【市電ニュースの風景】第一号その2

前回に続き【市電ニュースの風景】第一号から今日はその2
この「市電ニュース」は毎週木曜日
市電車両内に掲示されました。
雑誌で言えば創刊号!ですが そんな派手な告知もなく
さり気なく掲示されたのではないでしょうか。
■第一号
1930年(昭和5年)12月25日発行
<1930年(昭和5年)12月〜1931年(昭和6年)正月>
二十五日(木)
「納の岡村天神詣(天神道假停留所下車)」
「市電ニュース」は156号までアーカイブされています。その中で、季節のイベント記事が多く告知されています。中でも神社仏閣関係の例祭や<市(いち)・縁日>などが多く紹介されました。
※岡村天神詣
岡村天満宮は「岡村の天神さま」として地域に親しまれています。創建は不詳ですが縁起によると鎌倉時代の建久年間(1190〜1198)に源頼朝の家臣が京都の北野天満宮の分霊をいただいて、この地に社を創建したことに始まるとされています。
ここも横浜に多い<杉山>天満宮から「岡村天満宮」と名称が変わり現在に至っているそうです。
light_横浜資料144※天神道假停留所下車
当時この岡村天神のお祭りがほぼ毎月25日に開かれ、多くの人達がここを訪れるために市電の臨時停留所が開設されたのが「天神道假停留所」です。
位置は「根岸橋」と「天神橋」の間でです。図にも示した通りこの臨時停留所から比較的(当時としては)広い道が滝頭小学校方向に繋がり参道(天神道)となったようです。
スクリーンショット 2015-04-23 4.51.02 この岡村天神の25日のお祭りを含め、岡村関係は頻繁に登場しますので都度紹介していくことにします。

二十八日(日)
「神戸市(電車バス保土ケ谷終点下車)」★
神戸市は「ごうどいち」と読みます。で現在復活して 保土ケ谷駅近くの会場で毎月第1日曜日に<宿場朝市 ごうどいち>として開催されています。
http://www.city.yokohama.lg.jp/hodogaya/kyutokaido/goudoiti.html

同 日 電車久保町延長線開通(予定)

三十日(火)
「郵船」大洋丸出港(午後三時桑港へ)
light_大さん橋風景083 light_大洋丸 =二十九日午前中 四号岸壁着=
light_新港埠頭上空(日本郵船の客船が停泊しているところが四号岸壁)
「大洋丸」はサンフランシスコ航路に就航した当時国内最大級の客船でした。ここに「郵船」とありますが、大洋丸は最初東洋汽船船籍の客船でした。
この「大洋丸」は波瀾万丈の船歴を持ちます。
1911年(明治44年)11月18日ドイツで建造され「カップ・フィニステレ(Cap Finisterre)en」の名で南米航路客船(ハンブルク〜ブエノスアイレス)間に就航しました。
※「カップ・フィニステレ(Cap Finisterre)」
http://de.wikipedia.org/wiki/Cap_Finisterre_(Schiff,_1911)#/media/File:Blucher_HAL.jpg
※フィニステレ岬(スペインの名所)
http://fr.wikipedia.org/wiki/Cap_Finisterre
1914年(大正3年)7月に始まった第一次世界大戦に8月1日ドイツ帝国がロシアに対して宣戦布告することで局地戦から世界を巻き込む大戦となります。
この時、カップ・フィニステレ号を所有するハンブルク・サウスアメリカ・ライン社(HSDG)は経営と船体保全のためハンブルグ港に<係船>を決定します。
この人類史上最初の世界レベルの大戦は1918年(大正7年)11月11日に休戦協定が成立し集結します。
1919年(大正8年)に入り、第一次世界大戦終結を受けてパリ講和会議が開催され、敗戦国ドイツに厳しいヴェルサイユ条約(対ドイツ講和条約)が調印されます。
※アメリカ議会は国際連盟を提唱したウィルソンのヴェルサイユ条約批准を否決。
この間、ハンブルグ港に<係船>されていたカップ・フィニステレ号は
戦後アメリカ海軍籍として軍用輸送船となり間もなく英国に引き渡されます。
この第一次世界大戦に日本は英米側の一員として参戦、結果戦勝国となります。ヴェルサイユ条約によって日本も賠償を得ることとなり権益や領土の他、
船舶や潜水艦など<物納>を受けることになります。(殆ど金がなかった)
light_20150423115800(戦勝賠償で横浜港に運ばれ係留されたドイツ潜水艦)

その中の賠償船割当客船舶が「カップ・フィニステレ(Cap Finisterre)」号でした。東洋汽船が国から引き受け(借受け)「大洋丸」と命名、太平洋航路に就航します。
1926年(大正15年)に東洋汽船の旅客船部門が日本郵船に吸収され、日本郵船船籍となります。
この「市電ニュース」に掲示された1930年(昭和5年)は日本郵船となっています。
大洋丸に関しても まだまだ紹介したいことがあります。その後の顛末を含め追々紹介します。

三十一日(水)
福引付全市聯合大売出最終日
=一月七日より景品引換(於市役所勧業課)=
※市役所勧業課
「市役所勧業課」は横浜市が区制後1935年に「産業課」→「産業部」→「経済部」→「経済局」その後は色々変わったので追いかけていません。

一月
二、三、四日(金土日)
羽田穴守稲荷神社臨時出張
=於伊勢佐木町四丁目(電車曙町下車)

「人は人道 車は車道 注意一瞬怪我一生」
この頃も交通事故が社会問題だったようです。
余談ですが この当時のタクシーのほとんどが「クライスラー車」だったそうです。昭和10年代は50銭、ちなみに市電は大人7銭、子供3銭だったそうです。
※( )曜日は今回追加したものです。また便宜上旧字と新字が混じっています。

次回は第二号へ