【横浜雑学録】昭和21年地形図の謎(改訂版プラス)

2019年正月、加筆修正しました。
ブログ作成をきっかけに<横浜関係の資料>を収集するようになりました。
主な歴史資料としては古書・絵葉書そして地図です。その中で、現在手元に横浜エリアの地形図が何枚かあります。
改めて 整理してみると些細なことですが 気がついたことがありますので紹介しておきます

(地形図5万分1 昭和21年発行「横濱」)
昭和21年発行の5万分1
図域名:「横濱」を複数枚入手しました。
一見して全て同じ地形図ですがよくよく見ると 中に表記の異なるものがあるからです。
昭和21年、日本は敗戦後の占領体制の時代です。特に横浜はGHQの重要施設があったこともあり、変化の真っ只中にありました。
この年に発行された地形図、
「発行年月」はまったく同じで<発行日>と<価格>、<内容>が微妙に異なるものが見つかりました。
「国土地理院」のデータによると
5万分1図名:「横浜よこはま」の昭和21年版については下記の情報があります。国土地理院「横浜」一覧リストでは
※昭和7年測量二修正版が昭和21年8月31日に発行。
ところが現物では「昭和7年測量二修正版昭和21年発行」でありながら
内容の異なるものが5種類もありました。

3円50銭
内務省地理調査所3円50銭
8月30日10円
地理調査所8月30日発行10円
8月30日15円
地理調査所8月30日15円

大きくは8月30日地理調査所発行のものと8月31日内務省地理調査所発行のものに分かれます。
さらに異なった価格設定が行われています。
◎その1

昭和21年8月30日発行 「地理調査所」版 定価10円と15円
◎その2
昭和21年8月31日発行 「内務省地理調査所」版 定価2円と3円50銭
◎その3
昭和21年8月31日発行 「地理調査所」版 3円50銭
地図右肩にある区分指定や凡例にも違いがあるようなので比較してみました。

<発行所>
発行所は
「内務省地理調査所」「地理調査所」の二種類
「内務省地理調査所」は終戦2週間後の
1945年(昭和20年)9月1日付けで文民組織である内務省地理調査所が新たに発足し、
1948年(昭和23年)1月1日に建設院(建設省)地理調査所となり
1960年(昭和35年)7月1日に国土地理院となります。
<発行日>
発行の月日は 8月30日と8月31日の二種類あります。冒頭でも紹介したように
国土地理院データでは昭和7年測量二修正版昭和21年8月31日発行のみとなっています。
<頒布価格>
定価2円・3円50銭・10円・15円
改訂版が発行された昭和26年版までの5年間に組織や経済環境が急激に変化していることがこのデータからも読み取ることができます。
物価推移から調べてみると
昭和21年から昭和26年までの間に
(山手線初乗り)
20銭→50銭→3円→5円→10円
(鉛筆1本)
50銭→2円→5円→10円
(白米<農政米>価格)
36円→150円→357円→405円→445円→620円
1946年(昭和21年)2月に新円切替が行われました。
右肩境界確定 右肩境界未確定<区分>
神奈川県武蔵国・相模国
鶴見区・神奈川区の境界未定
地図本体の中身に違い! は?
鶴見区と神奈川区は1927年(昭和2年)10月1日に区制施行により横浜市に編入されますが、昭和期に急速に拡大した埋立て地の境界が未確定の時期の原図を使ったものだと推測できます。境界

この地図の元となったのが
<昭和7年測量二修正版>とあります。
以降発行された
昭和21年まで戦争直前から戦中を経て、戦後最初の発行となったものが今回謎多き地形図です。
この昭和21年版、内容は昭和7年時点のままの部分が多数あります。細部まで確認していませんが、顕著な例は鉄道路線の延伸時期です。
神中鉄道神中鉄道が横浜駅まで乗り入れていませんので1933年(昭和8年)以前、
湘南電気鉄道と京浜電気鉄道の<連結前>の図であることも昭和初期の時点ということが推測できます。

東京急行東横線
東京急行東横線
西区・中区 分区
西区・中区
東京横浜電鉄
東京横浜電鉄
湘南電気鉄道
湘南電気鉄道
京浜急行 南区
京浜急行 南区

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