第978話【横浜の分水嶺】
都市部ではあまり<分水嶺>という表現を使いません。都市化された市街地にかつて流れていた(流れている)小河川が埋もれてしまう(暗渠化)ことが多いからです。襞のような丘陵地を多く持つ横浜にはミニ分水嶺が多くあります。 今回は… 続きを読む »
都市部ではあまり<分水嶺>という表現を使いません。都市化された市街地にかつて流れていた(流れている)小河川が埋もれてしまう(暗渠化)ことが多いからです。襞のような丘陵地を多く持つ横浜にはミニ分水嶺が多くあります。 今回は… 続きを読む »
横浜市内の国道を紹介しましょう。国道とは「日本において国が建設・管理する道路の総称である。(wikipwdia)」そもそも「国道」という言葉が初めて使われたのは、1876年(明治9年)に発せられた「太政官布告」によって、… 続きを読む »
国道16号は現在、起点:西区桜木町〜終点:西区桜木町という珍しい道路です。歴史は新しく1963年(昭和38年)4月1日に幾つかの路線が統一されて16号となりました。横浜界隈的に起点から16号を辿ります。ルート16は帷子川… 続きを読む »
昭和の記憶に開港の時代が刻み込まれている瞬間に出会う。吉田町では、店の名に<土手>をツケて呼んでいたと聞いて久しぶりに痺れた。 これこそ昭和に伝わっていた開港の記憶だ! 吉田町の大店(おおだな)だった「武蔵屋呉服店」は当… 続きを読む »
今回は謎のみで<解いていません> (大岡川運河群の誕生) 大岡川下流域はかつて大きな入海で、江戸期に吉田新田が干拓で誕生します。この吉田新田の誕生によって「大岡川」「中村川」「派大岡川」が誕生します。 この時点では、新田… 続きを読む »
・横浜絵の誕生 開港後、初代イギリス公使オールコック(Rutherford Alcock)が「人の住まぬ湾のはしの沼沢から、魔法使いの杖によって、日本人商人たちが住む雑踏する街ができた」「魔法使いの杖 の一振りによって茸… 続きを読む »
※なんとサボりにサボって2018年初ブログです。まずは慣らし運転で。 大岡川の橋を良く渡ります。 中でも「都橋」を渡ることが一番多く、好きな橋でもあります。橋には<蒲の穂>をモチーフにしたレリーフが飾られています。親柱の… 続きを読む »
歴史上横浜市域における<いくさ>はあまり多くなかったようです。 中世期に 幾つか横浜の戦いがありました。 横浜の中世史に関心のある方に横浜の<戦場>は? と質問すると、 多くの方が挙げるのが、緑区の「小机城」と 神奈川区… 続きを読む »
1997年(平成9年)に開通した汽車道(開港の道)を渡る折、 桜木町駅から日本丸の脇に立つと、いつも気なる風景がありました。 帝蚕倉庫の壁に設置されていた「Panasonic」の光学ディスクをモチーフにした広告です。 そ… 続きを読む »
今年は馬車道150年です。 1867年(慶応3年)に「吉田橋」から関内を通り抜ける広い道路が整備されたことに因みます。 この「吉田橋」から続く<広い通り>は地元の人たちに通称「馬車道」と呼ばれるようになり、その後区画整理… 続きを読む »