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第911話 中世の横浜を理解する(1)

Published / by tadkawakita / Leave a Comment

近年、横浜の近世以前が丁寧に解説されるようになってきました。確かに開港一辺倒の横浜史が多い時期もありました。
今年は吉田新田完成350年ということもあり、近世=江戸時代に少し光が当たっています。
さらに時代を遡って中世の横浜は?
横浜市域が武士の時代を迎える頃が中世の始まりですが、調べ始めると知らないことばかりでした。まず、入門ということで、中学生の副読本を読み始めました。これがかなり<難解>というか複雑な関係を簡単に表記しようとしているためか、一読では中々内容が理解できない内容でした。
私の理解力が低下していることも理由にあげられますが、中学生のレベルでもかなりハードルが高いのであなどれません。
私、中世日本の一般的な歴史知識は無く、高校での授業も殆ど記憶にありません。最近、近世史以降は少し学び始めていますが、中世というと真っ暗なのが現状です。
西洋史では<中世>は暗黒なんて言われていた時代があります。それはさておき、横浜市域の中世をざくっとレビューしてみました。
まず、そもそも論から。
ここが私の<困った>ところです。
古代から中世への分岐点(画期)は、律令制の行き詰まりにより武士が力を持った平安末期とするのが一般的のようです。平安末期、院政が始まり「保元・平治の乱」で平清盛が太政大臣に就任し、武家政権が成立したあたりからが中世ということです。
古代から、東国は良馬の生産地でもありました。※

平安時代末期に天皇家と摂関家による家督争いが表面化し実力行使が行われるようになってきました。この実力行使に、源氏・平家の武士団が動員され、地域に生きる豪族・武士団が政権存続に関わるようになりました。ここに東国の地方豪族=武士団が次々と登場するようになります。
横浜市域は武蔵国・相模国にまたがっていますから、「武蔵国武士団」「相模国武士団」が中世の重要登場人物となっていきます。
□五畿七道(ごきしちどう)
古代律令制度の時代にはその後の日本に影響を与えた様々な国家制度が作られますが、中でも地域区分を行うことで、国の政治制度を支えました。
五畿とは「畿内」ともいい、大和、山城、摂津、河内、和泉の五国。
七道とは全国の大きな行政区分で、東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道の七道のことです。地域区分により街道も整備され現在もこの七道は<道>としても活きています。以後、鎌倉幕府は「鎌倉道」を整備し、近世・近代に至るまで、国家は道作りの歴史でもありました。
武蔵国武士団は「東山道」に属していましたが、東海道東部、相模国武士団とも大きく関係するようになり人的交流が生まれます。同じ武士団でも
この頃、北関東一帯の有力武士団であったのが秩父一族です。帷子川流域の榛谷氏、鎌倉幕府の有力御家人となった畠山氏の畠山重忠らは横浜市域で活躍した秩父一族です。
□里山の風景
古代から中世にかけて形成された集落が現在の里山集落の原型・原点となっています。河川下流域に大きな集落が生まれるのは近世以降で、中世の集落の殆どが<谷戸><山間地>の村でした。海側の集落では漁業を生業とする漁村も誕生します。
現在の桜木町駅近辺は野毛浦と呼ばれた磯場で、江戸湾人気のマナコ漁が盛んに行われていました。歴史でクローズアップされるのが<戦(いくさ)>ですが、戦の場となるのが集落の拠点と成る山城です。小机城、蒔田城、荏田城、高田城、神奈川城、青木城、佐々木城といった城群が中世には点在していました。といっても戦闘方法が変わる戦国時代以降の城郭ではなく、丘陵を活かした陣地という程度のもので十分だったようです。
中世と近世の分れ目(画期)は検地・刀狩りによる兵農分離といわれています。織田信長・豊臣秀吉が強力に推し進めた兵農分離以前は、戦う農民そして田畑を耕し生産活動を行っていた「もののふ」が軍事力の中心でしたので、田植えの時期や収穫期の<いくさ>は両陣営でなるべく避けたそうです。
中世は下克上「源平合戦」の始まりでもあります。
次回は 横浜を舞台にした<戦い>を眺めてみます。
※京都平安京から遥か離れた<東国>には良馬の生産地として天皇の直轄の<御牧(みまき)>が何箇所かありました。
(2)横浜の戦い  へつづく