第952話 吉田町通物語
昭和の記憶に開港の時代が刻み込まれている瞬間に出会う。吉田町では、店の名に<土手>をツケて呼んでいたと聞いて久しぶりに痺れた。 これこそ昭和に伝わっていた開港の記憶だ! 吉田町の大店(おおだな)だった「武蔵屋呉服店」は当…
(横濱界隈通信)様々な横浜界隈を歴史から現在まで一つひとつたどりながら紹介していきます。
昭和の記憶に開港の時代が刻み込まれている瞬間に出会う。吉田町では、店の名に<土手>をツケて呼んでいたと聞いて久しぶりに痺れた。 これこそ昭和に伝わっていた開港の記憶だ! 吉田町の大店(おおだな)だった「武蔵屋呉服店」は当…
今回は謎のみで<解いていません> (大岡川運河群の誕生) 大岡川下流域はかつて大きな入海で、江戸期に吉田新田が干拓で誕生します。この吉田新田の誕生によって「大岡川」「中村川」「派大岡川」が誕生します。 この時点では、新田…
前回、 五雲亭貞秀が描いた代表作の一つ「横浜鉄橋之図」から野毛近辺をクローズアップして風景を読み解いてみました。今回も引き続き、「横浜鉄橋之図」鉄の橋の下を通過する荷物満載の船と横浜製鉄所、魚市場あたりを眺めてみることに…
・横浜絵の誕生 開港後、初代イギリス公使オールコック(Rutherford Alcock)が「人の住まぬ湾のはしの沼沢から、魔法使いの杖によって、日本人商人たちが住む雑踏する街ができた」「魔法使いの杖 の一振りによって茸…
戦前の絵葉書が多彩・多用な画像メディアとして活躍していた事はブログ内でも何回かお伝えしているところです。 さらに付け加えると、 時折 絵心というか<写真心>を感じる絵葉書に出会います。風景撮影だけではなく、そこに<アクセ…
横浜市南区東南部と磯子区東部にわたり、 明治7年(1874年) 大岡川の支流中村川分水路として開削されたのが「ほりわり川」です。 この「ほりわり川」の表記が統一されていないのかあくまで誤記なのか。 堀割川 掘割川 「堀」…
この写真は約7割が空となっています。 カメラマンは何故? 敢えてこの広い空を構図の中に取り込もうとしたのでしょうか? 撮影場所は野毛山中腹(現在の西区東ケ丘あたり)かプール(今無い)あたりか? <風景を読む> 手前に京浜…
大正から昭和へ 1900年代初頭、近代化のうねりの中で横浜は開港場を軸に、変化の真っ只中でした。 ここで第二次市域拡張を終えたダブルリバーの20世紀初頭を追ってみます。 1901年(明治34年)から20世紀となります。 …
現在、ダブルリバー(帷子川・大岡川)の関係性と果たしてきた役割を考えています。 資料にあたり、実際に歩きながら地理を体感しています。 この作業の中で 地域一帯の名を使いながら理解し、ブログ等にも分かったことなどまとめてい…
ダブルリバーに関わる3つの区を地図上で眺め、歴史を探ると 分区の不思議が見えてきます。 横浜市南区は1943年(昭和18年)12月1日中区から分離しました。 その理由は 「戦時配給制度の手続の軽減を図るため、寿…