橋のデザインには個性がある。構造上の課題をクリアすれば橋のデザインは多くの場合設計者に委ねられる。
幕末から大正にかけて、横浜にも多くの橋が架けられた。居留地と外を結ぶ「吉田橋」のエピソードは有名。
この時代で<最も>派手な橋はどれか?
文句なく『万国橋』だろう。現在の橋は1940年(昭和15年)11月に完成した二代目の地味なアーチ橋だが、当時は、上物が凄かった。
ちょっと笑ってしまいそうな上物でもある。税関=大蔵省の威光を示す目的もあったのだろう。
まずは百聞は一見なので当時の絵葉書を何点か紹介する。
開港50年祭の際に鉄骨アーチを覆うように<城櫓>のハリボテを組み立てたもの
『万国橋』は1904年(明治37年)に税関埠頭(現在の新港埠頭)と関内を結ぶために架設されたアーチ型鋼橋(トラス橋)だった。大さん橋を含め横浜港築港計画で設計された時には唯一の橋だった。 全長は36.6メートルで幅が15.9メートルあり、関東大震災でも耐え震災後もすぐに使用できた優れもの。
完成後、鉄道を埠頭内に引き込むために<汽車道>が作られ、税関本館脇から「新港橋」が架けられ、1994年(平成5年)みなとみらいエリアの開発に伴い「国際橋」ができるまで汽車道を除きこの二つの橋しか無かった。
万国橋は関内の中の<関内>、居留地時代の吉田橋みたいな役割を担っていた。移民船も大さん橋だけではなく新港埠頭から多くの人々が旅立ったに違いない。
現在は<みなとみらい>エリアを撮影するベストポイントにもなっている。