安政6年正月13日 己未 甲申 先勝(1859年2月15日)のこの日、幕府開港決定にともない地域限定の自由貿易により出稼ぎの奨励がある。
「同月、神奈川(2月に横浜に変更)・長崎・箱館三港、近々開港、出稼ぎ・移住者の勝手商売を許可、希望者は港役人に紹介する。」
横浜は開港とともに幕末の経済特区になった。
諸外国と国交を開き経済活動を認めることになった徳川幕府は、開港を決定する。
この政策転換は全国の商人(商人を目指す人々)にとって衝撃的情報だった。
相模原市(旧津久井郡)城山町には安政6年正月16日、「神奈川・長崎・函館の三港が開かれることになったので、右の場所へ出稼ぎ、また移住して自由に商売をしたいと思う者は、その港の奉行所に届け出て許可を受けること」と資料にある。甲斐国では甲府勤番支配や三分代官を経て開港の情報が町方から在方へもたらされた。若干の時差があったが概ねこの時期に各地に伝わったようだ。
横浜に近い神奈川県内、山梨県、群馬県は地の利や主力商品を持っているため多くの起業家達が横浜を目指している。開港の決まった安政6年6月までに横浜に進出した商人は71名。約半数は江戸商人だった。半年以内で意思決定するスピード感はみごとだ。ビジネスはスピードという原則は今も昔も変わらない。
幕末から明治にかけて横浜で起業した商人達。
甲州屋 忠右衛門 (山梨県)若尾 幾造 (山梨県)雨宮 敬次郎(山梨)平沼 専蔵 (埼玉)早矢仕 有的 (岐阜)原 富太郎(岐阜)茂木 惣兵衛(群馬県)中居屋 重兵衛(群馬県)伏島 近蔵(群馬)高島 嘉右衛門(江戸)田中 平八(長野)大谷 嘉兵衛(三重)浅野 紘一郎(富山)安部 幸兵衞(富山)増田 嘉兵衛(富山)等々まだまだいる。
成功、失敗、悲喜こもごもだが、皆 足跡功績を多く残している。
私が特に個人的関心がある人物は鉄道王、雨宮 敬次郎(山梨)とマルチ商人 高島 嘉右衛門(江戸)の二人だ。また直接横浜進出はしていないが山本 長五郎(清水次郎長)もかなり面白い。一般的に作られたイメージとはかなり違った実像の人たちの真実に迫ることは驚きと喜びにつながってくる。おいおい紹介して行きたい。