを原資料にしています。
八百万(やおよろず)の神が神社に祀られていますが
横浜市内では「杉山神社」
五十猛神(スサノオの子)を主祭神とする神社
が一番多いのが特色です。
ここで少し紹介しました。
別に改めて神社探索の一環として
「杉山神社」を紹介する予定です。
今回は 一般的な“じんじゃ”から横浜を眺めてみましょう。
●稲荷神社(いなりじんじゃ)
→「稲荷神社の総本社は伏見稲荷大社とされている。元々は京都一帯の豪族・秦氏の氏神」
主祭神は宇迦之御魂神(うかのみたま)
赤い鳥居が多いので目立ちます!!
→横浜のお稲荷様
多数!!!あります。ざくっと100ありました。
小さな地域の「お稲荷さん」も入れるともっと増えるでしょう。
●八幡神社(はちまんじんじゃ)
→「八幡宮は、八幡神を祭神とする神社。八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。全国に約44,000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とする。(Wiki)」稲荷神社と並んで全国で最多の神社です。(実数不明)
主祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)
→横浜の八幡様
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)金沢区富岡東4ー5ー41
戸塚区に「八幡様」が多く点在します。理由は追求していません。
→舞岡八幡宮(まいおかはちまんぐう)戸塚区舞岡町946
村の鎮守という原風景を持っている神社が「舞岡八幡宮」です。
八幡神社(はちまんじんじゃ)戸塚区下倉田町宮谷470
八幡大神(はちまんだいじん)戸塚区吉田町1263
冨塚八幡宮(とみづかはちまんぐう)戸塚区戸塚町3828
八幡社(はちまんしゃ)戸塚区秋葉町343
子之八幡社(ねのはちまんしゃ)戸塚区上倉田町978
八幡社(はちまんしゃ)戸塚区上矢部町1949
八幡社(はちまんしゃ)戸塚区矢部町辻1003
※私のリストでは40社あります。
この他
●神明社(しんめいしゃ)
→「神明神社」(しんめいじんじゃ)は、天照大神が主祭神です。
総本社は伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)です。お伊勢様とも言います。
横浜市内では、杉山神社に次いで多い?
「神明神社」リストには50あります。
●お伊勢様(おいせさま)
横浜の神社といえば
横浜の総鎮守「伊勢山皇大神宮」(いせやまこうたいじんぐう)
横浜市西区宮崎町64
ここは「神明神社」の分類に入ります。
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伊勢山皇大神宮の雪景色 |
●浅間神社(せんげんじんじゃ)
浅間神社は
「富士山に対する信仰(富士信仰、特に浅間信仰)の神社」
祭神は多数ですが
源 頼朝、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)という女神
が祀られています。
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横浜市西区 浅間神社 |
浅間神社(せんげんじんじゃ)西区浅間町1ー19ー10
次回は横浜で学ぶ鳥居入門を!
No.380 1月14日(月)川鎮
この三日、川に因んだ話題を紹介していますが今日も横浜の川ネタでいきます。
横浜の川の流域には不思議な神社が存在しています。
神社ファンには超有名な話しです。
鶴見川水系には「杉山神社」、境川水系には「左馬(さま)神社」が点在しています。
共に暴れ川の鎮守様として地域信仰の役割も担っていたようです。
(杉山神社)
「杉山神社」は、横浜を中心に川崎、町田に70近く点在します。
全国的に観てもこのエリアに集中している珍しい神社です。
一般的に「杉山神社」は
http://ja.wikipedia.org/wiki/杉山神社
「五十猛神(スサノオの子)を主祭神とする神社である。旧武蔵国都筑郡茅ヶ崎に紀州系忌部氏により祀られ、同氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに、現在の神奈川県横浜市を中心に川崎市、東京都稲城市などに72社が現存している。」とあります。
一方で、
鶴見神社の縁起には、
「鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。」とあります。また、
「鶴見神社は往古は杉山大明神と称し、境内地約五千坪を有する社でありました。その創建は推古天皇の御代(約1400年前)と伝えられております。続日本後記承和五年(約1180年前)2月の頃に『武蔵国都筑郡杉山の社、霊験あるを以って官幣を之に預らしむ。』」ともあります。
http://www18.ocn.ne.jp/~tsurujin/contents/yuisyo.html
由緒の真偽は別にして、
杉山神社をマップに落としてみると、鶴見川流域に多く他の杉山神社も「帷子川水系」「多摩川水系」「大岡川水系」流域に点在していることがわかります。
川無くして田畑は実らず、されど川は暴れる中で、川への鎮守として杉山社が信仰されたのでしょう。近くの杉山神社を探し、水辺までの道筋を楽しんではいかがでしょうか?
(杉山神社紹介)
多く点在する杉山神社の中から幾つか紹介しましょう。
鼠神社
西区中央にある「杉山神社」は旧戸部村の鎮守様で江戸時代は「杉山明神社」と称して願成寺を別当寺とし、幕府より朱印地を与えられていました。
本殿には対の大己貴命の使いである高麗鼠が鎮座し、一回転廻するならわしです。この鼠は地域の子供達の人気ものでもあります。
(左馬神社)
市内の鶴見川・帷子川等の流域に多く点在する「杉山神社」に対し、境川の狭い地域にだけ点在する「左馬・鯖神社」は12しか確認されていません。
「左馬・鯖神社」は、左馬(さま)・鯖(さば)・佐波・左婆などと呼ばれますが、源義朝を祀る神社として江戸時代初期に建立されたものが多いようです。全国にもここだけにしか無い神社で最近見学者が急増中です。
境川は相摸の国と武蔵の国の境に流れる川ですが、水害湛水域でもあり
暴れ川の鎮守と義朝の霊を合祀したのが始まりでした。
何故?源義朝?
このあたりの話しは、【番外編】にて続編として
謎解きをしてみましょう。
No.249 9月5日(水)保土ケ谷駅周辺散策 (写真追加)
今日は地域散策ネタでいきます。
横浜歴史年表に「1929年(昭和4年)9月5日久保町杉山神社の遷宮式が行われた」とありましたので、実際に久保町(現在は西久保町118)の杉山社(正式には?)に行ってきました。
遷宮式とは「ご神体を従前とは異なる本殿に移す儀式のこと」です。
杉山神社の主祭神は五十猛命(イソタケルノミコト)です。
元々林業の神様ですが、造船、航海安全、大漁の神としての信仰もあついとか。
また
杉山神社は、
現在の神奈川県横浜市を中心に川崎市、東京都稲城市などに72社が現存する不思議な神社です。
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帷子川、大岡川周辺の杉山神社 |
鶴見川水系沿いを中心に点在していますが、
帷子川・大岡川周辺にも幾つか建立されています。
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修正版 |
この久保町杉山社は(上図の⑪あたり)
国道一号線に面した保土ケ谷宿の山裾にある神社です。
久保町杉山社のある保土ケ谷宿は
東海道五十三次四番目の宿場で江戸時代に栄えた歴史ある街です。
お江戸日本橋から八里九丁(約32キロ)の距離に位置し江戸時代の旧東海道に沿っておすすめスポットがぎっしり詰まっている街です。
一部を紹介しましょう。
①追分(おいわけ)
旧東海道と旧八王子道との分岐点です。
同時に、新旧東海道の分岐点でもあり碑が建っています。
②洪福寺松原商店街
ご存知な方も多いのでは?
激安商店街です。夕方は曜日に関係なく何時も混んでいます。
③橘樹神社(たちばなじんじゃ)
横浜最古の庚申塔(寛文九年銘)があります。
④帷子橋跡モニュメント
(相鉄線)天王町駅前公園になっています。
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かつて流れていた帷子川架橋をモニュメントにしています |
⑤保土ケ谷宿の古寺群
江戸時代栄えた宿場の古寺群が多くあります。
○おそば屋さん「二五八」
⑥YBP
ヨコハマビジネスパーク
公共アートのオブジェがいっぱいあります。(トイレ)
元ビール工場でしたので「ビール坂」があります。
⑦神明神社
横浜市内では最も 由緒の古い神社の一つといわれています。
○田中金魚店 昔からある金魚の専門店です。
⑧(ここからハイキング)井土ケ谷まで1時間コースです。
○福聚寺
No.218 8月5日 (日)夢の夢の夜夢覚め
●御台所の井戸(北条政子の井戸)
北条政子が鎌倉への旅すがらここで休み井戸水を使ったという伝説のある井戸が残されています。
いわな坂から清風高校(急坂)を抜けると
●北向き地蔵
金沢道と弘明寺道の分かれ辻にお地蔵様が建っています。方角も示すため北向き地蔵といわれます。
⑨保土ケ谷駅前
バスターミナルの横に「ふらんすやま」の(唯一の)支店があります。
「権太鮨」も渋く人気です。
⑩其角の句碑あたり
保土ケ谷宿 陣屋(今工事?解体?中)
⑪杉山社
現在は旧東海道から鉄道や国道に隔てられていますが、旧宿場内の社寺です。
⑫旧道商店街
ここから藤棚商店街が続きます。
全部散策するにはたっぷり1日かかりますが、適時コースを選択して秋の半日を楽しんでください。
最後はこの辺で食事というものも良いでしょう。
No.143 5月22日 横浜遺産、あまりに無名!
北緯:35度26分01秒
東経:139度37分50秒
この位置にあるごく普通の神社、
明治時代の そして横浜の貴重な刻印の物語をご紹介しましょう。
(まえおき)
1932年(昭和7年)の今日、現在の南区八幡町にある中村八幡宮の上棟式が挙行されました。
“おそらく”関東大震災で受けた本宮の再建が行われたものです。
創立年代は不詳ですが、第60代天皇醍醐天皇(885年〜930年)の頃すでに「八幡大明神」の神祠としてここにあったと伝えられている神社です。
社格は明治6年に八幡村の村社となりました。
この神社はごく普通の“村の鎮守様”ですが、Wikipediaの【八幡神社】には
横浜の八幡神社の一つにリストアップされています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/八幡宮
中村八幡宮(横浜市南区八幡町)
杉田八幡宮(横浜市磯子区)
根岸八幡神社(横浜市磯子区根岸)
舞岡八幡宮(横浜市戸塚区舞岡町)
八幡社(横浜市青葉区)
※横浜市内にはざっと数えても36もの八幡神社がありますから、選ばれた理由を知りたいところです。この中村八幡宮は、横浜橋商店街を抜け三吉演芸場を過ぎ「三吉橋」を渡り寂れてしまった「三吉橋商店街」の途中にあります。
ここに、1876年(明治9年)8月から1年間だけ作られたきわめて珍しい内務省地理寮水準点(BENCH MARK)が残されています。
日本近代測量の重要な遺産ですが、現在数えるほどしか残存していません。
なかでも当時の位置に残っているものは文化財に指定されるほど貴重なものです。
(BENCH MARK)
横浜は日本で最初に近代測量が行われ五千分の一地図を完成させた街です。
明治新政府が近代国家となっていく上で正確な「地図」が必要となり明治7年(1874年)1月、内務省に地理寮(後の地理局、現在の国土地理院)を設置しました。
てはじめに開港5港(横浜・神戸・新潟・函館・長崎) と東京・大阪・京都など主要都市の市街図作成に力を注ぎました。
測量の基本は三角点を使った「三角測量」ですが、高低差の正確な測量には三角点に加えて標高の位置情報が必要となります。
当時、恒久的な建築物や石組み、または標石等に
「不」の字に似た記号を刻み、計測点とし横棒部分が標高ラインを示しました。
この記号“水準点”が内務省地理寮水準点(高低几号標)で、英語ではBENCH MARKといいます。
この頃、政府は欧米列強各国のスタンダードモデルを急いで取り入れた時代でした。
このBENCH MARKは導入期に1年だけ採用されたイギリス式の測量技術の貴重な遺産です。
なぜ日本語で「几号」というか面白いエピソードが残っています。
記号から机を連想し、机と同じ意味の「几」の字を当て「几号(きごう)水準点」もしくは不の字から「不号水準点」と呼ばれました。
(余談)
港湾用語で、船に積み下ろしをする積荷を一時的に保管して荷捌きをする簡単な小屋(保税倉庫)を上屋(うわや)と呼び作業を「上屋業務」といいます。開港時、外国人(英語系)がこの建物を見てWare houseと呼び、日本語の「上屋」の造語ができたと言われています。
(貴重な「不」の字に似た記号)
測量の行われた横浜にはこの内務省地理寮水準点が幾つか残っています。
震災、空襲、接収という三大苦を経ても現存しているのは大変なことなんですが、一部のマニアにしか知られていないのは残念です。
■中村八幡宮以外の横浜「不号水準点」
(本牧山妙香寺)
横浜市中区妙香寺台8
北緯:35度26分01秒、東経:139度39分02秒
→未調査(すみません)
(山谷庚申塔)
横浜市南区山谷110
北緯:35度25分47秒、東経:139度37分31秒
(伊勢山皇大神宮)
横浜市西区宮崎町64
北緯:35度27分00秒、東経:139度37分36秒
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設置当時から移動されています |
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覗き込まないと見えません |
■観光コンテンツ
寺社は重要な観光コンテンツです。
その歴史軸、カテゴリー軸(祭祀)、由緒軸等だけでは「京都」に「鎌倉」にかないません。
横浜の観光コンテンツ構築にはそこに別なサブカテゴリーをセットすることで確実なものになっていきます。
まだまだひろがる「横浜コンテンツ」