今日は駅ネタです。
都市伝説風に書けば
(明治3年)1870年
開港都市横浜と東京を結ぶ鉄道敷設のために測量・着工
(大正3年)1914年
二代目横浜駅竣工
(昭和3年)1928年
三代目横浜駅竣工
(平成3年)1991年
空の港、成田空港駅が開業
ややこじつけですが
不思議と揃っていますね。
さらに、
三代目の「横浜駅」は
10月15日に開業しました。
Aは神奈川駅、Bは平沼駅(現在廃止) |
「横浜駅」の位置は2回移動します。
今日はさよえる横浜駅の話しを紹介します。
現在の横浜駅は三代目です。
正確には三回の引越後、数回リニューアルが行われ、現在も工事中といった方が正しいでしょう。
(初代)
初代の「横浜駅」は現在のJR東日本根岸線「桜木町駅」で、
鉄道営業が日本で始まった駅であることは有名です。
東海道線の開通で、初代横浜駅が立地的理由から取り残されそうになります。
そこで「横浜駅」だけが東海道本線に接近する必要性から移転します。
最初の「横浜駅」 |
明治時代の横浜駅付近 |
県民共済ビルにある「横浜駅」を描いた錦絵パネルです |
(二代)
二代目の「横浜駅」は
1915年(大正4年)8月15日
現在の横浜市営地下鉄高島町駅付近に建設されます。
遺構が残っていますので名残を見学することが出来ます。
二代目遺構 |
この場所も改めて現在の視点で眺めると東海道がカーブしていて無理があります。
二代目横浜駅は当時の駅舎建築としては見事なデザインでした。
この二代目横浜駅開設で「平沼橋商店街」が誕生します。
その後、横浜駅二回目の移動で寂れかかりますが、
1931年(昭和6年)12月26日に京浜急行「平沼駅」の開業でまた復活します。
1944年(昭和19年)11月20日に京急平沼駅が廃止されてしまいます。
(二代目焼失)
しかし、残念なことに“関東大震災”で「横浜駅」が焼失します。
明治時代の高島付近 |
(三代目横浜駅)
そうして震災復興計画で現在の(三代目横浜駅が
1928年(昭和3年)10月15日現在の場所に移動し開業します。
しかも表玄関は東口をで、西口はしばらくの間
「ぺんぺん草」の生える空き地でした。
(全国でも希有の駅移動)
横浜駅は二回位置を大きく移動しました。
小さな駅ならまだしも神奈川県内最大の駅を移動した訳ですから、良くあることなのか?
簡単に調べた範囲内でも
函館・千葉・博多には若干移動した記録がありますが2キロ移動した例はありません。
単に駅名で言えば
初代横浜駅を「桜木町駅」にせず「横浜駅」のままにし
新駅を「神奈川駅」にしても不思議では無いのですがね。
(そうなったら新幹線は新神奈川駅に)
鉄道は最も政治力の働く領域です!ので何か思惑があったのでしょう。
我田引鉄の世界ですから。
(大岡川を越えられない)
横浜は幕末に創られたベンチャー都市ですから
城下町、門前町のような町の核がありません。
江戸時代の「核」を持たない街が“横浜”です。
良い面とマイナス面がありますがこの駅の大移動は結果的に横浜を柔軟に活かしたことになります。
鉄道創世記の頃、
城下町に県庁・市庁所在地から駅が遠い事例は多くあります。
“鉄道忌避”で古い街程、城下町中心部を外して路線が敷かれました。
常々不思議に思っているのが関内に長らく駅が無かったことです。
横浜は1964年(昭和39年)まで国鉄が“大岡川”を越えることはありませんでした。
地元の人はあまり気がつかないようですが、横浜を訪れる人にとって横浜港(山下公園・大桟橋)や山手、中華街は奥座敷、特別な場所に入り込む“奥座敷”感覚があるように思えます。
大昔、関内エリアにコミュニティFMの可能性を探るために調査を行ったことがありますが、「中華街」「山下公園」「元町」「山手」が横浜のラビリンス(迷宮)感覚があるという聞き取り結果が出ました。
地域の核となる「横浜駅」が移動しても魅力を失うことなかったのも横浜の面白さの一つではないでしょうか。(先人はご苦労されたようですが)
(横浜は開港とともに幕末の経済特区)
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(横浜駅西口の変化)
No.87 3月27日 横浜駅のヘソが変わる