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第975話【絵葉書の風景】横浜港魚釣

Published / by tadkawakita / Leave a Comment

横浜沖で釣りの風景。
同じ原版で手彩色が施された二枚の絵葉書画像を紹介します。

手彩色絵葉書 横浜港
手彩色絵葉書 横浜港漁釣

絵葉書は明治期、日清・日露戦争で軍事郵便として数億枚が戦地と本国を流通しました。結果、定額で使える絵葉書は日本人の愛用品となり庶民のパーソナルメディアになっていきます。
オフセット印刷の前は、石版や凹版、凸版が主流でした。
当時、絵葉書はモノクロ中心からそこに手彩色が施されるなど、今では考えられない程、手間がかかっていました。最初の彩色見本を基準に一枚一枚、女性の<職工>が安い工賃で作業していたのです。
彩色時期、版元、担当等によって彩色の雰囲気が変わることから、資料性に欠けるとされた時期がありましたが、現在はそれも含めて時代を読む重要な資料となっています。違った絵葉書を集める、コレクターとしても愉しみの一つです。
手彩色絵葉書は明治後期から大正初期までの間に多く発行されました。

絵葉書に使われる<風景>は現代の絵葉書や観光写真のそれとはかなり違っています。

何故この風景・モチーフとなったのか?
切り取られた風景を読み解く過程で、時代を垣間見ることができます。

(風景)この絵葉書の風景を読み解きます。
タイトルがなければ横浜風景とは一瞬わかりません。
横浜港をかなり沖から見た風景です。
撮影は横浜港防波堤あたりでしょうか。

明治中期の横浜港
手彩色絵葉書 横浜港漁釣

メインは沖に係留して「波止釣り」をする小舟です。
遊漁船のようにも見えますが、判りません。
少し奥に帆舟が一艘。
地平線には全面に横浜岸が広がっています。
左端が山手から本牧の外れ、
右寄りに二代目横浜税関が見えます。

山手円形

もう少し拡大してみると、山手に双塔の建物が見えます。
恐らく山手カソリック教会の聖堂と推測できます。
海岸線には「横浜港」を利用する大型船が多く停泊しています。船の周りには<艀はしけ>曳船(タグボート)と思われる小舟も確認できます。
大型船は「蒸気機帆船」(推進用の動力として蒸気機関を併用した帆船)が殆どです。

(時代類推)
ではこの風景がいいつ頃撮影されたものか?
■山手カトリック教会双塔は、
 1906年(明治39年)から1923年(大正12年)
■二代目横浜税関庁舎
 1885年(明治18年)11月竣工から1923年(大正12年)
ここから、この風景は
 1906年(明治39年)から1923年(大正12年)に絞り込むことができます。

■海岸通りは拡大してもぼやけていて正確な判断ができませんが、
 大桟橋たもとの測候所や、大桟橋、
 殆ど当て推量ですが、報時球らしき影が見るような気がします。
 というか、この時代なら、仏蘭西波止場あたりに
 報時球が無い訳がない!と思うと見えてくる影も感じます。

 <タイムスケール
このエリアに建造物が完成した時期を確認します。
 ※1894年(明治27年)に大桟橋 完成
 ※1890年(明治23年)グランドホテル(サルダ設計)
 ※海岸通りの報時球 1903年(明治36年)3月から1923年(大正12年)?
「時」の話題(更新)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=6945
 ※1905年(明治38年)12月28日には新港埠頭の第1期の埋立が完成。
 ※1906年(明治39年)5月22日には「新港町」が新設され、港湾施設建造が進みます。
 ※1911年(明治44年)から1913年(大正2年)にかけて、国営保税倉庫(赤レンガ倉庫)が建てられます。
 赤レンガ倉庫の高さは約18m ですので、二代目横浜税関と並ぶ存在感があるので、着工前かもしれません。

ということから、この時点でのアバウトな撮影時期の推計は
 1906年(明治39年)から1910年(明治43年)くらいかな!
 
■手前の小舟四艇
 そもそも、明治期から大正期の写真撮影の技術的な課題から、
 船上にカメラを置いて撮影したとは考えにくいので、
 カメラは防波堤の上に設置して、堤防に係留した釣り船をメインに撮影。
 方角は南向き、やや西より向きにカメラを設置したと推定できます。
 構図の中心、四艇の小舟をじっくり観察してみました。
 ・最前列の舟
  船上には四名、何もしていないように見えますが、船尾に網を巻き上げる装置のようなものが見えます。
 ・二番目の舟
  船上には二名、ハッピのような服装で作業中。一人は麦わら帽子。
 ・三番目の舟
  三名の人物が見えますが、釣りをしているようには見えません。
  それぞれ、<カンカン帽>を被っています。
  カンカン帽、素材は麦藁を平たくつぶして<真田紐>のように編んだ麦稈真田で、横浜が生産拠点(特産)の一つでした。明治末期から男性の間に流行したものです。この船上のカンカン帽紳士は、かなり<粋>な釣り人?
 ・四番目の舟
  画面左手に係留中の舟には、三名の人物が確認できます。
  中の一人は女性のようにも見えます。

(まとめ)
 撮影時期:1906年(明治39年)から1910年(明治43年)
 撮影位置:横浜港北防波堤(赤灯台側)内側あたり
 撮影時間:不明だが早朝か
 天候季節:やや北風、曇り。真夏ではない。
 小舟は、網漁の舟と思われる。