【横浜の橋】№3-2 震災と横浜の橋

1月17日は阪神淡路大震災から21年目だった。
私たちは9月1日3月11日と共に忘れてはならない震災の日である。
“災害は忘れた頃にやってくる”のではなく
“災害は忘れなくてもやってくる”ことを自覚しておく必要がある。
地震災害はこの3回だけではない。明治以降地震災害は何回も何回も起こっている。
震災震源地被災図「関東大震災」における関内外の橋を吉田橋を中心に少し考えてみたい。
関東大震災で横浜市中心部は未曾有の被害を受けた。川(運が)の街である関内外のほとんどの橋が震災によって倒壊、半倒壊のために人々は避難路を失ってしまった。ここに台風の影響による強い南風が木造の家屋から出火した火災を煽り立てる結果となってしまった。
歴史地震第22号01-19 03.27.15湾岸の油槽からは油が漏れ出て、運河の一部が炎の道となる。
関東大震災の被害は東京が都市規模から最も大きかったが、震源地に近い「横浜市(神奈川県)」の被害もかなりのものだった。関東住宅被害比較住宅被災分布図倒壊上京08-31 23.00.32

震災誌によると
「更に橋梁を見れば、全市総数八十六橋の中、僅かに大江橋・吉田橋・辨天橋の三橋のみを残して他は殆ど墜落或は焼失しその骸型も止むるに過ぎなかった。」震災誌10章1節冒頭 市内にまず86しか橋がなかったこと。その中で資料にもあるように三つの橋以外は全て渡ることができなかった。スクリーンショット 2016-01-19 06.00.05
運河の町の避難する経路の多くを失ったということだ。
「大江橋」
この橋は、震災直前に竣工し最新の橋梁技術が導入されてこともあり、倒壊を免れた。

「辨天橋」
皮肉ではないがさすが大蔵省(現財務省)管轄の橋梁、丈夫にできていた。現在も橋脚部分は残っている。

「吉田橋」
下記の表を見て分かるように、吉田橋付近での避難中の被災死者数は関東大震災最大級であったことがわかる。歴史地震第22号19 03.28.36当時の第繁華街<伊勢佐木>や関内の人口集中地区での被災となったことや、吉田橋の袂には「伊勢佐木警察署」があったことも避難者の心理に逃げる方向をここに向けさせたかもしれない。
橋脚は無事だったが、街灯、欄干等はその後補修され一部デザイン変更があった。

スクリーンショット 2016-01-19 05.29.56<震災前>スクリーンショット 2016-01-19 05.41.39<震災後>

吉田橋際にあった伊勢佐木警察も倒壊し出火、全焼する。
少々余談になるが、被災した「伊勢佐木警察」について紹介しておこう。
現在大通公園脇(中区山吹町2番地の3)に位置しているが、市内警察署の中で最も移転した警察署ではないか(しっかり確認していない)
1877年(明治10年)1月25日
市政が始まり横浜市内に6つの警察署が設置された。
長者町・松影町・戸部・山下町・高嶋町そして伊勢佐木警察の母体となった堺町である。堺町警察署は当時、現在の「横浜地方裁判所」がある位置にあり関内の中心にあった。
1878年(明治11年)2月
横浜区内の6警察署(堺町、高島町、山手、松影町、長者町、戸部町)が統合し、横浜堺警察署に改称する。
1882年(明治15年)7月1日
横浜警察署に改称された。
1884年(明治17年)7月
堺町から伊勢佐木町25番地(吉田橋南詰)に移転。当時「鉄の橋(かねのはし)」として有名な吉田橋のたもとにあったことから、俗に「鉄の橋の大屯所(おおたむろ)」と呼ばれた。
1893年(明治26年)12月
地名にちなんで伊勢佐木町警察署に改称。
1923年(大正12年)9月1日
関東大震災で倒壊。二日後久保山→9月7日太田尋常小学校→10月5日初音町→大正13年9月に本願寺境内と4回にわたり仮庁舎が移転。
1925年(大正14年)10月
名称を伊勢佐木警察署に改称。
1926年(大正15年)11月
長者町5丁目に用地を買収
1927年(昭和2年)12月
本庁舎完成。
1945年(昭和20年)6月18日
戦災のため加賀町警察署へ一時統合。
1946年(昭和21年)9月
伊勢佐木警察署として再開。
1974年(昭和49年)
現在地に現庁舎が落成、移転。

最後に
横浜で最大の死者が出たのは中華街だった。狭隘道路に木造住宅と昼食時も重なり避難すらできなかった中華街の被害が推測でも2,000人を超えたという悲劇も忘れてはいけない。

Facebook Comments
tadkawakita
  • tadkawakita
  • 横浜の歴史にざくっと関心をもって15年です。本腰をいれて学び始めて5年となりますが、学べば学ぶほどに深くなっていきます。
    Y2345というキーワードを作りました。1923年〜1945年までの横浜を軸に「横浜史」を乱学しています。
    史実に出会ったら、できるだけ現在の地を訪れるよう努力しています。