No.190 7月8日(月)パブリック・ディプロマシー
1958年(昭和33年)7月8日の今日、 伊勢佐木から横浜公園に移築された米軍用の室内運動場フライヤー・ジムの接収が解除された日です。 横浜市中心部の大半、市内各地を接収していた米軍の「文化戦略(パブリック・ディプロマシ… 続きを読む »
1958年(昭和33年)7月8日の今日、 伊勢佐木から横浜公園に移築された米軍用の室内運動場フライヤー・ジムの接収が解除された日です。 横浜市中心部の大半、市内各地を接収していた米軍の「文化戦略(パブリック・ディプロマシ… 続きを読む »
喰う者と喰われるもの。 自然界の食物連鎖が崩れると、生態系が壊れてしまいます。 とはいえ生態系の重要性が認識された歴史はごくごく最近のことです。 1927年(昭和2年)の今日、アメリカザリガニが “餌として” 横浜に初上… 続きを読む »
ケータイで大きく変わった社会生活の一つが、「待ちぼうけ」の激減です。 その昔、駅にはチョークの「伝言板」がありました。 相手を信じて待つという行為が無くなったのが現代です。 年表を読んでいたら横浜の待ちぼうけに関する面白… 続きを読む »
(ちょっと紹介のタッチを変えてみました) はじまりは、一枚の絵はがきでした。 「横濱吉浜橋ヨリ山手ヲ望▲」と題した風景には吉浜橋あたりから石川町から山手の洋館群が描かれています。 そして、右側に川に沿って倉庫群が見えます… 続きを読む »
1958年(昭和33年)4月14日の今日、 1600時、次の寄港地ホノルルに向かうために横浜港を出発したキュナード・ライン社の客船「カロリナ号」は、折からの強風と湾内を航行する米軍艦とのニアミスを避けるため旋回したことで… 続きを読む »
1906年(明治39年)の今日3月25日(日曜日) 日本の運命を変えた一人のマーチャントバンカーが家族とともに約二十日間の船旅を終え午後4時頃横浜港に入りました。 彼の日記によれば、午前11時に陸地が見えたとあります。 … 続きを読む »
戦後、横浜で開催された博覧会(開港博)は四回あります。 1989年に市制100周年としてYES89 2009年に開港150周年としてY+150がそれぞれ開催されました。 この二つの博覧会に先立つ1949年(昭和24年)の… 続きを読む »
■横浜市歌に秘められた謎 横浜で最もポピュラーな歌は「横浜市歌」です。 わが日の本は島国よ (わがひのもとはしまぐによ) 朝日かがよう海に (あさひかがよううみに) 連りそばだつ島々なれば (つらなりそばだつしまじまなれ… 続きを読む »
■(ブログを始める前2009年ごろに書いたものです) 「わが日の本は島國よ 朝日輝ふ海に 連り峙つ島々なれば あらゆる國より舟こそ通へ」と続く歌詞は、文豪森林太郎(鴎外)作詞による横浜市歌です。街のどこかでこの歌が流れる… 続きを読む »