6月 13

【保土ケ谷区】歌人 荒波孫四郎

1903年(明治36年)2月23日
「保土ケ谷の歌人荒波孫四郎(66)が没した(横浜歴史年表)」という記事に出会いました。荒波孫四郎という人物、初めて聞く名前でした。いかなる人物なのだろう?
歌人とあるので、文学で作品を残した方か?と思い調べてみました。
保土ケ谷区史を調べたところ、何ヶ所かに登場します。
1883年(明治16年)保土ケ谷の東海道線敷設に伴う新道開墾事業資金に高額寄付を行っているリストが登場しました。また、初期の学校制度では、地域が学校を支えることになっていて、程ケ谷(小学校)の世話人として荒波孫四郎の名がありました。
※程ケ谷(現在の保土ケ谷小学校)学舎
明治6年5月5日創立、6月5日開校
明治6年の学制に従って保土ケ谷他3ケ町の有志により設置。軽部庫次郎宅敷地に新築、第一大学区第七六番小学程ケ谷学舎として創立。(学校沿革誌より)

地域の名士であることは分かりました。
歴史年表では「保土ケ谷の歌人荒波孫四郎」とありますが文化人のところで<歌人>として登場してきません。歌人ではなかった?
ということで、もう一つの郷土史、「保土ケ谷区郷土史」を探ってみると 簡単な生い立ちと地域への貢献について記述されていました。

「保土ケ谷の歌人荒波孫四郎」が地域貢献?
そもそも荒波孫四郎は何故資産家なのか?
資料を読む限りでは 荒波家は先祖が伊勢国津市原町(現在の三重県津市)の出身で、江戸神田三河町に暮らした後、保土ケ谷(岩間)に移り住みます。軽部清太夫に就いて学び、また独学で知識を身につけ戸長になります。
「才気よりも徳望の人にして(中略)町政を掌るや能く衆議を容れて雅量を示し、寛厚以って事を処したり」
ここに登場する荒波孫四郎は天保に生まれ、1903年(明治36年)の今日66歳で亡くなりますが、家業は不動産業(土地活用)と資料では読めます。
「山林を買取り之に植林して十周年の経、横濱の発展と共に地価大に騰貴し来る。」横濱の発展に伴い材木需要が高まり<林業>で財を成したのではないか?と推測できますが、資料不足です。

ただ 半端な資産家ではなく<超>大金持ちであったことは、社会貢献、社会事業への関わり方で理解することができます。
前段で紹介しました「程ケ谷学校」への資金援助
道路改修への資金提供、程ケ谷駅新設に奔走し、自分の土地も提供します。
この他
久保山の共同墓地を作るにあたって、広大な敷地を譲渡しますが、代金は<墓>の売上にから分割返済するシクミにすることで町の財政負担軽減をはかります。
保土ケ谷を貫通する<水道道>の鉄管整備工事にも自分の土地以外の地主との交渉役も引き受けています。多方面にわたる地域貢献に心がけた篤志家、実業家だったようです。
明治時代の保土ケ谷発展に大変寄与した人物だったことが分かります。
1903年(明治36年)の今日亡くなり保土ケ谷旧東海道脇の天徳院に眠っています。
歴史年表に歌人とあったのは、風流人として晩年を送った孫四郎を偲んだ表記だったかもしれません。
※曹洞宗寺院の天徳院
神戸山天徳院と号する。正元年(1573)に創建、文久年間(1861-1864)に満願寺を合寺しています。横浜市保土ヶ谷区神戸町102

神奈川県公文書館に貴重な地域資料が遺族の意向で寄付があり、「荒波孫四郎家旧蔵絵図資料」が所蔵されています。
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f1040/p10485.html

■明治三陸地震
1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200km(北緯39.5度、東経144度)を震源として起こった、マグニチュード8.2-8.5レベルの巨大地震が起こりました。
地震に伴う当時の観測史上最高(本州)海抜38.2mを記録する津波が発生。
新聞報道で被災内容が全国的に報道されるようになり、<義援金>が集まるようになった災害としても災害史に残しました。
この地震被害に対し全国で義援金が集まりますが「神奈川縣橘樹郡保土ヶ谷町有志」も義援金を募り多くの人びとが寄付します。そのリストが「東奥海嘯罹災救助義捐金」として「横浜毎日新聞」に掲載、デジタルアーカイブされています。
金十圓 岡野欣之助
金七圓 荒波孫四郎※
金五圓 岩田岩次郎
このリストの二番目に荒波孫四郎の名があります。当時の寄付金は、その地域の名士度に従って金額が決まってきますので荒波孫四郎が保土ケ谷町内会の有力者であったことが推察されます。
http://tsunami-dl.jp/…/Yokoha…/YokohamaMainichiM29_July24_05
参考
<保土ケ谷区郷土史下>に登場する郷土の人物
第十一章 郷土の人物
一 苅部清兵衞翁
二 岡野勘四郎翁
三 岡野欣之助翁
四 荒波孫四郎翁
五 金子泰吉翁
六 清墨庵先生
七 木村坦乎先生
八 宮本清寛先生
九 鈴木玄清先生
十 孝女さく子
十一 孝子金作
十二 孝子湯澤シヅエ
十三 節婦金子ナカ

(2月23日関連過去ブログ)
No.54 2月23日 麒麟麦酒株式会社創立
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=567
(番外編)
番外編 重箱の隅の快楽(追記・修正)
http://tadkawakita.sakura.ne.jp/db/?p=545

主な寄贈資料一覧 – 神奈川県ホームページ
神奈川県立公文書館が収蔵する資料の一部を写真とともに紹介しています。
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Posted 2015/06/13 by tadkawakita in category "明治の実業家達", "横浜に因んだ人たち", "横浜の実業家達

About the Author

横浜の歴史にざくっと関心をもって15年です。本腰をいれて学び始めて5年となりますが、学べば学ぶほどに深くなっていきます。 Y2345というキーワードを作りました。1923年〜1945年までの横浜を軸に「横浜史」を乱学しています。 史実に出会ったら、できるだけ現在の地を訪れるよう努力しています。