【番外編】戦後の横浜を読む(№917)
横浜の戦後も遠くなりつつあります。 占領時代は特に横浜の戦後を語る上で欠かせない時間です。関内外、周辺の工場や軍事施設が空襲を受け、捕虜収容所にも被害がありました。 第847話 1945年(昭和20年)7月13日「海芝浦… 続きを読む »
横浜の戦後も遠くなりつつあります。 占領時代は特に横浜の戦後を語る上で欠かせない時間です。関内外、周辺の工場や軍事施設が空襲を受け、捕虜収容所にも被害がありました。 第847話 1945年(昭和20年)7月13日「海芝浦… 続きを読む »
かつて、幕末から明治にかけて居留地には外国人経営によるホテルが数多く誕生しては消えて行きました。その中で、明治・大正時代の開港場を代表するホテルが幾つかありましたが、その一つがクラブ・ホテルです。1884年(明治17年)… 続きを読む »
私は横浜の路上を意識的に観察し始めて10年、 一昨年からは仲間を集めて横浜路上観察学会なるものも始めました。 このブログでは殆ど紹介していなかったので、これも横浜の一風景ということでこのブログに紹介することにしました。 … 続きを読む »
昔の風景写真に出会ったとき、いつごろの時代なのか気になります。 展示会や、資料には推定年代が示されていることも多いので史料として役立ちます。 一方で、年代の分からない風景に出会うと、これまた別の意味で興味が湧いてきます。… 続きを読む »
横浜側:長尾台、田谷 鎌倉側:玉縄、岡本 今年の春、市境踏破を目指しました。ほぼ全市境あたりを歩きましたので、第二ステップでは、市境をもう少し探ってみることにしました。 (長尾台) 大船駅西口から柏尾川に沿って上流に向か… 続きを読む »
近年、横浜の近世以前が丁寧に解説されるようになってきました。確かに開港一辺倒の横浜史が多い時期もありました。 今年は吉田新田完成350年ということもあり、近世=江戸時代に少し光が当たっています。 さらに時代を遡って中世の… 続きを読む »
「関東のお伊勢さま」と呼ばれている伊勢山皇大神宮は、開港後の急激な近代化する横浜港の鎮守様として野毛山に1870年(明治3年)創建されました。 【伊勢山皇大神宮】 所在地:横浜市西区宮崎町64 宮司は池田正宏… 続きを読む »
素人調べレベルと予め宣言しておきます。 大岡川河口域に広がっていた<内海>は絵図を見ると新田開発が始まるまでは、漁場だったようです。<横浜の砂州>が冬場の北波を防ぐ防波堤の役割をしていたから中々の漁場だったのではないでし… 続きを読む »
大岡川に関心を持った中で 江戸期の百姓の姿を知りたいと考えました。 そこで この夏の集中テーマを江戸の「百姓」に置き 学習計画を立てました。 大岡川下流域、横浜村エリアに暮らした百姓の姿を推理するには何が必要か? と考え… 続きを読む »
ここに「横濱村辺之図」という江戸末期に描かれた絵図があります。 横浜の歴史を大きく変えた米国ペリー艦隊が横浜沖に集結している様子を描いたものです。 さて? この絵図の描いた時期はいつごろか?最初にペリーが江戸湾に現れたの… 続きを読む »