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第986話【横浜真景一覧絵図比較】 その1

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前回から25年版・35年版を比較し10年間を探ってみました。
おさらい
<一目見ての大変化>
 海岸通り部分の埋立
 大桟橋の完成
 富士見川運河が消滅
前回の
第985話【横浜真景一覧絵図徹底研究】第六話で簡単に紹介しました。
【横浜真景一覧絵図】明治25年版・明治35年版比較
【横浜真景一覧絵図横浜簡単年表】
1887年(明治20年)
 野毛山に県営水道完成、野毛山貯水場から市街への常時給水開始。
 ※trivia 最初は神奈川県営水道だったんですね。日本最初の近代水道。
1889年(明治22年)
  4月1日 横浜に市制(人口116,193人・面積5.40 km2)。
※現在の80分の1の広さでした。初代市長は増田知。
1890年(明治23年)
 2月1日 横浜貿易新聞 創刊。
 ※神奈川新聞のルーツです。
 横浜ー東京間で電話交換開始。
1890年(明治23年)
 水道が市営になる。
1890年(明治23年)
横浜共同電灯会社が初めて電灯を点火する。
1891年(明治24年)
十全医院が市営になる。
1892年(明治25年)
ガス局が市営になる。
鉄桟橋工事着工。
※25年版発行
1894年(明治27年)
 伊勢佐木・石川・山手の3消防組ができる。
 横浜港鉄桟橋(現在の大さん橋)完成。
 横浜蚕糸外四品取引所設立。
1895年(明治28年)
 生糸検査所 設立
 横浜商業会議所(横浜商法会議所の後身)が設立される。
1896年(明治29年)
 第1期築港工事竣工
 新吉田川開削、富士見川埋立工事竣工。
1899年(明治32年)
 条約改正で居留地が撤廃。
1900年(明治33年)
 1月22日新港埠頭工事着手。
1901年(明治34年)
 第1次市域拡張(人口299,202人・面積24.80km2)。
 久良岐郡戸太町、本牧村、中村、根岸村、橘樹郡神奈川町、保土ケ谷町の一部編入
1902年(明治35年)
 3月15日 日本郵船会社横浜支店新築落成。
 8月5日 横浜・横須賀間定期航路2往復から3往復に増便。
 12月10日 大江橋架橋工事竣工。開橋式。
※35年版発行
M25版 西之橋近くの謎の橋
M35版 西之橋近くの謎の橋が消えた。石炭庫周辺の路も整備されている様子がわかります
<変化場所>
 ・幻の石川町橋
 第890話【横濱の風景】西之橋からみる風景
 http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=9927
・千秋橋の登場
 第950話 【大岡川】千秋橋の謎
 http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=11440
ここでは長者町の土手が明治35年版では「千秋橋」となっています。
明治25年版 日之出川と吉田川合流地点にある<長者町の土手>
明治35年版 長者町の土手が千秋橋に架かっています
・35年版には日ノ出川の橋梁と中村川・日ノ出川・吉田川に船影が
※25年版 日之出川には橋梁が3つ架かり「日ノ出橋」のみ名が表示
※35年版 日之出川から一つ橋が消え、位置も変わり「扇橋」となっています。
  日之出川は、その後中村川との合流地点に「松影橋」架かります。
  これは 真金遊郭の整備を含めた長者・寿・永楽・千年・三吉周辺の大きな区画整理の結果で道路が変わったためでしょうか。
明治25年 日之出川
明治35年 日之出川に架かる橋。扇橋が新たに別の場所に架かっています。
日之出川 扇町川岸。川岸には石屋があり、長い板塀の屋敷が確認できます。
※25年版には描かれていなかった船影が運河に描かれるようになっています。
  ※25年版で描かれたパーツをコピペした感じですが、運河の賑わい・変化を感じます。
・大岡川の黄金橋
 ※25年版 小金橋
 ※35年版 黄金橋
  25年版は書き間違いか、聞き間違いかもしれません。
25年版 小金橋
35年版 黄金橋に。水路が消滅し街区に変化しています。
次回は 当時の建物を比較してみます。

第985話【横浜真景一覧絵図徹底研究】第六話

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今回から数回に分け、尾崎富五郎の描いた二版の鳥瞰図を元に(十年間の)変化を読み解くことにします。
この「横浜真景一覧絵図」徹底研究シリーズは今回で第6回目となります。
明治25年版
明治35年版
第1回から第5回までのシリーズで基本資料としたのが
「横浜真景一覧絵図」1892年(明治25年)版です。
第956話【横浜真景一覧絵図徹底研究】第一話
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=11569
今回はこの25年版を改定した10年後の明治35年版を元に2つの絵図を比較し町の変化を観ることにします。
間違い探しみたいです
(開港場膨張)
25年版(1892年)から35年版(1902年)までの10年間は「横浜関内エリア」が大きく変化した時期にあたります。
特に変化したのが、湾岸部と大岡川の運河群です。
明治25年版
明治35年版
<湾岸部>日本波止場から
  大波止場(英吉利大波止場)まで
 海岸通り沿いにある製鉄所・日本郵船の本社先が埋立てられています。また、開港後暫定的に作られた突堤<象の鼻>から桟橋が伸びています。
25年版が出版されるころに桟橋計画が持ち上がりました。暫定桟橋計画も進められますが間に合わず本格的な港湾施設が必要となり<横浜港全体の築港計画>が計画されました。
すでに活躍していたオランダの技師提案と英国人技師提案が競う形になり最終的に英国人パーマーに依頼します。
象の鼻
波止場名が英吉利大波止場となっています
<大岡川運河>
 運河部を見ると、25年版(1892年)では富士見川(運河)が完成していますが、35年版(1902年)版は1896年(明治29年)に埋め立てられていたので図上からは消滅しています。
1872年(明治5年)〜1873年(明治6年)に日ノ出川が開削され、堀割川も完成しました。中村川・大岡川・吉田川に航路が開通し運河が水上交通として有効活用され始めた時期にあたります。
元来、関外を形成する吉田新田エリアは干拓によって開発された「田畑」でした。
農地から宅地へと変化する中で、関外エリアは市街化のために<下水問題>を含め多くの課題を解決していくインフラ整備が求められます。
上部の運河が日ノ出川、下の運河が富士見川。上下に流れるのが左:新吉田川 右:中村川
富士見川が無くなり土地区画整理が行われています
1886年(明治19年)富士見川開削完了
 ところが 排水状態が悪く、
1896年(明治29年)には埋め立てられ富士見川消滅。
 上流から整備が進んでいた「新吉田川」が完成。
1897年(明治30年)に(新)吉田川のバイパス運河「新富士見川」が完成。
ほぼ 大岡川運河群が整備完了。戦後まで関内外を支えてきた運河群が誕生します。 (過去【横浜真景一覧絵図】ブログ
第956話【横浜真景一覧絵図徹底研究】第一話
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=11569
■都市鳥瞰図
第957話【横浜真景一覧絵図徹底研究】第二話
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=11580
■大岡川弁天橋付近
第958話【横浜真景一覧絵図徹底研究】第三話
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=11596
初代横浜駅前の様子
第959話【横浜真景一覧絵図徹底研究】第四話
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=11607
「運河」の町横浜
第960話【横浜真景一覧絵図徹底研究】第五話
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=11695
横浜真景一覧絵図に見る「橋梁」 ■25年版(1892年)・35年版(1902年)比較
 35年版は25年版を基本にしています。作者の気になった部分のみ修正されています。船のカタチ、位置は全く変更されていないものも多くあります。
だからこそ 変更されている部分に着目してみる価値あり!
ということでザクっと比較てみました。
 道路の修正は入念に行われているようです。
<一目見ての大変化>
 海岸通り部分の埋立
 大桟橋の完成
 富士見川運河が消滅
ここまで今回紹介しました。

<部分変化>
 幻の石川町橋
 日ノ出川の橋梁
 中村川・日ノ出川・吉田川に船影
 千秋橋の登場
 長者・寿・永楽・千年・三吉周辺の区画整理
 真金遊郭の整備
 長島・若葉・末吉周辺の区画変化
 大岡川の黄金橋
 戸太村周辺の傾斜地が宅地化
 横須賀出船所
明治25年版 富士見川が描かれています
明治35年版 船が描かれています。千秋橋が完成しています。
次回から 変化した部分に少しこだわってみます。

番外編【資料としての絵葉書】横浜駅

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※自分用を兼ね簡単に整理した横浜駅の基本情報をアップします。
■三回引っ越した横浜駅
横浜基本情報の定番の一つが【さまよえる横浜駅】です。
ペリーが横浜の応接所に上陸し様々な当時の最先端テクノロジーを紹介しました。
中でも<機関車>の紹介は臨場した幕府関係者を驚かせました。
小さい線路を敷いて模型の機関車を走らせたそうです。
その後、明治に入り本格的に鉄道敷設の段階に入り、さしあたって利用頻度の高い横浜と東京を結ぶ区間の鉄道敷設が決まりました。単純に横浜と築地の居留地間を結ぶニーズが外国人に強かったこともあります。
大岡川の河口、野毛浦を埋め立てて駅用地を確保し駅舎を作りました。これが初代の横浜駅(現在の桜木町)です。
第867話 【明治の風景】横浜駅前公衆便所(加筆)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=9341 その後横浜駅は二回(計三回)場所を移しました。
1872年(明治5年)初代横浜駅
初代横浜駅〜初代新橋駅が開通
初代横浜駅前
初代横浜駅前
※初代の駅舎は新橋駅と同じ形のペアの建物でした。
第849話 横浜・新橋、横浜が先?
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=9006
2代目 1915年(大正4年)
二代目横浜駅
〔所在地〕 横浜市西区高島2-1
初代横浜駅は町名に因んで「桜木町」に変更し現在に至ります。
二代目横浜駅のある高島町と初代横浜駅だった桜木町の間の線路は<電車専用>の線路になり[根岸線]の原型となります。
二代目横浜駅
桜木町駅・二代目横浜駅 間の風景。当時の乗り物一覧の意味合いが見えます。
1923年(大正12年)に起こった関東大震災で消失します。
被災した二代目横浜駅
しばらく 仮設駅での運用になりますが、
1928年(昭和3年)に
3代目横浜駅が完成し現在に至ります。
三代目横浜駅が決まるには紆余曲折あったようです。
平沼橋駅を横浜駅とするプランもありました。既に神奈川駅(現在の京急神奈川駅付近)がありましたので、神奈川駅をどうするかも重要な課題でした。
最終的には現在の場所に決定し、東急東横線、京急本線、相鉄線の私鉄三社と国鉄<東海道・横須賀・根岸線(京浜東北線)が駅舎を共にする最も利用路線の多い駅になりました。
※少し離れた場所に私鉄ターミナルのある大阪梅田や新宿、渋谷等はありますが現在の相互乗り入れとなる前は横浜が唯一でした。
三代目横浜駅
三代目横浜駅
<掲載絵葉書は個人蔵ですので禁無断転載です>
桜木町駅

第984話【一枚の絵葉書から】珈琲牛乳

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企業年賀はがき「横浜駅待合室ミルクスタンド」

これは昭和5年の年賀ハガキです。
横浜市中区紅葉ケ丘三号
学務部長殿
とあります。
ここに記された宛名の「学務部長」は
神奈川県学務部長 九鬼三郎と推測しましたが、確証ありません。
 戦前の学務部長は公立学校の事務方トップで、学校運営に関して県内の最高責任者として多くの管理監督を行っていたようです。
差出人が
横浜駅待合室 ミルクスタンドとなっています。
「迅速 安価な 御食事
 奉仕的な 栄養御飲物」
昭和初期の横浜駅待合室となれば、現在より重要施設で 学校関係者が利用することも多かったのかもしれません。
絵柄面から意外な情報がわかりましたので紹介しておきます。

三代目横浜駅東口

小唄 ハート節
萎縮 悲観を跳ねとばし
笑和 五歳の
春の駒 春の駒
オヤ 守山の
馬い うまゐゾ
ハート型
赤い戀路の ハート型
ハートだ ハートだ ハートだネ

日本一を目指すために富士山の絵柄をバックに 乳製品・飴類が並んでいます。
コンブ飴・ゴルフ(チョコか?)・守山キャラメル・珈琲牛乳・グリコ牛乳・アポロ・ Cherries MILK・Cherries CREAM(エバポレート ミルク=練乳)

平塚本社

ここに商品が並ぶメーカーは「守山」は現在もしっかり乳製品を製造販売している守山乳業株式会社でした。
本社は平塚市宮の前9‐32
沿革を戦前期だけ一覧化してみました。
1918年(大正7年)1月9日創立
 神奈川県中郡高部屋村日向にて「甲子(きのえね)商会製酪所」を創業 創業者 守山謙
1920年(大正9年)
 神奈川県平塚市に工場を新設(現本社、平塚工場地)
1923年(大正12年)4月20日
 日本で初めてのビン入り珈琲牛乳を東海道線国府津駅
 駅弁販売店・東華軒にて販売開始

この珈琲牛乳販売を開始した日を記念して、現在4月20日は「珈琲牛乳の日」となっています。
「創業者の守山謙が東京の商店にバターを納品しに出かけた際、住田商会・初代社長の住田多次郎さんが偶然同じ商店にコーヒーを売り込みに来ていました。住田社長はハワイへ移民しており、ハワイのコーヒー豆を東京の商社へ売り込みをしている最中でした。明治時代からコーヒーは飲まれていましたが、一般的にはあまりなじみのないもので、日本にコーヒーを広めようとする男と、乳製品を広めようとする男の運命的な出会いでした。
 住田社長は、ハワイではコーヒーにクリームを入れて飲むこともあると守山に教え、コーヒーを日本で広める方法を考えてほしいと、コーヒー豆を守山へ託しました。
 守山は早速家に持ち帰り、コーヒーにクリームの代わりに牛乳を混ぜてみました。コーヒーと牛乳が半々の割合になったとき、コーヒーの苦みと牛乳の甘さが程よくマッチし、いままでに飲んだことのないようなおいしい飲料が出来上がりました。さらに奥さんのアドバイスで砂糖を入れるとおいしさは増し、守山はコーヒー牛乳の商品化を計画することを決めました。」

(駅弁東華軒)
駅弁は駅単位に販売権が決まっていましたが現在はどうでしょうか。
東海道神奈川県内でいえば、
川崎駅・横浜駅・戸塚駅→崎陽軒
大船駅・藤沢駅・辻堂駅・茅ヶ崎駅・平塚駅→大船軒
大磯駅(昔)・二宮駅(なし)・国府津駅(外)・鴨宮駅(なし)・小田原駅〜熱海駅→東華軒
東華軒は1888年(明治21年)創業の東海道駅弁会社の中でも老舗中の老舗です。
本社は小田原ですが、駅弁の始まりは国府津駅でした。

少し横浜からは離れましたが 駅売りから発展したブランドの紹介でした。
本日は これまで。

第983話【横浜路上観察】バス停考古学

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路上観察の愉しみ方は街の片隅に残されている<記憶>を探ることにあります。
暗渠・マンホールは川と街の関係を知る<標(しるし)>です。
文字系の街の記憶の代表は<バス停><電柱プレート><道標>です。
今回は「バス停考古学」を紹介しましょう。
「考古学」とは若干オーバーですが、マチナカで街の記憶に出会う最高の<標(しるし)>です。
[バス停解読法]
路線運行バス会社によってフォームは異なりますが、
フルスペック!のバス停解読法を紹介しましょう。

情報満載のバス停

 ・停留所名と読み方(ふりがな、欧文)
 ・次のバス停名。
 ・路線バス会社名
→共同使用もあれば、会社ごとにバス停を分けているケースもあります。
 さらには会社でバス停名が微妙に異なるものもあり不思議です。
 
 ・簡単な路線図(行先案內)

■会社の事情?
同じ場所なのに営業会社でバス停名が異なるところを探してみました。
市営36系統途中に「道路碑前」
相鉄バスでは「道路碑」でした。
バス会社の事情なのか?
→会社違いバス停はなぜか「横浜線」沿線のバス停名に多い!のです。
「十日市場駅(神奈中)」「十日市場駅前」
「中山駅(神奈中・東急)」「中山駅前」
「長津田駅(神奈中・東急)」「長津田駅前」
「小机駅(東急・相鉄)」「小机駅前」
「新横浜駅」「新横浜駅前(神奈中・市営)」

「泉谷寺前(東急・市営)」「泉谷寺入口(相鉄)」
「屏風浦駅」「屏風浦駅前(神奈中)」
「駒岡」「駒岡十字路(東急・臨港)」
「綱島駅前」「綱島駅(東急・臨港)」

→その他「前」「入口」の表記も多いバス停名の一つですが会社でバス停名が異なるのは珍しいですね。
「鶴ケ峰駅前」「鶴ヶ峰駅前(相鉄)」これ最高です!
 横浜市営は鶴ケ峰表記の大きいケ、相鉄は鶴ヶ峰表記の小さいケと分けて使っています。(2018年夏現在)
「鶴ヶ峰小前」「鶴小前(相鉄)」

「港北年金事務所前」「港北年金事務所入口(臨港)」
「稲荷通」「稲荷り(神奈中)」
「山内中(東急)」「山内中前(小田急)」
「桐蔭学園(小田急)」「桐蔭学園前(東急)」
「ストアー前(京急)」「汐見台ストアー前」
市内のバス停をすべて確認したわけではありません。
他に
気になったバス停を幾つか紹介します。
まず、横浜市内で一番長い文字数のバス停は何処に?
その前に「一文字バス停」を
「浜」超レトロ<浜マーケット>のある磯子区にあります。
「峰」山中にある<峰>です。大岡川水源地近くです。
「西」都筑区にあります。「東」「南」「北」は見つかっていません。
「境」緑区の分水嶺頂上にあります。まさに村境だったなごりではないでしょうか。
「原(港南区)」「表(戸塚区)」「島(神奈中青葉区)」
以上7つが”まち歩き”で見つけた一文字バス停です。

かつては区役所前で賑わった「浜」

では一番長い!名前は何処かと これまでのバス停写真とマップを捜索したところ
10文字程度の長い名前が結構ありました。
特にカタカナバス停は長いものが多いようです。
※まず直感で一番はこれか!
新山下・ダイワコーポレーション前(16文字)
と思っていました。
ところがもっと長いバス停を時折通過していたことにガックリ
いつも散歩していた「国際橋・カップヌードルミュージアム前」(18文字)があるではないですか。

では一番長い!名前は何処かと これまでのバス停写真とマップを捜索したところ
10文字程度の長い名前が結構ありました。
特にカタカナバス停は長いものが多いようです。
※まず直感で一番はこれか!
新山下・ダイワコーポレーション前(16文字)
と思っていました。
ところがもっと長いバス停を時折通過していたことにガックリ
いつも散歩していた「国際橋・カップヌードルミュージアム前」(18文字)があるではないですか。

今の所 ここが一番長いバス停です。
前段が長くなりました。
では本題の「バス停考古学」
現在無いものがバス停にだけ残されているケースが市内に多数あります。
簡単に判るのが無くなった、暗渠化した川に架かる「橋」の名です。

西区「雪見橋」「花咲橋」
南区「横浜橋」「阪東橋」「千歳橋」
磯子区「芦名橋」「聖天橋」
語れば一つの物語になるのが
磯子にある「温室前」です。もちろん現在「温室」はありません。磯子の歴史を紐解くと戦前、昭和10年ごろから現在の磯子区栗木に温室が作られ、販売・輸出用の花が作られました。戦後宅地化に伴い温室は無くなりますが「温室前」は撤廃されること無く使い続けられています。
 磯子は花卉園芸が盛んに行われました。その歴史は幕末にまでさかのぼります。開港後の日本から輸出されたのは絹やお茶が主力、有名でしたが「ユリの花」も外国人の虜となり百合=リリイの生産地となったのが磯子です。

近くに温室がありそう

鶴見区「新興駅前」
このバス停はJR貨物線の駅が国鉄時代の1934年(昭和9年)に鶴見の海岸線工場地帯に開通し分割民営後の2010年(平成22年)に無くなってしまった駅名がバス停と交差点名にそのまま残っています。

鶴見区「自動車鋳物前」
 鶴見の自動車工場群の歴史を物語るバス停です。鶴見市場近くにあった自動車工場の関連企業がかつてあった名残です。現在は運送会社の物量センターとなっています。

保土ケ谷区「遊園地前」
 近くに小さな公園があります。遊園地がそのことを指すのか、かつて遊園地があったのか不明です。
 
ダブルバス停
103系統の本牧車庫行きには同じバス停名が2つ並んでいます。
「本牧市民公園前」の次も「本牧市民公園前」で、実際乗車すると一ヶ所しか使われていません。行先案內版にも二箇所掲示されている理由を知りたいところです。

同じバス停名が連なる不思議

[不思議な名前]
金沢区「イガイ根公園前」
意外ね!ではなく「貽貝根」のイガイです。貽貝の意味!調べてみましょう。
市営294系統 金沢区並木にあります。この場所ならではの命名です。

難読バス停
バス停には難読、読みが難しいバス停もあります。
■下車ケ谷(かしゃげと)
環状2号線のバス路線には道は新しくバス停名は中世の名が残っています。
馬洗橋、永作、そして下車ケ谷。さらには日限地蔵入口、水田
「下車ケ谷」は市内屈指の難読バス停でしょう。

■内路(うつろ)
普通は(うちろ)でしょう。ここでは(うつろ)と読み、古くからあった地名で、交通の重要な十字路となっています。

No.702 【横浜バスめぐり】バス停に見る街の記憶
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=6380

ざくっとバス停名をめぐる話でした。別な機会にそれぞれの背景に迫ってみることにします。

第982話+【帷子川の橋】その2

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更新準備中です。現在下書き段階ですが、とりあえずアップです。

<中流から下流域 橋梁名のみで失礼>
※源流から河口域まで踏破しました。写真は略します。
鶴ケ峰駅周辺は目下激変エリアです。相鉄線がなんと!
 東急に繋がります。
 戦争直後、横浜駅で東急とつながっていたら、相鉄も大きく変わっていたでしょうね。
 いち早く東急桜木町駅は撤廃して、県央に東急連結とは なりませんでしたが
今回、相鉄がJRの貨物線ルートの一部を使って東急線に入ります。
綱島でも大規模な再開発工事が始まっています。

昭和初期の鶴ケ峰、中央にポツンと鶴ケ峰駅が、東西には水道道。


鶴ケ峰は帷子川大改修が行われました。大きく曲がっていた川の流れをトンネルでショートカット。横浜市内では最も<大胆な>河川工事が行われました。
[本流]鶴峰橋~水道橋~(鶴ヶ峰橋)~鶴舞橋~白根橋~中根橋~用賀下橋~嶋越橋~<中堀川合流>〜愛宕橋~ふれあい橋~下中田橋~中田橋~上逆田橋~逆田橋~
<くぬぎ台川合流>〜耕地橋~学校橋
※帷子川には「学校橋」が2つあります。おなじ川に同名の橋が架かっているのは珍しい。
<菅田川合流>〜鷲山橋~新橋~かるがも橋(相鉄線下)(東海道新幹線下)~(川島高架橋)~
<新井川合流>〜川島橋~稲荷橋~両郡人道橋〜両郡橋~光栄橋~宮崎人道橋〜宮崎橋~(宮崎跨線橋)和田跨線人道橋~和田橋(環状2号)(橋銘板ナシ)~平和橋~星和橋~川田橋~(すみれウォーク)〜宮川橋~宮川人道橋〜星川橋~星川橋人道橋〜星川下橋~柳橋人道橋(上下)〜柳橋~常盤橋(横浜新道下)(水道道)~愛染橋~古町橋~帷子橋~天王橋~
<今井川合流>
上流は省略します。
かつてはここから下流は深い入海で海岸線でした。
[本流]水道橋~尾張屋橋~<石崎川分流>
[新田間川分流]烏帽子田橋~藤江橋〜藤江人道橋〜霜下橋〜霜下人道橋〜浅岡橋〜岡野橋〜新田間橋〜一之橋人道橋〜一之橋〜<幸川>内海橋〜内海人道橋〜幸川橋〜南幸橋〜幸橋〜<本流へ>
沼野橋(環状1号)(八王子街道)(新田間川上)~平岡橋~(平沼一之橋)~元平沼橋~平沼橋~<幸川合流>〜万里橋~築地橋~はまみらいウォーク~みなとみらい大橋
[新田間川分流]<帷子川分水路合流>〜二ノ橋〜北幸橋〜西鶴屋橋〜鶴屋橋〜(JR・京急)〜月見橋〜金港橋〜人道橋〜<本流へ>

第982話【帷子川の橋】

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前回に続き帷子川について紹介します。

帷子川源流から鶴ケ峰まで

帷子川橋梁を源流域から一覧化してみました。
これ結構大変でした。地図ではつかめない情報もあり現地調査は欠かせませんでした。
帷子川は長さ17kmの短い二級河川です。横浜市域では大岡川と同様に源流を横浜市内に持っています。
[源流]帷子川の源流は何処か?
そもそも<源流>とは?
本流の最上流の部分を<headwaters>源流としますが、都市化された近郊河川では定義が難しいようです。
河川には多くの支流があり、小さな支流が集まって本流へと合流を繰り返しながら、河口へと向かっていきます。本流は河川の長さや流量が大のほうを指すそうですが、源流域の造成等によって本流の判断がしにくいからです。
帷子川の場合、
「横浜市内西部旭区上川井地先、若葉台あたりの丘陵地に水源を発している」となっていました。

源流から上川井橋まで
帷子川源流
源流らしきもの

源流〜(上川井親水遊歩道)〜<暗渠化>〜①会館橋〜②大貫橋〜<堀谷戸川と合流>
帷子川は<源流>に近い場所に「源流」ゾーンを人工的に作っています。周囲にはより高い丘陵地がありもっと奥に源流があると思われますが、<見切って>源流としたのでしょう。
源流から親水公園が作られ、川の流れを確認できますが、途中から暗渠化します。
川は小河川が合流し水量を増していきます。帷子川上流域で源流に近い(河川名のある)最初に小河川が「堀谷戸川」です。堀谷戸川は現在の程ヶ谷カントリー周辺に源流がありますが、ここでは省略しました。
[堀谷戸川]源流〜(程ヶ谷カントリー)〜中井橋〜<合流>

源流近くには「若葉台」の住宅街が立ち並んでいます

堀谷戸川と本流が合流するあたりは独特の地勢です。
[本流]<堀谷戸川合流>~③日向根橋~④学校橋(改修中)~<小河川合流>〜⑤上川井橋(国道16号)

途中から暗渠化
①会館橋(上川井町内会館)
②大貫橋
水位を判断するスケール

~⑥徒橋(野境道路)〜⑦明神橋(人道橋)~⑧五反田橋(人道橋)~⑨国道五反田橋a)〜⑩大栗橋~⑪(国道)川井橋~⑫三家橋~
⑬吹上橋(新設※)~国道下川井橋a)~⑭下川井橋(新設※)~(私設橋)〜⑮御殿橋(中原街道)~
a)国道と市道は同橋名が架かっています
※河川改修後新設

⑯都岡橋〜<合流>〜
[矢指川]清池橋〜旭高橋〜下矢橋〜桜橋〜(矢指橋)<合流>〜b宮下橋〜c新開橋〜d耕地橋〜
[本流]⑰今宿南橋~<合流>〜⑱日影橋~⑲団地橋~⑳用地橋~㉑今宿新橋~㉒清来寺橋~㉓(高山人道橋)〜㉔高山橋~㉕今宿東橋〜㉖越巻橋~㉗公園橋~㉘今川人道橋~㉙今川親水橋~㉚今川橋~(二俣川合流)(鶴ケ峰)

元帷子川整備中
これが昔の曲がりくねった帷子川
新しく直線化した帷子川に新しく架橋した⑬吹上橋を望む
明神橋付近




第981話 【帷子川】River GeoPark

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今、
帷子川(かたびらがわ)上流域が面白いので紹介します。(2018年暮時点)
市内のRiver GeoParkとして<地球のことを楽しむ>ことができる場所になっています。
ジオパークとは、「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味します。
なぜ帷子川なのか?
市内4大水系の中で、帷子川は近年大改修が行われています。
特に上流域は、平成まで多くが未改修(半改修)状態で暴れ川の様子をうかがうことができる場所がたくさんあり“蛇行の歴史”を現在も確認できるからです。改修中を含め今が良いチャンスです。

横浜の水系と明治期村落図
まさに蛇行の教科書になる蛇行図(昭和初期)
鶴ヶ峰付近の蛇行で、鶴ヶ峰地区開発で一部面影を残しています。(昭和初期)

(洪水の歴史)
近代以降<洪水>は災害そのものですが、かつて私たちは<洪水>と共に生きてきました。川は洪水によって変化し周辺に様々な影響を与えてきました。
川の果たしてきた役割を簡単に紹介しましょう。
川は近代まで栄養と物を運ぶ役割を担ってきましたが近代以降、物流中心になり現代は雨水の排出口になってしまいました。これはやや極端な表現ですが、上流から運ばれた土砂が河口に平野を作り、栄養源を海に送り出す役割も担っています。
日本の河川は水源から河口までの高低差が大きく、落差による洪水発生率が高いのが特徴です。
山林、丘陵林から集まった雨水、湧き水が集まり瀬と淵で変化を繰り返しながら<蛇行>を育てながら河口に向かいます。
(蛇行は川の履歴書)
新旧の地図を比べると楽しみ方が色々あります。
鉄道のことが気になる、
道路の変化、
市街地、海岸線の変化も比較し始めると無限のイメージが広がっていきます。川筋の変化は近代以降、護岸工事・治水技術の発展で激減しますが、<災害>によって川の存在が突然クローズアップされることがあります。
帷子川は、蛇行の<名残>が満載。近年ようやく改修工事が始まり
 蛇行の直線化が進んでいますので、
観察するなら今がチャンスです。改修工事はオリンピック開催(2020年)あたりには完成するのではないでしょうか。
※改修が遅くなった理由の一つに「水道道」が関係しているようです。明治以来、横浜水道を支えている重要な水道管が帷子川に沿って通っています。この水道管へのダメージを最小限に抑えるためにも、慎重な工事が求められるのでしょう。

水源をイメージさせていますが、水源ではありません。

帷子川は横浜4大水系の一つで横浜市内西部旭区上川井地先、若葉台あたりの丘陵地に水源を発しています。
途中、中堀川、今井川、二俣川などいくつかの支流を合わせ、鶴ケ峰から相鉄線に沿って流れ横浜駅を挟み河口につながっています。
帷子川の名の由来は、諸説ありますが北側の河口部沿岸がなだらかで、片側が平地だったことから、「片平(かたひら)」の名が起こり、「帷子」の名となった説が有力です。この「片平」にできた小さな平地(ひらち)を帷子川は蛇行しながら現在の流れを生み出してきました。

(二級河川帷子川データ)
■本流 17,340(m)
(支流・分流)
 中堀川(帷子川)850(m)
 今井川(帷子川)5,590(m)
 石崎川(帷子川)1,600(m)
 新田間川(帷子川)2,200(m)
 幸川(帷子川)300(m)
 帷子川分水路(帷子川)6,610(m)
■流域面積 57.9 km²
 市内二番目の長さです。流域面積は三番目。

関連ブログも多いです。
No.433 【横浜の河川】帷子川物語(1)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=138
No.434 【横浜の河川】帷子川物語(2)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=137
【横浜の河川】帷子川物語(3)河口めぐり
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=4850
【横浜の橋】№4 帷子川河口に架かる橋
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=8164

(蛇行直線化の歴史)
帷子川の蛇行を、現在もはっきり確認することができます。

元帷子川整備中
暗渠化された元帷子川
ただいま 旧帷子川整備中
元帷子川
元帷子川(未整備)
河岸段丘も観察できます
ここが川管理の境界
昭和55年ごろの都市計画図による改修計画。近年大きく改修されたエリアです

次に帷子川上流域の様子を橋から紹介します。

第980話【横浜の隅っこ話】東名横浜町田インター バス停

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東名横浜インターバス停

東名高速道路横浜町田インターと国道16号線が交わるところにポツーンとバス停があります。神奈中「南01」系統で、「若葉台中央〜南町田駅」を結ぶ短い路線です。
この路線
2018年(平成30年)11月現在 一日 しかも休日昼頃に1便だけ運行している不思議な路線です。俗に言う路線維持赤字路線かもしれません。東名インターとバス停に関して古い資料を少し探ってみました。
<東名横浜町田インター>
元々バス停名は写真の通り「東名横浜インター」でしたが登録バス停名は表題の通り
「東名横浜町田インター」と改名されています。東名高速を使った高速バスのバス路線がありインター出口に高速バスの「東名横浜」停留所があり、ここから在来の連絡路線が「若葉台中央〜南町田駅」南01系統です。

2017年春
1日1便

2015年(平成27年)では平日1本、土曜1本、休日1本の計3本運行を確認できました。
2016年(平成28年)では平日1本、休日1本の2本に。
そして現在は 休日の1本のみとなっています。廃線直前の路線ですが、路線を維持する理由があると思われますが、不明です。
このバス停
横浜市緑区長津田と東京都町田市鶴間の境目に位置しています。

国交省DBより

横濱界隈ブログですので
「東名横浜町田インターバス停(東名横浜インター)」の位置は横浜市内か東京都町田市内かという疑問を調べてみました。
[結論]横浜市緑区長津田 国道16号線保土ヶ谷バイパス上り線
 横浜市内の一日一便路線であることがわかりました。これで他にもあるのか、俄然調べてみたくなりましたが歩いて偶然発見していく方法で他の極少路線と出会うことが愉しみです。

営業中の中華飯店「東名台」駐車場に車は無かった

このバス停を含め近辺の歴史も調べてみました。
この路線が誕生した背景には東名高速道路の開通があります。
東名高速道路横浜町田ICが1968年(昭和43年)4月25日に開通します。
翌年、高速道路を使った
東名ハイウェイバスが運用開始し、「東名横浜」バス停が設置されますが、周辺にアクセス手段が全く無く、バス連絡を必要としたのではないか、と推察できます。

ここは最寄り駅「南町田駅」まで約1kmです。途中厚木街道「東名入口」交差点にもバス停が無く”不便さ”は拭えません。一方、1979年(昭和54年)に分譲が始まった若葉台団地は始発本数の多いターミナル機能を持ったところです。若葉台中央乗換で横浜線「十日市場」、相鉄線「三ツ境」に出ることが可能ですが、ハイウェイバス開業から10年の時間差があり、また乗換の不便さが残ります。なぜ若葉台経由路線が組めなかったのか不思議ではあります。
東名ハイウェイバス「東名横浜」バス停は1999年(平成11年)に廃止されます。
廃止された要因は横浜インターの恒常的渋滞と最寄り駅へのアクセスの悪さと思われますが、逆によくぞ99年まで継続したとも言えるでしょう。

東名ハイウェイバスが運用時には、古い航空写真・明細地図等から「待合室」があったようです。
バス停周辺は近郊農業の耕作地とインター名物のラブホが林立し、工場・倉庫がある程度です。
未完成の環状4号線、保土ヶ谷バイパスの立体化の遅れなどが重なり、インターチェンジ機能がフルに発揮できなかったこともこのエリアが孤立化してしまった要因といえるでしょう。
現在保土ヶ谷バイパスの二期立体化も進み、瀬谷の米軍用地返却で環状4号線も潤滑化され、今後10年で予測すると大きな変化が起こる可能性がでてきました。

環状4号線
周辺に広がる耕作地

<関連史>
■大和バイパス
1968年(昭和43年)3月 開通。4月25日運用開始。
東名高速道路との接続幹線道路、国道16号のバイパス道路として大和市つきみ野から上川井ICが開通。
1968年(昭和43年)4月1日
田園都市線 「長津田駅〜「つくし野駅」延伸開業。
1969年(昭和44年)6月10日
東名ハイウェイバス「東名横浜」バス停供用開始。同時に東名江田バス停も供用開始。
■保土ヶ谷バイパス
1970年(昭和45年)着工
1974年(昭和49年)9月 
狩場IC〜上川井IC間が全面4車線開通
1976年(昭和51年)10月15日
東急田園都市線「南町田駅」開業
1979年(昭和54年)
県営「若葉台団地」分譲開始。計画当初「市営地下鉄」計画があった。
1997年(平成9年)
横浜町田立体完成供用および下川井I.C~上川井I.C間6車線化供用
4月1日 新設の横浜青葉インターチェンジとの区別のため横浜町田インターチェンジと改称
1990年代 間05系統 鶴間駅東口 → 東名横浜インター → 鶴間駅東口 廃止
1999年(平成11年)1月31日
東名ハイウェイバス「東名横浜」バス停廃止
2015年(平成27年)
環状4号線、公田交差点から南河内交差点までの4車線化が完了し、整備地区全線で4車線化供用開始。
2016年(平成28年)3月
環状4号線未整備区間(上瀬谷地区)が開通。

南01系統 車内は私一人でした。