第926話【絵葉書の風景】橋の袂の少女(改筆)
戦前の絵葉書が多彩・多用な画像メディアとして活躍していた事はブログ内でも何回かお伝えしているところです。 さらに付け加えると、 時折 絵心というか<写真心>を感じる絵葉書に出会います。風景撮影だけではなく、そこに<アクセ…
(横濱界隈通信)様々な横浜界隈を歴史から現在まで一つひとつたどりながら紹介していきます。
戦前の絵葉書が多彩・多用な画像メディアとして活躍していた事はブログ内でも何回かお伝えしているところです。 さらに付け加えると、 時折 絵心というか<写真心>を感じる絵葉書に出会います。風景撮影だけではなく、そこに<アクセ…
金沢区は魅惑的な区で、様々な角度から紹介しています。 横浜18区の中でもじっくり書いたものが多いかもしれません。 <カウントしてませんが> リンクをまとめました。 第923話【横浜市境】 市境の深ーい溝 http://t…
この話題は以前フェイスブックで取り上げたものを このブログ用に加筆修正しました。 1988年(昭和63年)2月19日 「戦前に臨時飛行場として造成された埋立地“夏島”の帰属をめぐる横浜・横須賀両市間の紛争が40年ぶりに決…
横浜市南区東南部と磯子区東部にわたり、 明治7年(1874年) 大岡川の支流中村川分水路として開削されたのが「ほりわり川」です。 この「ほりわり川」の表記が統一されていないのかあくまで誤記なのか。 堀割川 掘割川 「堀」…
滝ノ川に架かる「大清水橋」 かな表記は「だいしみずばし」だが市の橋梁台帳では「おおしみずはし」となっている。読みが全く異なるもの珍しい。理由は近所に60年暮らす方に聞いても解らなかったが、その方は「おおしみずばし」だと思…
横浜側:長尾台、田谷 鎌倉側:玉縄、岡本 今年の春、市境踏破を目指しました。ほぼ全市境あたりを歩きましたので、第二ステップでは、市境をもう少し探ってみることにしました。 (長尾台) 大船駅西口から柏尾川に沿って上流に向か…
素人調べレベルと予め宣言しておきます。 大岡川河口域に広がっていた<内海>は絵図を見ると新田開発が始まるまでは、漁場だったようです。<横浜の砂州>が冬場の北波を防ぐ防波堤の役割をしていたから中々の漁場だったのではないでし…
大岡川に関心を持った中で 江戸期の百姓の姿を知りたいと考えました。 そこで この夏の集中テーマを江戸の「百姓」に置き 学習計画を立てました。 大岡川下流域、横浜村エリアに暮らした百姓の姿を推理するには何が必要か? と考え…
この写真は約7割が空となっています。 カメラマンは何故? 敢えてこの広い空を構図の中に取り込もうとしたのでしょうか? 撮影場所は野毛山中腹(現在の西区東ケ丘あたり)かプール(今無い)あたりか? <風景を読む> 手前に京浜…
大正から昭和へ 1900年代初頭、近代化のうねりの中で横浜は開港場を軸に、変化の真っ只中でした。 ここで第二次市域拡張を終えたダブルリバーの20世紀初頭を追ってみます。 1901年(明治34年)から20世紀となります。 …