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【バス物語】江ノ電バスラストラン
江ノ電バス横浜の2系統路線が廃止されるラストランの日だった。

栗木から横浜までのY3系統
江ノ電の分類ではY16・Y17となっているが、表示はY2Y3。
「神奈川バスルート案内」では23系統・42系統と表記。
なんともわかりにくいバス系統が不思議な番号で綴られている。 横浜市内には市営、神奈中、臨港、東急、京急、小田急、相鉄、大新東、横浜交通開発、富士バスそして江ノ電など11社が路線を持っている。世界最大級と云われているバス会社神奈中を筆頭に、それぞれ<なわばり>みたいなエリアがある。横浜江ノ電は、戸塚駅より西に系統網を持っているが、際立っていたのが<Y2Y3系統>だった。
Y2・3系統は、終着点を「横浜駅東口」に設定している。つまり江ノ電の本拠地に近い地点から「下り」ルートが設定されている路線で、江ノ電が明治期の創設前に目指した鎌倉から黄金町までの路線に重なっている伝統?路線だったようだ。
江之島電氣鐵道、横浜電気株式会社(買収)の時代もあった。
江ノ島電気鉄道、東京横浜電気鉄道(傘下)、江ノ島鎌倉観光など目まぐるしく経営環境が変わった鉄道事業者である。
戦前の一時期神奈中バス(大東急時代)に経営を全面的に手渡したが戦後復活時にバス部門を取り戻し、江ノ電エリアから遠く離れたこの路線も取り戻した伝統あるものであった。 今回、2019年(令和元年)12月15日をもって
「大船〜横浜」という横浜市内最長クラスの路線が廃止されてしまった。過去に二度利用したことがあるが、平日午後利用客も多かった記憶がある。
もう一つの派生路線<栗木〜横浜駅>は数回利用したことがある。これも赤字路線とは思えない。 廃線理由は「運転手不足」という実に悲しい事態だった。運転手不足はこの10年、バス業界に吹き荒れた嵐だった。全国的な人手不足の中、神奈中・市営・京急などが集中するエリアで、江ノ電は今考えれば孤軍奮闘していたのかもしれない。 このY2・Y3路線の横浜・野毛大通り間のルートが不思議な経路を持っている点でマニア的にはとても面白い。
これが無くなってしまったことはとても残念だ。 (上下分離路線)
横浜駅〜日ノ出町駅前までの路線について特記しておく。
<ルート>
■下りルート
〜日ノ出町駅前〜野毛町〜野毛大通り〜紅葉坂〜雪見橋〜花咲町〜高島町※〜横浜駅改札口前※〜横浜駅東口
※横浜駅東口行き方向のみ停車。
この印のある3停留所のみ江ノ電バスは別ルートを走ります。

横浜駅(東口)〜高島町〜花咲町〜雪見橋〜紅葉坂〜野毛大通り〜野毛町〜日ノ出町駅前〜<以下省略> 横浜駅東口、桜木町駅間のバスルートは上下線が別れているのが特徴です。
理由は桜木町駅前の交差点にあります。
ここは、国道16号線と、山下長津田線(新横浜通り)が並行している区間で、国道16号線が右折禁止のため並行する山下長津田線(新横浜通り)をバイパス道として使い、右折できるためです。


ラストランの日、バスファンが多く乗り合わせる中、
日頃利用されているお年寄りがガラケイを出し記念撮影をしている姿が印象深かった。
「残念ね。20年利用していたのにね。今日はお休みなんだけど、最後に乗りたいから来ました。」と語っていました。
運転手不足で廃線しなければならないほど悔しいことはないでしょう。

第838話 1989年(平成元年)7月3日ミッドナイトアロー号
1990年代の初め、JR新宿駅南口脇にあったバスターミナルから「深夜急行バス」を良く利用したことがあります。最近は、めちゃくちゃわかりにくかった様々な長距離・深夜バスがほぼまとまりました。
「バスタ新宿」
http://shinjuku-busterminal.co.jp
私の利用した「深夜急行バス」は東京駅から新宿経由で湘南に向かう系統で、運行会社は小田急か神奈中か記憶は曖昧です。
当時、新宿発の深夜急行バスにはかなり制限があり横浜駅近くに停車する路線がありませんでした。新宿を出発すると最初の停車が横浜新道の保土ケ谷区今井町で、唯一自宅に近く(新道上の)「今井町」バス停から一般道に降り、そこからタクシーを拾わなければ自宅には辿りつけませんが重宝しました。
この「深夜急行バス」は
1990年代初めから徐々に拡大した新しいサービスで、
“70年代”から始まった「深夜バス」とは異なります。
「深夜バス」は首都圏の郊外に大型団地が急増した60年代、通常の路線バス運行ルートを使って終電に近い時間帯で運行が求められた結果始まったサービスです。
当時の運輸省も検討に入りますが、1970年に神奈川中央交通が独自の判断で日本最初の「深夜バス」を町田で運行します。この年の暮れに運輸省から深夜枠の路線バス運行に関してガイドラインが出され、1971年から一気に深夜時刻の「深夜バス」運行が全国に拡大します。
これに対して、
1989年(平成元年)7月3日の今日、
終電後の交通手段としてターミナル駅から自社の営業路線まで新たにバス路線を開く「深夜急行バス」<ミッドナイトアロー号>が日本で初めて運行されました。
運行会社は東急バス、運行区間は「渋谷〜青葉台間」です。この路線は現在も運行されています。
深夜運行なので正確には<7月4日>未明ということになりますが、運行上の日付は7月3日出発となるそうです。
前述の通り、初期の運行はかなりルート設定に制限があったようで、新宿駅から横浜駅ルートはありませんでした。しかも途中のバス停設定も自社の路線が運行されているエリアに限られました。
※この原則は現在も変わっていないようです。
この<ミッドナイトアロー号>を皮切りに、全国で終電後の都心部と郊外、そしてターミナルとターミナルを結ぶ「深夜急行バス」が多く運行されるようになりました。
(過去ブログ7月3日)
No.185 7月3日(火) 実録「居留地警察」
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=422
1877年(明治10年)7月3日の今日、
神奈川県は居留地の各国領事に対し6月30日付けで横浜外国人居留地取締役(居留地警察のトップ)Edward.S.bensonを解傭(雇用解除)した旨を居留地各国領事に通知しました。
第820話 1998年(平成10年)6月15日Yカード新設
ちょっとなつかしい姿から
1998年(平成10年)6月15日
「地下鉄バス共通カード500円Yカード新設」(横浜市営交通八十年史)
廃止が2010年(平成22年)7月31日ですから12年の活躍、短かったのか長かったのか。
停止後、払い戻し期限は平成27年7月31日まででした!
そういえば交通系の磁気カードはいろいろ出ました。 パスネット
オレンジカード
バス共通カード
マリンカード
Yカード
ファミリー環境一日乗車券※(現役)
一日乗車券※(現役)
(Yカード)
Yカードは「横浜市営地下鉄」と「横浜市営バス」のみで使用できるプリペイドカードです。
500円券と1,000円券と3,000円券がありました。
(マリンカード)
マリンカードも横浜市交通局が発行した磁気式のプリペイドカードです。
横浜市営地下鉄及び横浜市営バスを始め周辺地域の一部バス事業者で共通に使用できました。
※マリンカード及びYカードは、平成22年7月31日をもってすべてのサービスを終了
※払戻しは、平成27年7月31日で終了。
※バス共通カードの払戻も平成27年7月31日まで。
◎一日乗車券
最近は 一日乗車券を常備。市内全域の総てのバスルート(現在は市営バス)に乗る!ことに挑戦中、というほどがむしゃらではありませんが機会を見て、数回バスに乗る用事の時には この一日乗車券を駆使しています。
(過去の6月15日ブログから)
No.167 6月15日(金) 自然、単純、直裁、正直、経済的
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=443
1960年(昭和35年)6月15日(水)、元町公園の一角に移築された
エリスマン邸の開館式が行われました。
【横浜の橋】№10 残った紅葉橋(陸橋)
横浜に初めて鉄道を敷設する際、野毛浦・伊勢山・鉄道山沖の海辺を埋立て鉄道用地を確保する。その際に埋立地と陸部の狭間に排水路(運河)を作った。
最初は「桜木川」と呼ばれ、後には「桜川」と呼ばれた。
明治に誕生した「桜川」は次第にその役割を終え、水量の少ないドブ川に変身、昭和20年代には空堀となりそこに戦後の闇市が建ち並び立ち退き訴訟にまでなった。
その後「桜川新道」(新横浜通り)が誕生し橋は無くなることになる。大岡川と石崎川(帷子川)を繋ぐ桜川に架かっていた橋の数は少し変わるが、
「錦橋」「緑橋」「瓦斯橋」「紅葉橋」「雪見橋」「花咲橋」「戸部橋」「桜橋」と八つありその中で市電の停留所だった「雪見橋」「花咲橋」が現在もバス停として残っている。そして唯一残った橋が紅葉坂と桜木町・内田町を繋ぐ<紅葉橋>である。まさに過去と(みなと)みらいを繋ぐ橋だ。
「紅葉橋」
この橋は、坂の橋である。橋が急傾斜しているのだ。傾斜角度を測ったことは無いが、自転車での登攀は電動でない限りかなり厳しい。降雪時は徒歩でも危険な傾斜角である。
急な紅葉坂を下った先に「紅葉橋」が架かっているのだが、坂の下が出っ張った崖っぷちになっているために、坂の橋で繋ぐしか無かったのだろう。
もう一つの特徴は上下線が分かれている双橋であることだ。<赤い線が丘稜線>
実は、この紅葉橋は、乱暴な表現だが「架け足し」た橋である。拡張ではなく、旧橋の横に新橋を加え、上下分離線となっている。
手元の神奈川県資料によると
1982年に旧紅葉坂(幅員9m)が架け替えられ現在に至っていて
2001年に新紅葉坂(幅員6m)が横に架けられている。ただ 見る限り共に2000年の工事で取り替えらたような仕立てなので旧紅葉坂はリフォームされているのだろう。
上の写真と比べるとJR高架橋下の道路が拡張されていることは判る。
<1990年ごろの紅葉坂・紅葉橋>
このあたりは歴史の<ネタ>が満載。
キーワードだけも紹介しておこう。
近代日本で最初に国賓が泊まった横浜離宮・鉄道山・高島嘉右衛門・井伊直弼・伊勢山皇大神宮・ユースホステル・税関宿舎(大平正芳、福田赳夫)・前川國男・金星・神奈川奉行所・米軍倶楽部
2014年(平成26年)7月1日に北改札が完成したことで大きく人の流れも変わりつつある。 まもなく旧東横線高架橋の遊歩道も出来上がるとこの橋を上から眺めることができるだろう。
散策におすすめのエリアだ。
追々これらのテーマも紹介していきたい。
No.702 【横浜バスめぐり】バス停に見る街の記憶
地名からその土地の歴史を読み解くことができますが、バス停の名からもその土地の様子がうかがえることがあります。その時々の土地の記憶が「バス停」に残されたケースを追いかけてみましょう。
まずは市内には失われた(暗渠化した)川に架かっていた「橋」の名からいきましょう。
■名残橋
「阪東橋」「横浜橋」「千歳橋」
吉田新田の真ん中にあった水路「吉田川」に架かっていた橋の名残です。
関内外エリアは運河の街だった歴史から「橋」の名が残っているバス停が多い地域です。
「吉浜橋」「東橋」、旧桜川に架かった「雪見橋」「花咲橋」も川のない橋ですね。
神奈川区片倉に近いところには「六角橋」「日枝橋」というバス停があります。現在はまったく川の面影がありません。
この他 磯子16号線には
「芦名橋」「境橋」「聖天橋」といった<橋>の名が残っていますね。
「芦名橋」は橋梁の名残を残しています。
■数え歌「バス停」なんていうのもあります。
旭区今宿には「ニュータウン第一」〜「ニュータウン第七」まで繋がります。
瀬谷では「細谷戸第一」〜「細谷戸第五」と続きます。
■バス停名称いろいろ
→企業名
「高周波前」「松下通信」「明治製菓研究所」このほか多数ありますね!!
→ちょっと微笑む
港北区の「吉田新田」そして次のバス停が「神隠」
「新羽営業所庚申堀」も面白いですね。江戸時代の庚申塚と営業所の名が合体しているなんてユニークです。
→ダブり?
103系統の本牧車庫行きには同じバス停名が並んでいるんです。
「本牧市民公園前」→「本牧市民公園前」ですね。
■会社の事情?
同じ場所なのに営業会社でバス停名が異なるところもかなりあります。
先日足を運んだ市営36系統途中に「道路碑前」バス停は相鉄バスでは「道路碑」でしたこれをきっかけに調べてみたらあるは あるは
バス会社の事情なのか?逆に迷わないための<区別>なのか?
→「駅・駅前」の違いを明確に出しているのがなぜか「横浜線」沿線のバス停名です。
「十日市場駅(神奈中)」「十日市場駅前」
「中山駅(神奈中・東急)」「中山駅前」
「長津田駅(神奈中・東急)」「長津田駅前」
「小机駅(東急・相鉄)」「小机駅前」
「新横浜駅」「新横浜駅前(神奈中・市営)」
「泉谷寺前(東急・市営)」「泉谷寺入口(相鉄)」
「屏風浦駅」「屏風浦駅前(神奈中)」
→その他「前」「入口」の表記も多いバス停名の一つですが会社でバス停名が異なるのは珍しいですね。
「港北年金事務所前」「港北年金事務所入口(臨港)」
「鶴ヶ峰小前」「鶴小前(相鉄)」
「稲荷通」「稲荷り(神奈中)」
「山内中(東急)」「山内中前(小田急)」
「桐蔭学園(小田急)」「桐蔭学園前(東急)」
「ストアー前(京急)」「汐見台ストアー前」
バス停名を巡る話はまだまだありますが、今日はこんなところで失礼します。
【横浜風景巡り】一文字バス停
(追記版)
気がつかなければ“ただの風景”ですが、視点を変えれば新しい風景が見えてきます。
最近、バスを意識して利用するようになりました。一日乗車券も大量に購入し?!何時でも思った時に使えるようにと財布にストック!
なんと(車内で買えるしICでも購入できるじゃない)
これまでなるべく自転車で市内は巡ろう!と決めて市内散策していましたが、バスの利用頻度が多くなりはじめると、バス路線そのものに関心が向いてしまいます。
今回は「一文字(ひともじ)バス停」一文字のバス停名にスポットを当ててみます。
「一文字(ひともじ)バス停」は意外と少なく、横浜市内でも数える程しかありません。
市営バスルートでは4つ、それ以外で3つ発見しました。
県内でもバスマップで探した範囲ですが 数カ所程度でした。
後半でちょっと紹介します。
※バスマップをひたすら探すという作業で探したので見逃し「一文字(ひともじ)バス停」があるかもしれません。ご了解ください。
(横浜市内の「一文字(ひともじ)バス停」)
都筑区 西(302系統)★
港南区 原(鎌倉街道 県道21号線)☆
磯子区 峰(10系統)★
浜(横須賀街道16号線)★
緑区 境(中原街道 県道45号線)★
戸塚区 表(県道203号線)☆
青葉区 島(神奈中つ01系統)
※★降りたことのあるバス停 ☆通過したことのあるバス停
(実際降りたことのあるバス停ガイド)
(1)都筑区 西(302系統)
市営バス302系統「西」バス停 正確には乗ったことがあるが降りたことはありません。たまたま、ニュータウンの調査の帰りにここからバスにのりました。写真撮ってあって良かった!
バス停付近は、港北ニュータウンの東端を走る第三京浜都筑インターチェンジ出口近くに位置します。
この「西」バス停のある302系統、開通当初は 近隣の工場や事業所関係の利用者中心でしたが、市営地下鉄グリーンライン開通で、役割が変化してきた路線です。
ブルーライン「仲町台」と「東山田」を結ぶシャトル便的な路線となり近隣住民のアクセス向上につながっています。
※「東山田」は「ひがしやまた」です。濁りません。
バス停横には神奈川県内に二つしか無いイスラム教のモスクがあります。
ジャーメ=マスジド=横浜(通称:横浜モスク)
〒224-0025 横浜市都筑区早淵 1-31-13
※ここがなぜ「西」なのか?調べていません。港北ニュータウンを基準にすれば「東」ですが、近くに「西架道橋」があり、この西と関係があるかもしれません。
(2)港南区 原(鎌倉街道 県道21号線)
何度か通過したことがあります。近くを歩いたこともあります。
「原」バス停付近は、鎌倉街道 県道21号線と環状3号線が交わるところにあります。JR根岸線延伸(昭和48年)に伴い開発されたエリアです。
バス停名は「原」ですが、環状3号線「原乃橋」が完成するまでは鎌倉街道の谷間の交差点でした。「原」の名は日野村の字名かもしれません。
環状3号線は現在、磯子区杉田五丁目〜戸塚区戸塚町日之出橋までの区間が開通していますが、全線完成にはまだまだ時間がかかりそうです。
(3)磯子区 峰(10系統)
その名の通り、峰(の中腹)にあるバス停。ここも何度か乗り降りしたことがあります。自転車でも通過しましたがかなり難所です。
根岸線磯子駅から小型タイプの10系統に乗り、「京急杉田駅」駅前から栗木を抜け円海山麓の“峰の郷”終点まで繋がっています。
「峰」は終点の一つ手前にあります。以前はこの「峰」が終点で「円海山」散策スタートポイントでしたが、2001年に特別養護老人ホームが開設するなど地域ニーズが高くなったため延伸しました。
峰
「円海山」に近いバス停です。あまり歩きたくない!方はぜひご利用ください。
「峰」付近には「峰市民の森」他
絶景の「白山神社」、樹林・花の寺「阿弥陀寺」もあり春先・秋口はお勧めのスポットです。「峰せせらぎ遊歩道」がありますが、夏場はブッシュに気をつけてください。あまり手入れされていません。
※円海山は海抜153.3mで横浜で二番目に高い地点です。
第一位は近くにある「大平山尾根筋」(天園峠)で標高159.4mです。
(4)磯子区 浜(横須賀街道16号線)
「一文字(ひともじ)バス停」の中で一番頻繁に利用しています。
県内「一文字(ひともじ)バス停」の中で最も繁華街?!でしょう。
“有名 人気商店街浜マーケット”前がバス停です。
浜
【番外編】磯子区濱
(5)緑区 境(中原街道 県道45号線)
古代から続く道「中原街道」の旧新治村と旧都岡村の境にある尾根筋にあります。
ここからの眺望はなかなかです。近くには南北に広がる自然豊かな公園が点在しています。
No.450 【横浜かわとみちの物語】プロローグ
(6)戸塚区 表(県道203号線)
通過したことがあるだけで、詳細はわかりませんが面白いバス停名です。
「表(おもて)」と読みます。近隣の交差点名・ビル名にもなっていますので古い地名と思われます。
今度近所でリサーチしてみます。
(バス停考)
バスの停留所、位置・名前に関してはいろいろエピソードを拾うことが出来ます。
2015年はバス巡り年になりそうです。エピソードが集まり次第 紹介していきます。
【バス旅】横浜18区路線バスの旅(日曜版)
さらなるチャレンジを計画中です。
県内で「一文字(ひともじ)」バス停をざくっと探してみました。
●川崎市 「平」
→生田緑地入口
●厚木市 「泉」☆
→厚木から半原方面へ
●秦野市 「関」☆「北」☆
→第61回全国植樹祭会場「県立秦野戸川公園」に参加した時に通りました。
戸川公園
「峠」
●足柄上郡大井町 「柳」
峠柳
●藤沢市 「城」☆
間違いではありません。「城」は「たて」と読みます。バス停の読みは時々 驚かされます。
●鎌倉市 「台」
→大船駅からすぐです。地名「台」をそのまま使っていますが、一般的には「台町」というような“町”をつけるケースが多いようですがここでは「台」一文字です。
●足柄上郡松田町 「寄」(やどりき)★
→釣り・キャンプのスポットです。一字で「やどりぎ」と読みます。
横浜では「鉄」→(くろがね)という地名があります。
※★降りたことのあるバス停 ☆通過したことのあるバス停
公共交通としての路線バスの歴史は長く、私たちの都市生活に欠かせない移動ツールです。きめ細かなネットワーク網を活かした新しいモビリティの可能性は十分にあると思います。路線バスは根底から価値観の転換で、面白くなると思うのですが。
(2016年4月 追記)
No.467 なんでここにこんな?(戸塚編)
東海道(国道一号線)下り路線、戸塚から原宿交差点に向かう途中、
左手のマンションの脇に「記念碑」らしきものがあります。
昔からマイカー、バス(の方が良く見える!)で気になっていました。
先日 気がついてから三十数年目に確認してきました。
ちょうどこの記念碑のあるあたりは 東海道戸塚宿を過ぎた馬の背になっています。
事前に「Google」でこのあたりを確認してみようとしたら
ストリートビューで ちょうど 見えない!なんで追い越し車線から撮影するかなー。
![]() |
ストリートビュー手前だと見えます。 |
![]() |
近づくと車がじゃま! |
やっぱり実地検分しか無い!
戸塚駅から藤沢駅行きのバスに乗って、
「西横浜国際総合病院前」で下車します。
![]() |
戸塚方面バス停 |
ありました、ありました。
「お軽・勘平の碑」でした。しっかり囲みもあり、丁寧に作られていることがわかります。
「碑石の由緒」には昭和四十六年七月とありました。
文学博士 松本亀松氏による由緒が記されています。
「伝統芸能研究者。1901年10月27日〜1985年4月。東京生まれ。東京高等工業学校中退。日大教授。1960年「狂言六儀の研究」で日大文学博士。72年定年退任。演劇学会理事。」
碑が建立されてから半世紀近くなりますがメンテナンスも行き届いています。
「お軽・勘平」って?
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」四段目、塩谷(えんや)判官の家臣早野勘平と腰元お軽が、お軽の所への道行の途中で
「鎌倉を出てやうやうと、ここは戸塚の山中、石高(いしだか)道で足は痛みはせぬかや」と勘平が優しくお軽に問うところに因んでいるらしい。
鎌倉から落ち行くお軽・勘平のふたりが桜と菜の花が咲き乱れる戸塚山中で見せる美しく華やかな所作事なんですが、なぜここなのかが明記されていません。
ここは「桜と菜の花が咲き乱れる戸塚山中」なんですかね。
昭和50年代の地図には「日本石油」のガソリンスタンドがありました。
現在はマンション(?→未確認)が建っていますが、ガソリンスタンドがあった頃からこの記念碑はありましたから、スタンド脇に記念碑が設置されたことになります。
さらに疑問なのが「東京急行電鉄」が記念碑の賛助社と記されている点です。
「お軽・勘平」は、創作です。
【仮名手本忠臣蔵】の『道行旅路の花聟』(みちゆき たびじの はなむこ)は本来のストーリーではなく、後から追加されたものです。
幕末以降、二段目や三段目などに挿入されてきましたが、最近では「判官切腹」の場と五段目「山崎街道」の場」の間に挿入されています。
語り出しが「落人と、見るかや野辺に若草の」と始まるので、通称『落人』(おちうど)といわれています。
http://www.youtube.com/watch?v=L2_26wsZ4_A
内容は「おかる」と「勘平」が駆け落ちを決意し、おかるの故郷山城国の山崎へと目指す途中、そのあとを追いかけてきた「鷺坂伴内」が二人にからむ場面です。色彩豊かな所作事で、軽やかな清元を聞きながら華やかな気分が人気定番となりました。
舞台は「一面の菜の花の春景色、遠くに富士が見える」見事なシーンが拡がります。
歌舞伎舞台では、舞台装置は“どうみても”平地ですね。
周辺に観光資源、無いことはないのですが 孤立感ヒシヒシ。何か関連で活かす方法ないでしょうかね。戸塚宿尾根歩きコースですか ね。
No.458 相摸のもののふは杉田を目指す?
今日は 横浜市磯子区南部に位置する“杉田”エリアを紹介します。
現在の杉田エリアは、京浜急行「杉田」駅とJR根岸線「新杉田」を結ぶ「ぷらむろーど」を中心に商店街が拡がっています。歴史ある時代で表情が変化した
時をさかのぼれば 広大な歴史の舞台「杉田」が浮かびあがってきます。
調べれば調べる程、面白い杉田です。
![]() |
杉田妙法寺の蓮(今が見頃です) |
(東西南北)
■東は海。
かつては船で杉田観光に!
■西は笹下川(ささげがわ 大岡川の支流)流域
鎌倉武士の城があった“金沢道”周辺は面白い!
■南は金沢区富岡に隣接する起伏のある丘陵地
梅で有名な杉田の梅林は富岡との境あたりに群生?
■北は中原(屏風ヶ浦)あたり
現在の「杉田エリア」明治期、久良岐郡屏風ヶ浦村の一部でした。
杉田の名は 江戸時代から梅の名所で有名でした。
(意外な?因縁)
杉田(すぎた)といえば?昔を良く知る人は「梅」と答えます。
商店街も「ぷらむろーど」ショッピングビル名も「プララ」と名付けられています。
「梅林小学校」「杉田梅林トンネル公園」といった名称もあります。
かつて広大な「梅林」が杉田にはありました。
「梅林小学校」絶景ポイントでもあります。
![]() |
梅林小学校近くの眺望 |
この杉田梅林を創り上げたのがこの地の領主「間宮信繁」という人物です。
天正年間頃16世紀後半の時代です。杉田という土地柄は、起伏が多いため稲作に向いた田畑に恵まれませんでした。漁業が中心の貧しい寒村でしたが
この地を治めた間宮信繁が地域の産業として梅の植林を奨めます。小田原の曾我梅林に習ったといわれています。梅を地域産業として鎌倉時代から梅を育ててきた曽我に習い、「杉田梅」は小田原から移植したのではなく、逆に今 磯子で失われた「杉田梅」が小田原に残っている状況です。
![]() |
曾我梅林2013 |
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曾我梅林と冨士 |
数十年後には見事な梅林が育ち、年ごとに梅林が拡がっていきました。
最盛期には三万六千本にも達したそうです。
江戸初期は梅の実が農民を助け、
江戸後期から明治期には「梅の花の名所」として観光地となります。
多くの文人墨客もこの「杉田梅林」を愛でます。
「我等が郷土神奈川県下には由来天恵的に名勝或は史蹟の地として指を屈するの 地洵に多く,従って之れ等各勝地に遊杖せる古今の俳人墨客の数も相当多く,又 それらの人々に依って残された吟詠も決して少なくありません。今茲に編する杉 田金澤両地の内,杉田は往古より杉田梅林として其名高く例へば吟江の 吉野の みか梅の杉田もこれはこれはの句の如く,又「杉田の梅林に遊びて」と題書せる 抱一上人の これはこれはこゝをや梅の吉野山の句の如き,ともに花の吉野と梅 の杉田を対立させてゐるあたり全く梅花の名所として立派に立証し得る事が出来 うると存じます。又金澤は金澤八景として天下に其の名高く,其の昔兼好法師は 此の地の佳景を愛して住み,画聖巨勢金岡は此の地の妙景に絶倒して筆を松に擲 つたと云ふ事であります。又心越禅師は勝景西湖に似たる故を以て,八勝の詩を 賦し,尭恵法師は神異絶妙と,唱へて居ります程の勝れた地区であります。」
(飯田九一「杉田金澤古今俳句集」)
吉野のみか梅の杉田もこれはこれは 夏目吟江
「間宮信繁」の菩提寺杉田妙法寺には
この地を訪れた俳人の句碑が残されています。
門をくぐると直ぐに句碑に出会います。
さびしさは星をのこせるしぐれかな 飛鳥田 麗無公
「また寒き 月のひかりや 梅の花」 松竹庵 梅月
「簾越し居るこゝろして梅のもと」 内野 月朶(げつだ)
■牛頭山妙法寺(ぎゅうとうさん みょうほうじ)
1352年(文和元年)創建。2月〜3月上旬には、名木「照水梅(しだれうめ)」をはじめ多くの梅の木が咲きほこります。
(スパイも医者も登場)
杉田に梅林を奨励した間宮?
この名から連想する教科書に出てくる人物といえば
間宮林蔵という“冒険家=隠密”でしょうか?
彼は杉田の間宮氏と遠縁にあたります。
「間宮 林蔵(まみや りんぞう、安永9年(1780年)〜天保15年2月26日(1844年4月13日))は江戸時代後期の隠密、探検家である。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。名は倫宗(ともむね)。農民出身であり、幕府隠密をつとめた役人であった。」(Wikipedia)
常陸国筑波郡上平柳村出身で、先祖は後北条氏に仕えた宇多源氏佐々木氏の流れを持つ間宮家の一族で武士から帰農した人物です。
杉田村で間宮から杉田姓を名のった一族の親戚にあたります。
間宮氏の一部は杉田に暮らし
「杉田姓」を名乗った一族がいました。
間宮一族は 近江佐々木氏にルーツがあり遠くは近江の出身です。
鎌倉時代、相摸のもののふの一族として歴史に登場します。
北条氏に仕え、笹下エリアに山城と陣屋を建て 杉田・笹下・田中他 一帯を治めます。
その後 北条氏滅亡で間宮氏は
杉田間宮氏、氷取沢間宮氏、三ツ沢、鶴見、房総下総、三浦、川崎、静岡 等に分かれて居を移していきます。
一方、初期に杉田村に生まれた遠縁の間宮長安という人物が
間宮姓から杉田に氏を変え暮らします。
この杉田氏の子孫が福井若狭藩(酒井家)の藩医となり幕末期江戸で活躍します。
ここに登場したのが
一度は歴史教科書で聞いたことのある「杉田玄白」です。
杉田玄白(1733年〜1817年)
間宮林蔵(1780年〜1844年)
少し前後しますが
二人はほぼ同時代を生きた人物で共に杉田に縁のある人物です。
(杉田のヘソ)
江戸時代まで、杉田・屏風ヶ浦のヘソは笹下にありました。明治初期には現在の「横浜刑務所」あたりに久良岐郡役場と村役場がありました。
その後、堀割川流域の発展に伴い市電の開通などもあり磯子・屏風ヶ浦・杉田地域は海岸線が発展していきます。
市電の終着「杉田駅」ができることで、海岸線に近い杉田は大きく発展していきます。その後に、湘南電気鉄道(後の京浜急行)「杉田駅」が開通します。
湘南電気鉄道の当初の計画では
「屏風ヶ浦駅」が最初に開設する予定でしたが、地元の猛反対に遭い「杉田」が先に開設されます。(よくある歴史の皮肉ですね)
ここで
少しヘソが変わります。
市電「杉田駅」から「聖天橋駅」周辺に繁華街の中心が移り、市電廃止でバス中心となると「京急杉田」を軸に街が拡大していきます。
上大岡からの旧道に沿って開通した“湘南電気鉄道”は昭和初期、日の出町で京浜電気鉄道とつながり、一気に首都圏の重要な動脈となっていきます。
一方、戦後になり念願の桜木町から先に伸びる「根岸線」が開通すると
第一段階で「磯子駅」が開設し駅前が変わります。
その後「大船駅」全通に伴い「新杉田駅」が開設され、「杉田駅・新杉田駅」界隈には独特の賑わいが生まれます。
平成に入り、
シーサイドラインの開通等で、杉田のヘソは少し「新杉田」寄りにシフトしましたが、まだまだ京急杉田周辺のデープさは残っています。
※余談
京急杉田駅横には「お稲荷さん」があります。
この杉田駅稲荷?(というのか不明ですが)には
秘話が隠されているのをご存知ですか?
この秘話は 別のところで紹介することにしましょう。
今日はちょっと長くなりました。おつきあいありがとうございます。
【バス旅】横浜18区路線バスの旅(日曜版)
横浜18区路線バスの旅第二弾!【北回り編】<追記版>
「路線バスを使い横浜18区を走り抜ける」日曜版(休日ダイヤ)
さらに短縮コースも探しました。
![]() |
緑ラインが今回の修正ルート |
(前回)No.449 横浜18区路線バスの旅
前回は平日実験的にチャレンジしました。
今回は、さらに距離と時間を短縮しました。
また「休日ダイヤ」でチャレンジしてみました。
このチャレンジは
一般的な バス遊びとしてはハードすぎますが、
バスを気軽に使って市内ツアーをする際の課題が明確になったツアーでした。
(課題点)
バスは現状“地元の人が良く判っていること”を前提にしています。
同名のバス停が離れて設置されていることもあり
<バス停探し>に苦労しました。
全く初めて【それぞれの】地域路線バスを利用する人にとって
バスは まだまだハードルが高いかも知れません。
■料金設定
[区間均一]と[距離別]
市内の多くが210円均一(前乗り前払い中降り)
■乗車方法
[前乗り前払い]と[中乗り前払い]
●バス停が判りにくい場所が かなりありました。
特に<交差点>でのバス停は 位置が探しにくい。
→これに関しては バス亭設置の限界もありますが
乗りにくい、戸惑いました。
同じ名前のバス停が路線毎に別な場所に設置されているケースがまだ残っています。
●それぞれの駅前のバスロータリーにあるバス乗り場案内板のデザイン(フォーム)
キャッチサインに工夫が欲しい
→案内板に【バスインフォ】の統一サインかなにかできませんかね!
●時々 車内(バス停案内)放送にポカがあった!!
実際運行と案内放送がズレたケースが数回、
窓外を確認していないと降り損ねる可能性がありました。
事前にスマホ等で時刻表をダウンロードしておくと便利ですが、
市営バスは 停留所にバス時刻表をダウンロードできるQRコードが付いています。これで、休憩のタイミング等を図れたので行動がぐっと気楽になりました。
横浜18区路線バスの旅(日曜版)記録
以下のデータは2015年(平成27年)9月30日時点です。
【北回り】
■①横浜駅西口6:56発38系統 鶴見駅西口行き
通過区[西区][神奈川区][鶴見区]
内路(うつろ)7:22着
■②内路(うつろ)7:36発41系統 川向町折返場行き
通過区[港北区][都筑区]
東方町8:02着
■③東方町8:18発41系統 中山駅北口行き
通過区[緑区]
中山駅北口8:41着(トイレ)
■④中山駅北口8:53発90系統 青葉台駅行き
通過区[青葉区]
青葉台営業所前9:02着
■⑤青葉台営業所前9:10発65系統 若葉台中央行き
通過区[旭区]
若葉台近隣公園前9:25着
■⑥若葉台近隣公園前9:32発相鉄バス三ツ境駅
通過区[瀬谷区]
三ツ境駅北口9:50着
■⑦三ツ境駅10:00発戸17系統 戸塚駅東口行き
通過区[泉区][戸塚区]
戸塚駅東口10:45頃着
■⑧戸塚駅東口11:07発江ノ電バス 見晴橋行き
通過区[栄区]
見晴橋11:25着
(徒歩400m)
■⑨小菅ケ谷橋11:31発神奈中138系統港南台駅前行き
通過区[港南区]
横浜女子短期大学前11:45着
(昼食)
■⑩横浜女子短期大学前12:19発45系統洋光台駅前行き
通過区 [磯子区]
南公園前 12:28着
■⑪南公園前 12:44発107系統さわの里小学校行き
通過区[磯子区]
随縁寺前12:52着
(徒歩200m)
■⑫京急富岡住宅西口13:20発京急富岡駅行き
通過区[金沢区]
京急富岡駅13:33着
(徒歩)駅またぎ
■⑬富岡13:44発京急4系統磯子行き
通過区[金沢区][磯子区]
磯子車庫前13:58着
■⑭磯子車庫前14:05発市営113系統桜木町駅前行き
通過区[磯子区]
滝頭14:18着
■⑮滝頭14:38発市営68系統横浜駅西口行き
通過区[中区][南区]
浅間下15:08着
■⑯浅間下15:14発市営87系統横浜駅西口行き
通過区[保土ケ谷区]※
横浜駅西口15:41着
全行程 1,950円(市営一日乗車券使用)
16路線 9時間 昼食時間約35分
ポイント:保土ケ谷区をどのタイミングで通過するか?
三沢上町交差点は[保土ケ谷区]
今回、日曜ダイヤの関係で最終ルートに組み込みました。
その後大きくダイヤ改正が行われていますので、再挑戦してみます。
さらには【南回り】ルートにも。南回りはザクッと時刻表を見た感じ、かなり苦戦しそうです。ではまた。
No.449 横浜18区路線バスの旅
【チャレンジ18区】
路線バスを使い 横浜18区を走り抜ける
踏破マップ |
【ルール】
①移動には必ず路線バスを使うこと。
②一筆書きであること。(同じ路線は使用しない)
③300m程度の徒歩移動は可(駅の反対側への移動等)
④最短を目指すこと。
(スタート)
桜木町駅[中区]8系統 6:33発
横浜駅改札口前[西区]
横浜駅西口 59系統 6:50発
[神奈川区][鶴見区※注①][港北区]
※注①
一瞬鶴見区を通過するルートを選びました。
この一瞬通過ルートはこのゲームのポイントに
なりますが、下調べ不足でした。
この59系統は、綱島街道尾根ルート系です。
浦島から菊名まで分水嶺を走ります。
港北区総合庁舎前 7:25着 7:26発
[都筑区]
途中 工業地帯「新羽」エリアを通るルートなので
8時出社系の企業が多く、めちゃ混みでした。
外国人も多かったです。
東方町 7:52着
実はこの後に7:31発
中山駅北口行がありましたが
時刻表確認時間が無かったので乗り継ぎに
[緑区]
中山駅北口 7:57着 トイレ
![]() |
中山駅 |
中山駅北口 90系統 8:08発
☆注意 横浜市営バス「一日乗車券」は横浜市営のみ使えます。
90系統の場合、東急と共同運行ですので東急バスでは使えません。
[青葉]
青葉台営業所前 8:17着 若葉台方面はとにかくバス運行本数多数
[旭区]
若葉台中央 8:40頃着 23系統 65系統 55系統
※作戦タイム
若葉台中央 神奈中116系統 8:57発
三ツ境駅北口 9:25着
[瀬谷区]
トイレ探しに時間を食う!
しかたないので軽食を食う!!
三ツ境駅 戸17系統 10:15発
[戸塚区][泉区]
戸塚駅東口 10:55頃着 11:08発
江ノ電バス 大船行 11:25頃
乗車方法が異なります
[栄区]
笠間十字路 11:30頃 神奈中バス15系統
本郷車庫前 11:45頃着
昼食と周辺散策
本郷車庫前 12:36発 12:40頃着
長倉町にて
以前から気になっていた
かながわの橋百選の一つ
横浜最古の橋「昇龍橋」へ!
散策プロムナードに整備されていた!?ようですが
かなり 荒れています。
![]() |
展望台は崩壊 |
「昇龍橋」美しい!期待を裏切ってません。
良い形の石橋ですね。
「昇龍橋」はバス停一つ手前の「八軒谷戸」にあります。
ただ「八軒谷戸」からですと いたち川に降りるのが難しいので
「長倉町」からワイルドに川辺を歩いていくのが
発見の感動が一入!!!!
長倉町の近くに昔良く行った「上郷森の家」があるので
立ち寄りたかった!!が
本日は スルーしました。
[金沢区]
金沢八景駅前に 13:30頃着
金沢八景でピンポイントで行っておきたいところ?
瀬戸橋と、「明治憲法起草の地」あたり再確認に決定
No.124 5月3日 料亭にて超機密書類盗まれる
姫小島水門
金沢八景をぶらり散策して
「州崎」から京急バス4系統に乗ります。
ここからは
18区を踏破するための小技を使います。
(無理矢理バス路線)
[磯子区]
磯子車庫前下車
ここから「港南区」を通過するには
「打越」か「上大岡」へ向かうしかありません。
どちらも本数がほとんどありません。
今後の課題です。
1時間に1本の上大岡着
[港南区]
(小休止)
上大岡駅から弘明寺まで神奈中 港61系統
![]() |
弘明寺でデュークによりあんぱんを七種類購入 |
[南区]
港61系統は横浜駅東口行なのでこれで一気に帰りたい!
どうしても「保土ケ谷区」を経由するには、保土ケ谷駅東口経由がベストなので
弘明寺から横浜市営9系統で
[保土ケ谷区]
「保土ケ谷駅東口」
![]() |
ふらんすやまの保土ケ谷支店もあります |
ここで106系統に乗換えて
「桜木町駅」にて終了です。
最後はかなり乱暴ルートになってしまいました。
逆コースだとどうなるか?いずれチャレンジします。
土日ですとダイヤが変わりますからまた違った組み立てになるでしょう。
(振返りと課題)
要領を心得ると 結構楽しいバス巡りです。
市営の「一日乗車券」600円はフルに使いました。
これでかなりコストダウンに繋がりました。
神奈中は無理としても相鉄バスの「一日乗車券」は作って欲しい!!!
「東急バス1日乗車券」は500円で販売しています。
今回は使っていませんが、使い方によっては
かなりメリットがあります。
☆今回の18区踏破のポイントは
金沢区と保土ケ谷区をどう走るか?でした。
もう少し工夫路線があると思います。
(精算)
横浜市営「一日乗車券」600円
神奈中バス 他1400円
合計 2,000円
15回。11路線 約11時間の旅でした。
続編もあります。
【バス旅】横浜18区路線バスの旅(日曜版)