No.459 夏休み特集横浜鉄道ネタです?!
日本初の鉄道は横浜(現桜木町)から汐留(現品川)まで
全営業距離29.0kmから始まりました。
このブログで きちっと“はじめて鉄道”ネタ紹介していませんでした。
今日は 横浜はじめて鉄道ネタをちょっと紹介します。
■初めての鉄道!開業日は6月?10月?
「鉄道記念日」は10月14日
1872年10月14日(明治5年9月12日)新橋駅〜横浜駅間開通
に因んでいます。
ところが
実際に開業したのは 4ヶ月前の
1872年6月12日(水)(旧暦明治5年5月7日)です。
仮運転???でも無かったのですが 記念日を開業日にしなかった
珍しい例の一つかもしれません。
このへんの事情は少し下記で紹介!
No.164 6月12日(火) JR JR
開業早々に“駅売り”を始めたのは スコットランド人のジョン・レディ・ブラックだそうです。
■開業時の運賃は?
上等が1円12銭5厘
中等が75銭
下等が37銭5厘でした。
※下等運賃の37銭5厘は当時の米1斗(約15kg)と同じ金額(鉄道歴史展示室資料)
(Wiki)では「下等運賃でも米が5升半(約10kg)買えるほど高額なものであった」とありますから少し異なります。
(朝日新聞資料では)明治5年白米10kgで36銭とあります。
まあ高額であることは間違いありません。
※開業前に値下げ!
1872年4月12日(明治5年3月5日)開業2ヶ月前に
品川駅〜横浜駅間の運賃を
「上等1円50銭、中等1円、下等50銭」と決定しますが、
最終的に「新橋駅〜横浜駅間」が
上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭5厘ですから
値下げされたことになります。
■鉄道開業のお初は横浜ですが
「新橋駅〜横浜駅間」開業後、
全国で創業ラッシュとなります。
特に手軽な路面電気鉄道は明治期に
ざくっと数えて約50社も開業します。
横浜では「横浜電気鉄道」(後の市電)が明治37年7月15日に
神奈川〜大江橋間の運転を開始します。
「神奈川駅」は現在の青木橋
「大江橋駅」は桜木町駅前です。
第2期線として
「大江橋」〜「西の橋」現在の元町入口近辺が着工されます。
最終的に
明治45年までに
横浜電気鉄道網は「税関線・住吉町線・本牧線・羽衣町線・滝頭線」等が開通します。
※横浜電気鉄道はその後大正10年4月に横浜市営となります。
市営になり、昭和に入り黄金の市電時代が始まります。
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明治期の横浜電気鉄道網(推測) |
■その他の鉄道は
上記紹介の「新橋駅〜横浜駅」開業後
●1887年(明治20年)
国鉄横浜駅〜程ヶ谷駅〜国府津駅間が延伸開業(横浜駅でスイッチバック)。
●1905年(明治38年)
私鉄では京浜電気鉄道(後の京浜急行)が
品川(現・北品川)〜神奈川間開通します。
●1908年(明治41年)
東神奈川駅〜八王子駅間(現在の横浜線)が開業します。
(大正・昭和初期)
戦前期、横浜の鉄道網は神中鉄道(相鉄線)と湘南電気鉄道と京浜電気鉄道が
日ノ出町でジョイントされ、京浜急行として横浜エリアを縦断します。
No.88 3月28日 京浜湘南電鉄連結地点
現在の鶴見線も昭和初期に整備されます。
今日は紹介できませんが、昭和初期鶴見線ができる頃 川崎に一大計画があったんですね!!後日お楽しみに!!
No.458 相摸のもののふは杉田を目指す?
今日は 横浜市磯子区南部に位置する“杉田”エリアを紹介します。
現在の杉田エリアは、京浜急行「杉田」駅とJR根岸線「新杉田」を結ぶ「ぷらむろーど」を中心に商店街が拡がっています。歴史ある時代で表情が変化した
時をさかのぼれば 広大な歴史の舞台「杉田」が浮かびあがってきます。
調べれば調べる程、面白い杉田です。
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杉田妙法寺の蓮(今が見頃です) |
(東西南北)
■東は海。
かつては船で杉田観光に!
■西は笹下川(ささげがわ 大岡川の支流)流域
鎌倉武士の城があった“金沢道”周辺は面白い!
■南は金沢区富岡に隣接する起伏のある丘陵地
梅で有名な杉田の梅林は富岡との境あたりに群生?
■北は中原(屏風ヶ浦)あたり
現在の「杉田エリア」明治期、久良岐郡屏風ヶ浦村の一部でした。
杉田の名は 江戸時代から梅の名所で有名でした。
(意外な?因縁)
杉田(すぎた)といえば?昔を良く知る人は「梅」と答えます。
商店街も「ぷらむろーど」ショッピングビル名も「プララ」と名付けられています。
「梅林小学校」「杉田梅林トンネル公園」といった名称もあります。
かつて広大な「梅林」が杉田にはありました。
「梅林小学校」絶景ポイントでもあります。
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梅林小学校近くの眺望 |
この杉田梅林を創り上げたのがこの地の領主「間宮信繁」という人物です。
天正年間頃16世紀後半の時代です。杉田という土地柄は、起伏が多いため稲作に向いた田畑に恵まれませんでした。漁業が中心の貧しい寒村でしたが
この地を治めた間宮信繁が地域の産業として梅の植林を奨めます。小田原の曾我梅林に習ったといわれています。梅を地域産業として鎌倉時代から梅を育ててきた曽我に習い、「杉田梅」は小田原から移植したのではなく、逆に今 磯子で失われた「杉田梅」が小田原に残っている状況です。
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曾我梅林2013 |
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曾我梅林と冨士 |
数十年後には見事な梅林が育ち、年ごとに梅林が拡がっていきました。
最盛期には三万六千本にも達したそうです。
江戸初期は梅の実が農民を助け、
江戸後期から明治期には「梅の花の名所」として観光地となります。
多くの文人墨客もこの「杉田梅林」を愛でます。
「我等が郷土神奈川県下には由来天恵的に名勝或は史蹟の地として指を屈するの 地洵に多く,従って之れ等各勝地に遊杖せる古今の俳人墨客の数も相当多く,又 それらの人々に依って残された吟詠も決して少なくありません。今茲に編する杉 田金澤両地の内,杉田は往古より杉田梅林として其名高く例へば吟江の 吉野の みか梅の杉田もこれはこれはの句の如く,又「杉田の梅林に遊びて」と題書せる 抱一上人の これはこれはこゝをや梅の吉野山の句の如き,ともに花の吉野と梅 の杉田を対立させてゐるあたり全く梅花の名所として立派に立証し得る事が出来 うると存じます。又金澤は金澤八景として天下に其の名高く,其の昔兼好法師は 此の地の佳景を愛して住み,画聖巨勢金岡は此の地の妙景に絶倒して筆を松に擲 つたと云ふ事であります。又心越禅師は勝景西湖に似たる故を以て,八勝の詩を 賦し,尭恵法師は神異絶妙と,唱へて居ります程の勝れた地区であります。」
(飯田九一「杉田金澤古今俳句集」)
吉野のみか梅の杉田もこれはこれは 夏目吟江
「間宮信繁」の菩提寺杉田妙法寺には
この地を訪れた俳人の句碑が残されています。
門をくぐると直ぐに句碑に出会います。
さびしさは星をのこせるしぐれかな 飛鳥田 麗無公
「また寒き 月のひかりや 梅の花」 松竹庵 梅月
「簾越し居るこゝろして梅のもと」 内野 月朶(げつだ)
■牛頭山妙法寺(ぎゅうとうさん みょうほうじ)
1352年(文和元年)創建。2月〜3月上旬には、名木「照水梅(しだれうめ)」をはじめ多くの梅の木が咲きほこります。
(スパイも医者も登場)
杉田に梅林を奨励した間宮?
この名から連想する教科書に出てくる人物といえば
間宮林蔵という“冒険家=隠密”でしょうか?
彼は杉田の間宮氏と遠縁にあたります。
「間宮 林蔵(まみや りんぞう、安永9年(1780年)〜天保15年2月26日(1844年4月13日))は江戸時代後期の隠密、探検家である。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。名は倫宗(ともむね)。農民出身であり、幕府隠密をつとめた役人であった。」(Wikipedia)
常陸国筑波郡上平柳村出身で、先祖は後北条氏に仕えた宇多源氏佐々木氏の流れを持つ間宮家の一族で武士から帰農した人物です。
杉田村で間宮から杉田姓を名のった一族の親戚にあたります。
間宮氏の一部は杉田に暮らし
「杉田姓」を名乗った一族がいました。
間宮一族は 近江佐々木氏にルーツがあり遠くは近江の出身です。
鎌倉時代、相摸のもののふの一族として歴史に登場します。
北条氏に仕え、笹下エリアに山城と陣屋を建て 杉田・笹下・田中他 一帯を治めます。
その後 北条氏滅亡で間宮氏は
杉田間宮氏、氷取沢間宮氏、三ツ沢、鶴見、房総下総、三浦、川崎、静岡 等に分かれて居を移していきます。
一方、初期に杉田村に生まれた遠縁の間宮長安という人物が
間宮姓から杉田に氏を変え暮らします。
この杉田氏の子孫が福井若狭藩(酒井家)の藩医となり幕末期江戸で活躍します。
ここに登場したのが
一度は歴史教科書で聞いたことのある「杉田玄白」です。
杉田玄白(1733年〜1817年)
間宮林蔵(1780年〜1844年)
少し前後しますが
二人はほぼ同時代を生きた人物で共に杉田に縁のある人物です。
(杉田のヘソ)
江戸時代まで、杉田・屏風ヶ浦のヘソは笹下にありました。明治初期には現在の「横浜刑務所」あたりに久良岐郡役場と村役場がありました。
その後、堀割川流域の発展に伴い市電の開通などもあり磯子・屏風ヶ浦・杉田地域は海岸線が発展していきます。
市電の終着「杉田駅」ができることで、海岸線に近い杉田は大きく発展していきます。その後に、湘南電気鉄道(後の京浜急行)「杉田駅」が開通します。
湘南電気鉄道の当初の計画では
「屏風ヶ浦駅」が最初に開設する予定でしたが、地元の猛反対に遭い「杉田」が先に開設されます。(よくある歴史の皮肉ですね)
ここで
少しヘソが変わります。
市電「杉田駅」から「聖天橋駅」周辺に繁華街の中心が移り、市電廃止でバス中心となると「京急杉田」を軸に街が拡大していきます。
上大岡からの旧道に沿って開通した“湘南電気鉄道”は昭和初期、日の出町で京浜電気鉄道とつながり、一気に首都圏の重要な動脈となっていきます。
一方、戦後になり念願の桜木町から先に伸びる「根岸線」が開通すると
第一段階で「磯子駅」が開設し駅前が変わります。
その後「大船駅」全通に伴い「新杉田駅」が開設され、「杉田駅・新杉田駅」界隈には独特の賑わいが生まれます。
平成に入り、
シーサイドラインの開通等で、杉田のヘソは少し「新杉田」寄りにシフトしましたが、まだまだ京急杉田周辺のデープさは残っています。
※余談
京急杉田駅横には「お稲荷さん」があります。
この杉田駅稲荷?(というのか不明ですが)には
秘話が隠されているのをご存知ですか?
この秘話は 別のところで紹介することにしましょう。
今日はちょっと長くなりました。おつきあいありがとうございます。
【県別シリーズ2】
今日は全国都道府県と横浜との関係を探し出すシリーズの後半です。
■近畿地方
三重県
→横浜の製茶業会を牽引した実業家「大谷 嘉兵衛」の出身地であると同時に、幕末明治期の重要な輸出用の製茶生産地でした。
No.22 1月22日 大谷嘉兵衛を追って
No.345 12月10日(月)Tea or Coffee?
No.112 4月21日 濱にお茶は欠かせない
◎新ネタも準備中
滋賀県
→滋賀は横浜と深い関係にあります。
まず 井伊直弼に関係する 西区の掃部山をあげることができます。
No.193 7月11日(水) Hi Come on!
大津事件も横浜が一つの舞台となりました。
No.160 6月8日(金) 親王殿下のニッポン
No.166 6月14日(木)歌人俳人の横浜
◎新ネタも準備中です。
京都府
No.417 Tram Tin Tim Street Car1
No.399 神奈川都構想で抗争
No.391 謎解き馬車道
京都もまだまだ横浜関連ネタがありそうです。
大阪府
No.296 10月22日(月)電力需要抑制は国家的課題
No.86 3月26日 老松小学校の悪童
No.361 12月26日(水)横浜に戻って快進撃!
他
兵庫県
No.343 12月8日(土)横浜港の本職は?
No.317 11月12日(月)「GRⅥ」
No.358 12月23日(日)もう一つのぶらぶら中華街
他
奈良県→目下空白県です。探し出したい!
和歌山県
No.298 10月24日(水)法廷は横浜へ
No.159 6月7日(木) 強い日土友好の原点
◎新ネタも準備中です
■中国地方
鳥取県→※無理ネタっぽい
No.350 12月15日(土)横須賀上陸、横浜で開化。
探してみます!
島根県
岡山県
岡山出身の美沢進
No.267 9月23日(日)Yの真価
→昔「西の岡山、東の綱島」と言われたのが 桃!
No.57 2月26日 ある街のある店の歴史
広島県
No.195 7月13日(金)BRAVE HEARTS
第一作は広島が舞台
No.319 11月14日(水)東のヨコシネ
山口県
山口県庁舎・議事堂の設計にも関わった建築家「大熊喜邦」関連
No.180 6月28日 横浜能楽堂、その点と線
■四国地方
徳島県
No.239 8月26日 (日)タマちゃん調べ出したら止まらない
※無理ネタっぽい
香川県
愛媛県→松山藩ですから 開港ネタは豊富にあります。
でもここでは
No.182 6月30日(土)珍しい幕末台場が眠る街
くらいしか紹介していません。◎新ネタも準備中です。
高知県
No.283 10月9日 (火)三角菱のちから
三菱の岩崎弥太郎は土佐出身です。
坂本龍馬も横浜と関係ありますね。
No.386 清水の次郎長、横浜に通う
◎新ネタも準備中です。
九州地方
福岡県
【番外編】資料探しの難しさ(一部加筆)
※川上音二郎関連です。
No.262 9月18日 (火)咸臨丸の真実!
※直接は関係ありませんが 悲劇の咸臨丸事件に関係しています。
佐賀県
No.346 12月11日(火)ララの羊
余談で紹介。実に面白いエピソードがあります。追いかけると
意外な話しが出てくるかも知れません。
No.53 2月22日 アーティストツーリング
※ちょい悪おやじの一人 久米桂一郎(1866〜1934)佐賀出身
長崎県
No.452 横浜道から開港当時を探る
No.72 3月12日 シルクセンター完成式典挙行
他
熊本県
日本ではじめての「新聞博物館」は「熊本日日新聞社新聞博物館」です。
No.110 4月19日 待つという粋な時代
◎新ネタも準備中です。
大分県 八幡神社、大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とします。
宮崎県
有吉 横浜市長は 第13代宮崎県知事として宮崎でも辣腕ぶりを発揮
No.445 「有吉堤」
No.128 5月7日 今じゃあり得ぬ組長業!?
鹿児島県
No.235 8月22日 (水)103便とラジカル関東
向田邦子さんネタです。
No.53 2月22日 アーティストツーリング
黒田清輝ネタです。
No.234 8月21日(火)パーセプションギャップの悲劇
※生麦事件ネタです。
◎新ネタも準備中です。
沖縄地方
沖縄県
No.246 9月2日(日)90年後の横浜
No.257 9月13日(水)司法とアジアの独立
No.248 9月4日(火)坂の上の星条旗(後)
この辺は 今!起っている「尖閣」ともつながっていますね。
全体的に無理ネタが多かったですね。
この関連を調べた結果 幾つかヒントも得られました。
まもなく 500話です。500話あたりから
マイナーチェンジしようかな と目論んでいます。
【県別シリーズ?】 にトライ!
全国都道府県と横浜との関係を探し出すシリーズを突発で思いつきました。
今考えられるネタから まずどの都道府県ならつながるか?
まず 想起付けしてみました。
【北海道地方】
北海道→同じ開港組みでもあります。
No.262 9月18日 (火)咸臨丸の真実!
No.270 9月26日(水)ノーマライゼーションの先駆け
No.412 多吉郎、横浜に死す。
他
新たな北海道=横浜ネタも発見しました。
【東北地方】
青森県→
【雑談】ラブストーリー
日本の劇作家・詩人・童話作家・小説家として戦前戦中戦後を生きた秋田雨雀
岩手県
No.379 1月13日(日)Y市の橋
No.349 12月14日(金)6人の指導者達
中村 房次郎 岩手県史に欠かせない経済人
詳しく紹介する予告ばかりだったのでこれを機会に
中村 房次郎を紹介していきます。
宮城県
No.445 「有吉堤」
面白横浜市長 第13代宮崎県知事「有吉 忠一」についても新たに紹介していきたい人物です。
秋田県→特に無し
山形県→横浜とは古くから関係のある県の一つです。
No.439 へいらく・たいらこ
No.312 11月7日(水)裕次郎だけじゃない
伊東忠太 山形県生まれの建築家
No.44 2月13日 熊田と土門
福島県
No.387 謎解き野口英世
No.287 10月13日(土)翔ぶが如く
No.153 6月1日(金) 天才と秀才
【関東地方】
茨城県
No.232 8月19日 (日)LZ-127号の特命
新たに 水戸藩ネタでも横浜と関わりのあるテーマがあります。
栃木県
No.266 9月22日 (土)ハマの赤レンガ
群馬県
No.302 10月28日(日)全ての道は横浜に
その他 多くの上州商人が横浜で活躍
茂木 惣兵衛、中居屋 重兵衛、伏島 近蔵
埼玉県
No.374 1月8日(火)○●■△と横浜
→平沼 専蔵
千葉県
No.61 3月1日 成田山横浜別院延命院復興
他にも多数紹介ネタがあります。
東京都
東京は 十分過ぎるほど関係がありますが
横浜開港に対し大正以降「東京開港」機運が高まり
壮絶な「開港バトル」を横浜・東京で繰り広げます。
このテーマはただ今 蓄積中です。
神奈川県→
No.339 12月4日 (火)「横浜から神奈川」へ
No.79 3月19日 神奈川(横浜)県庁立庁日
No.399 神奈川都構想で抗争
No.438 神奈川奉行入門
他
【中部地方】
新潟県
No.348 12月13日(木)いっさつの本があれば
◎新ネタも準備中
富山県
→浅野 紘一郎、安部 幸兵衞、増田 嘉兵衛
No.340 12月5日(水)今日は昼から銭湯だ!
◎新ネタも準備中
石川県
→曹洞宗の大本山總持寺
No.312 11月7日(水)裕次郎だけじゃない
◎新ネタも準備中
福井県
No.382 1月16日(水)横浜と福井
【番外編】善悪の彼岸
◎新ネタも準備中
山梨県
No.152 5月31日(木) もう一つの近代水道発祥の地
→水源地です。
→甲州商人は横浜を舞台に大活躍
◎新ネタも準備中
長野県
No.122 5月1日 ハイデルベルク・ヘンリーと呼ばれた男
◎新ネタも準備中
岐阜県
→原 富太郎、早矢仕 有的 他
No.342 12月7日(金)2013年は古民家を愉しもう
No.292 10月18日(木)横浜初拳闘会
静岡県
清水次郎長関係、お茶関係
No.223 8月10日 (金)奇跡の釘
No.174 6月22日(金) しみずみなとの名物は?
No.314 11月9日 (金)薩長なんぞクソクラエ
愛知県→現在探索中
後半は 明日に
【横浜マークハンティング】地べたを拾う (追加版)
現代は地下社会である!?
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「ハンドホール」と呼ぶそうです。 |
(NTTの蓋デザイン)
この電話100年をデザインした「蓋」は横浜市内数カ所にしか残っておりません。(私の確認では二カ所)
1890年(明治23年)12月16日
横浜と東京間にわが国で初めて電話交換業務が開始されました。
スタンダードな
マンホールの蓋はマンホールの蓋は
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あえて目立つ「消火栓」導管の太さで区別? |
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追加しました! |
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「ふしこし」管用のマンホールです。意味は調べてください!? |
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洗浄栓 |
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浚渫口です。 |
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むかしながらの?市道用マンホール |
全国都道府県市町で異なるので 当然マニアがいるんですが…
http://ja.wikipedia.org/wiki/マンホールの蓋
http://www.hotetu.net/manhole/manhole.html
上記のマニアックな集大成で
ほぼ横浜のマンホールもカバーされていると思っていたら??
そこは地元。横浜らしい 地べたの「蓋」を発見したのです。
オリジナルの素材を活かしたマンホールもあります。
上の煉瓦模様はかつて歩道の素材に合わせていたのが
マンホールだけ残ったものです。
極めつけ!!!
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ロコサトシさんデザイン |
(これは実のところマンホールではない????)
今後じっくり探すと
No.457 ザンギリ野毛
野毛界隈。
酔いにまかせて彷徨うと、床屋が多い?!
やたら床屋(理容院)のサインポールが目に入ります。
気のせいか?酔いのせいか?それとも真実か?
ちょっと調べてみました。
野毛界隈で、果たして何店床屋(理容室)はあるのでしょうか?
調査結果をお知らせする前に、横浜の床屋についてのエピソードを少々ご紹介しましょう。
No.80 3月20日 西洋理容発祥の地、横浜
1873年(明治6年)3月20日、
明治天皇は自ら範を示すということで断髪します。
これによって一気に「床屋」(理容室)が時の職業になっていきます。
横浜開港資料館発行「もののはじめ考」(第3版)によると
開港早々1864年(元治元年)横浜ホテルに外国人の理容師が開業した記事が掲載されているそうです。
日本人による理容室開業については中々誰が“はじめて”かどうか判っていません。
諸説あるようです。
少なくとも 開港した横浜港に入港する外国船向けに西洋理髪師を見習った日本人が散髪業を始めたのは自然の成り行きです。
日本人の間に「西洋理髪」が定着していくのは、
No.80 3月20日 西洋理容発祥の地、横浜
で紹介したように、法令で断髪令が施行されてからのことです。
「市史稿」では、
桜木町に「西洋髪苅所」を富岡浅次郎という人物が開業し
「理髪業の嚆矢」とする説に触れています。
この説に従えば???????
桜木町=野毛界隈に理髪業が多いのも?
野毛界隈に理髪業が目立つ理由は、
「場外馬券場」があるからでしょう。
縁起かつぎや、負け癖を切る!という理由から競馬人は床屋が好きだとか?
だから野毛界隈に「理髪店」が多いんですね。
(野毛界隈の理髪店)
完全ではないかもしれませんが
野毛界隈に理髪店は12店ありました。
以前営業していた店を1店知っていますので
13店も集中していたことになります。
範囲は JR線より内陸、大岡川、京急、紅葉坂に挟まれたエリアを
野毛界隈としました。
価格もバラバラです。
ここにさらに「美容院」が最近次々と開店しています。
野毛は現在 整髪激戦区となっているようです。
(余談 理容室は何時休み?)
理容業はを独占禁止法の例外業種に指定され、理髪店の業界団体である全国理容生活衛生同業組合連合会が、1996年ごろまで都道府県単位で定休日や営業時間などの基準を決めていました。最近は拘束されること無く自由な営業形態になっています。横浜は火曜日定休が多いのでは?
No.456 自由ハンザ都市ブレーメンの気風
7月1日は横浜が開港した日です。
現在横浜では6月2日が開港記念日ですが、
ここに幕末明治の「暦」事情が隠されています。
今日は この有名な昭和3年事件は置いといて…
開港一番に入港した外国人達の話しを紹介します。
列強五カ国との間に結んだ「通商友好条約」では各国との開港日がバラバラでしたが、1859年7月1日に統一します。
約束だけではなく 各国と交易を行う準備が必要となってきます。
日本政府は、各藩・地元民間の有力者に命じて「開港場」=居留地と横浜道の整備を命令します。かなりの突貫工事だったようです。
「横浜道」に至っては開港前日に完成したそうです。
なんとか 体裁が整い 7月1日に外国船を受け入れる準備ができますが
前日30日に横浜港に到着したのが亜米利加船籍の一団で、
ハリス公使以下外交団でした。
そこは 日本政府(徳川幕府)も条約を楯に明日(7月1日)まで待て!
と米国船団を横浜沖に留め置くことにし7月1日に「亜米利加一番」として手続きします。
亜米利加船とは異なり条約通り7月1日開港日に堂々入国したのが「阿蘭陀船」シキルレル号(Schiller)です。
幕府の認可番号は「阿蘭陀一号」で、250t 乗組員12名だったそうです。
五カ国の中で開港日に入国、入港したのは
亜米利加と阿蘭陀でした が
実際は 阿蘭陀船籍のドイツハンザ都市の船でした。
阿蘭陀船籍で偽装した背景にはこの時代のドイツ(プロシア)が抱える政治状況がありました。ここに乗船していたのはデュッセルドルフ出身自由ハンザ都市ハンブルグ商人のルイス・クニフラーでした。
到着早々、幕府の用意した外国人専用の貸家を申込早々に商館の開設に動き出します。
このルイス・クニフラーが横浜に初めて商館をオープンした外国人商人です。
福沢諭吉の自伝に
「五国条約というものが発布になったので、横浜は正(まさ)しく開けたばかりのところ、ソコデ私は横浜に見物に行った。その時の横浜というものは、外国人がチラホラ来ているだけで、掘立小屋みたような家が諸方にチョイチョイ出来て、外国人が其処に住まって店を出している。
其処へ行ってみたところが、一寸とも言葉が通じない。
此方の言うこともわからなければ、彼方の言うことも勿論わからない。店の看板も読めなければ、ビンの貼紙もわからぬ。何を見ても私の知っている文字というものはない。英語だか仏語だか一向わからない。居留地をブラブラ歩くうちに、ドイツ人でキニッフルという商人の店に打ち当たった。その商人はドイツ人でこそあれ蘭語蘭文がわかる。此方の言葉はロクにわからないけれども、蘭文を書けばどうか意味が通ずるというので、ソコでいろいろな話をしたり、一寸と買物をしたりして江戸に帰って来た。」
福沢が「英学」に方針転換した有名なカルチャーショックの一説ですが、
ここに登場する“キニッフル”こそルイス・クニフラーのことです。
蘭商キニフルとも呼ばれ武器商人としても活躍します。
冒頭にクニフラーをデュッセルドルフ出身ハンブルグ商人と紹介しましたが、この当時のドイツはブレーメン・ハンブルグを中心に独立性の高い都市国家(自由ハンザ都市)として世界を舞台に交易を行っていました。
そして、ハンブルグ商人クニフラーは、ブレーメン出身の優秀な人材を日本担当に起用します。
長崎で実績をあげ横浜進出責任者として赴任してきたのが
マルチン・ヘルマン・ギルデマイスター(GILDEMEISTER)です。
ギルデマイスターは、横浜で日本との通商条約締結に動きますが、最終的にプロシア王国の代表団として日普通商友好条約締結に奔走します。
ドイツ北部に位置する大都市「ブレーメン」といえば?
ブレーメンの音楽隊を思い浮かべる方も多いかもしれません。
ブレーメンはドイツに11あるヨーロッパ大都市圏の1つです。
正式名称は「自由ハンザ都市ブレーメン州」の州都です。
ドイツと日本の開国をめぐる関係は
No.413 あるドイツ人の見た横浜
でプロイセン王国の使節団による日普修好通商条約交渉団とその通訳にあたった森山栄之助のエピソードを紹介しました。
冒頭で紹介しました通り、ブレーメンは「自由ハンザ都市ブレーメン」と現在でも名のっています。
ギルデマイスターの業績
ギルデマイスターは、当初居留地横浜で少数派だったプロシア人(ドイツ人)を組織化しドイツ人倶楽部をまとめあげます。
最終的には在横浜プロシア名誉領事となります。
1868年(慶応四年)明治維新直前にアメリカ経由で母国ドイツブレーメンに帰国します。
■プロイセン王国とブレーメン
プロイセン王国は「十字軍時代の三大宗教騎士団の一つであるドイツ騎士団が13世紀にバルト海沿岸のプロイセン地方に植民を行って成立したドイツ騎士団領を基に発展し、16世紀に公国、18世紀初頭1701年に王国となった」国です。
ところが、ブレーメンはかつてハンザ同盟だったハンブルクとともに、1871年まで独立した都市国家として欧州経済をリードします。
1871年にドイツ帝国の一部となりますが、関税上(交易上)独立していました。
完全にドイツ帝国に組み込まれたのは1888年(明治30年)になってからのことです。
(余談)
ブレーメンといえば????
サッカー・ブンデスリーガに属するヴェルダー・ブレーメンのホームタウンです。ブンデスリーガ優勝4回を誇る強豪で、日本初のプロ選手である奥寺康彦も在籍していたチームです。
奥寺康彦がサッカーとで出会ったのが横浜市立舞岡中学校です。そして相摸工大付属高校から古河を経てドイツへ渡った日本初のプロ選手です。
現在、株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜FC)取締役会長を務め横浜で頑張っています。