12月 15

No.351 12月16日(日)戸塚踏切をなんとかしろ

横浜新道の旧戸塚有料道路区間(俗称吉田ワンマン道路)を
1964年(昭和39年)12月16日の今日、無料開放しました。

nn-E5-90-89-E7-94-B0-E3-83-AF-E3-83-B3-E3-83-9E-E3-83-B3-E9-81-93-E8-B7-AF
オレンジ色が戸塚有料道路

自動車を運転される横浜市民なら一度は横浜新道を走ったことがあるでしょう。
横浜市内の国道1号のバイパス機能を持った国道です。
横浜新道はどこからどこまでなのか?
このテーマを調べるまで全く違う区間イメージを持っていました。

(横浜新道)
横浜新道は、“横浜市神奈川区立町”から“横浜市戸塚区上矢部町”までの区間です。
この区間内が一般道路と有料道路に分かれています。
起点の神奈川区立町、どこだか判りますか?
京浜急行「神奈川新町駅」近くで、
国道一号線は「東急 反町駅」経由して三沢から有料道路に入ります。

nn-E6-96-B0-E9-81-93-E3-81-A8-E5-90-89-E7-94-B0-E3-83-AF-E3-83-B3-E3-83-9E-E3-83-B3-E9-81-93-E8-B7-AF

横浜新道の経緯を追っていきます。
まず
1948年(昭和23年)に連合国軍最高司令官総司令部が「行政道路」として東海道(国道一号線)のバイパス化を指示します。
 (サブ年表1950年朝鮮戦争開始)
1952年(昭和27年)日本国主権回復(講和条約発効)
 同年 国内法で道路計画が策定されます。
 (サブ年表1953年朝鮮戦争終了)
1955年(昭和30年)に戸塚道路(不動坂交差点から大坂上まで)が有料道路として開通します。
1956年(昭和31年)に管理が日本道路公団に引き継がれます。
1957年(昭和32年)に日本道路公団が横浜市保土ヶ谷区常盤台から横浜市戸塚区上矢部町までの有料道路(横浜新道有料部分)の認可を受け着工します。
一方で、一般道の「横浜新道」区間(横浜市神奈川区立町から横浜市保土ヶ谷区常盤台)までが開通します。
1959年(昭和34年)10月28日に有料道路横浜新道が開通し戸塚道路と統合します。
横浜市神奈川区立町〜戸塚区上矢部町までの区間が「横浜新道」となります。
※横浜市戸塚区柏尾町から同区汲沢町までの区間は横浜新道戸塚支線に。

そして、
(旧戸塚有料道路区間無料)
横浜新道の旧戸塚有料道路区間(俗称吉田ワンマン道路)と横浜新道戸塚支線を1964年(昭和39年)12月16日の今日、無料開放することになります。

nn-E6-88-B8-E5-A1-9A-E6-96-B0-E9-81-93-E6-96-99-E9-87-91-E6-89-80
昭和30年頃の地図には戸塚料金所が記載されています

(吉田ワンマン道路?)
横浜市戸塚区役所のHPには
「国道1号の不動坂交差点から大坂上までの道路は、通称ワンマン道路と呼ばれています。昭和28年、当時の吉田首相が開かずの踏切といわれる戸塚駅前の大踏切を避けるため、このバイパス道路を建設しました。吉田首相が「ワンマン宰相」と呼ばれていたことからこのように呼ばれるようになりました。」
と言われていますが、
「吉田ワンマン道路」は横浜新道全線を表現していると思っていませんでしたか?
正確には「不動坂交差点から大坂上の区間」だということです。
ただ、この“俗称ワンマン道路”にも若干?疑問を感じます。

戸塚有料道路と横浜新道は昭和20年代に計画されます。
この時期、日本国は米軍占領下にありました。
基地のある地域の“米軍”要求は
“渋滞をなんとかしろ”という項目から
「車を右側通行に」という日本の交通体系の根本改変まで要求されます。
これには、さすがの日本政府も徹底的に反対し
“英国流左側通行”が継続します。

たまたま、吉田ワンマンの自宅が大磯にあり、総理大臣自身も戸塚近辺の渋滞は不便だったかもしれませんが、背景には日米安保下の様々な政治的軋轢があったようですね。
確かに、吉田茂のワンマン所業は有名でしたから
彼も“戸塚踏切の渋滞をなんとかしろ!”と言ったのでしょう。

No.306 11月1日(木)戸塚駅東口小史
※吉田ワンマンの亡霊

 吉田元総理大臣が作ったワンマン道路???
 小田原厚木道路をワンマン道路という投稿まで出ています。
http://www.youtube.com/watch?v=00lmuO2Vq4k

(余談)吉田茂の天敵?
戦後、吉田内閣時代に首相を批判した技術官僚に
下元 連(しももと むらじ)という人物がいます。
大蔵官僚で建築家の彼は
横浜税関庁舎、
門司税関庁舎、長崎税関庁舎などのプロジェクトに携わります。

nnP3130232

吉田茂に対して
「大磯あたりにいてワンマン道路を造って通う(吉田元首相のこと)なんていうのは、けしからんこと」と辛辣な批評をしています。
ただ、首相公邸を設計したのが下元 連でした。
自分の設計した公邸を使わない吉田茂が腹立たしかったのではないでしょうか?
■(追伸→リクエストがありました)
今日、12月16日は「東京〜横浜間」で電信事業が始まった日ということで、記念日になっていますが、横浜新道にちょっと触れおきたくて敢えて別の日にしました。

12月 15

No.350 12月15日(土)横須賀上陸、横浜で開化。

演奏しながら、様々な図形を描くように行進する吹奏楽バンドが行う演目をドリルといいます。
このドリルにビューグルを使用するマーチングバンドがビューグル隊です。1961年(昭和36年)12月15日の今日、神奈川県警音楽隊に、日本で初めてビューグル隊が結成されました。
ビューグルとは、金管楽器の一種で牧畜,狩猟などに用いられた角笛の一種に由来します。広くは軍隊などで使用する弁装置のないラッパなどもビューグルと呼ばれます。
(20130128加筆しました。)

(ビューグル上陸)
ビューグルサウンドは
昭和30年代、アメリカ海兵隊ドラム&ビューグル・コーのメンバーによって日本に上陸したチームによって初めて日本人に指導されました。
当時、横須賀に入港したアメリカ海軍第7艦隊の軍楽隊として乗船し、横須賀に駐留していたメンバーが地元の学生や県警音楽隊にマーチングの指導を行ったことに始まります。
この米海兵隊によるドリルは、斉一性のあるビューグルとドラムのスピーディーな隊形変換、鮮やかな楽器のトワリング、今までに聴いたことの無い圧倒的な音量で音楽関係者のみならず多くの聴衆に衝撃を与えました。
その後、彼らに指導を受けた関東学院や神奈川県警察音楽隊がビューグルによるマーチングを行うようになり全国に拡がっていきます。

(http://pixabay.comフリー素材から)

日本人が初期に購入したビューグルは(アメリカ  スリーガーランド社製)G調でピストンがひとつしかなく、音階も完全には出ないため演奏が非常に難しい楽器だったそうです。

Marching 神奈川県警察音楽隊 2012
http://www.youtube.com/watch?v=3Icq77aiYY4
神奈川県警察音楽隊&カラーガード : The Sound of Music Medley
http://www.youtube.com/watch?v=iebhM61i8Rs&playnext=1&list=PL2C27056E225DABFD&feature=results_main
神奈川県警察音楽隊 第228回マリンコンサートから
http://www.youtube.com/watch?v=PMlWZiKHd3s

■ビューグル隊の誕生
1961年(昭和36年)12月15日、25名の編成による県警察音楽隊ビューグル隊は(先生の)米海兵隊ビューグルバンドとともに県庁を訪問パレードしデビューします。当時の内山 岩太郎神奈川県知事に結成を報告し、日本で初めてドリル専門のビューグル隊が誕生することになります。
神奈川県下、様々なシーンでこのビューグル隊に出会うことができますが、一番確実なのは「みなと祭り」でしょう。
迫力ある演奏をぜひお楽しみ下さい。
※県警百年記念のパレードでも「ドリル」が披露されました。

一方、横須賀で米軍に学んだ学生達も新しいビューグルバンド結成に向けて活動を始めます。
ビューグルを学んだ関東学院吹奏楽部(現:関東学院マーチングバンド)のOB達は、日本大学高等学校吹奏楽部・京浜女子大学付属トランペット鼓隊(現:鎌倉女子大学中等部・高等部マーチングバンド)のOB・OG達と共に日本初の一般編成によるマーチングバンド「日本ビューグルバンド」を結成します。
1967年(昭和42年)1月10日には、この日本ビューグルバンド主催の「第1回パレードバンドフェスティバル」が横浜市文化体育館で開催されます。このパレードバンドフェスティバルが、現在開催されている「マーチングバンド・バトントワーリング全国大会」の原点となっています。

長者町芸術祭2012/関東学院マーチングバンド
http://www.youtube.com/watch?v=Nk–rRkFTrg

実は、
警察音楽隊の歴史は横浜から始まります。
1934年(昭和9年)1月、神奈川県警察部警務課内に音楽隊が総員8名で発足しました。その後、戦争により解散しますがこの音楽隊が日本の最初の「警察音楽隊」です。
戦後、警察機構が新しくなり、戦後警察の下
大阪府警察音楽隊が1945年(昭和20年)に初めて発足します。
その後、少しずつ各都道府県に音楽隊が結成されていきます。昭和40年までに42都道府県で結成されました。
1980年(昭和55年)鳥取県警察音楽隊の結成で全都道府県警察音楽隊が出そろいます。ビューグル隊に関してはまだまだ少数派のようです。

■待ってました(横浜はじめて物語)
日本吹奏楽発祥の地は横浜です。
現在横浜市中区の妙香寺内に記念碑があります。
碑文には
「明治2年(1869年)10月、薩摩藩の青年藩士30余名が当妙香寺に合宿し、英国陸軍第10連帯第1大隊所属軍楽隊の指導者ジョン・ウイリアム・フェントン(JohnWilllamFenton)から吹奏楽を学んだ。
これが日本人による吹奏楽団創立の序であり、吹奏楽活動の緒となった。
発祥から120年目にあたるこの年、日本吹奏楽が悠久に発展することを祈念し、ここに、吹奏楽界同志に諮りこれを建立、謹んで日蓮宗本牧山妙香寺に献呈するものである。」平成元年(1989年)9月8日建立とあります。