嘘ではないが間違っている
この絵葉書の風景解読には少し時間がかかりました。まず表題に「横濱高等小学校前」とあります。校舎は水辺に沿っている瀟洒な建物でしょうか。いくつか洋風の建物が確認できます。でも横浜市内で明治後期から大正初期、水辺に建っている… 続きを読む »
この絵葉書の風景解読には少し時間がかかりました。まず表題に「横濱高等小学校前」とあります。校舎は水辺に沿っている瀟洒な建物でしょうか。いくつか洋風の建物が確認できます。でも横浜市内で明治後期から大正初期、水辺に建っている… 続きを読む »
汽車道は近年人気のプロムナードで、土日休日は行列のように通行人が繋がる。桜木町駅前から新港埠頭を繋ぐ約500mの遊歩道で、感覚的には「赤レンガ倉庫」がゴールのように感じられるが、手間で終点となる。大正期に完成した新港埠頭… 続きを読む »
運河時代の地図をベースに中村川と日ノ出川、吉田川と派大岡川に囲まれた一帯を最も占める町内をまとめて「埋地七ケ町」と呼んでいます。字のごとく、埋め立てられ宅地となった当時の松影町、寿町、扇町、翁町、不老町、万代町、吉浜町を… 続きを読む »
かつて大岡川運河群の背骨に当たる「吉田川・新吉田川」現在は大通り公園と呼ばれています。現在、そのなごりとしてこの通りの関内駅寄りに「日ノ出川公園」があります。日ノ出運河は全長約600mで、運河時代 吉田川と中村川に繋がっ… 続きを読む »
大岡川運河群は1970年代まで日常の風景だったが、多くが消えた。 だが、いわゆる吉田新田域が運河の街だった記憶はまだ残されている。その記憶・残照をたどりながら運河にまつわる物語を書き残しておく。 ■中村川運河JR根岸線「… 続きを読む »
以前別のところにアップしたテーマを加筆修正してここにアップします。現在の横浜市南区六ツ川界隈にかつて<温泉旅館群>が点在していました。温泉と言っても冷泉(ラジウム泉)を沸かして提供したと思われます。六ツ川近辺に関する文献… 続きを読む »
<階段>の視点で横浜を紹介します。 横浜の階段、第一弾は元町百段坂です。 ここは下記のブログで紹介しました。 【横浜の風景】元町百段坂を数えてみた! http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/… 続きを読む »
横浜の運河を追いかけています。 今回は「派大岡川運河」です。 大岡川と中村川を結び、吉田新田誕生と同時に誕生し昭和48年に消えた運河です。 上図は、幕末開港直前の吉田新田付近です。横浜村がペリーとの交渉場所となり、その後… 続きを読む »