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【今日の横浜】1月23日横浜輸出洋傘工業組合設立

1931年(昭和6年)の今日
横浜歴史年表に「横浜輸出洋傘工業組合が設立」されたとありました。
明治以降、和洋が区別された生活が多くあります。
和洋食、和服(和裁)、洋服(洋裁)、洋学に対しては国学としました。
洋食・洋裁は現在も残っていますが洋傘とはほとんど言いません。
完全に和傘が淘汰された結果です。
戦前の風景をみると 和傘あり、洋傘あり。
女性の服はなかなか洋風になりませんでしたが、洋傘はいち早く女性の間に普及していきました。
普及とは不思議な現象ですね。

洋傘のことを一昔前まで、こうもり傘と言いました。
語源は多説あり、開いた形がコウモリの飛ぶ姿に似ているので,明治初年にこの名がついたという説、「傘をかぶる」が「こうむる」からコウモリ説。
最も有力なのがペリーが来航した際、持ち込んだ洋傘を「その姿、蝙蝠(こうもり)のように見ゆ」と比喩したことから始まったという説です。
明治末に出版された「明治事物起原」では
万延元年にアメリカに渡った咸臨丸の提督木村摂津守(きむらせっつのかみ)が米国で一本の黒い傘を購入し帰国した際、外で使っては攘夷浪人に狙われるから屋敷の中でばかり使ったのが洋傘の使い始めと記録されています。

優れた和傘文化のあった日本ですが、最初は輸入商品でした。まもなく洋傘を作り始め、安さと職人の技術力で、瞬く間に洋傘は<輸出商品>の花形となります。特に東京横浜で多く作られましたが、関東大震災で洋傘製造は関西に移行します。
昭和に入り、産業も次第に復興し横浜の傘職人さん達が、材料の調達や外国のニーズに対応するため輸出組合を設立することになったようです。
(1月23日関連ブログ)
No.23 1月23日 大正の正義