No.450 【横浜かわとみちの物語】プロローグ

人は道でつながり
道は人をいざなう
彼方と此処をつなぐ「みち」には
道、路、径、途 と幾つか表現がありそれぞれに味わいがあります。

横浜の「みち」を歩いてみました。
「みち」の無い街はありません。
暮らしにつながる無数の「みち」の中でも
名称がついている道も多くあります。
ざくっと 横浜の“歴史みち”を図式化してみました。

江戸時代に整備された東海道を軸に
多くの道が枝葉のように分かれています。
上記図の他にも「馬車道」「水道道」「鎌倉街道」「根岸疎開道路」「ガス山通」「海軍道路」「〜せせらぎ緑道」「三十六米道路」「浜銀通」「音楽通」…
数多くの愛称のある道が点在しています。


(歴史道を簡単に紹介しましょう)
■現在国道246号線となっている
矢倉沢往還(やぐらざわおうかん)は、
古代の「足柄道」を江戸時代に東海道の脇街道(バイパス?)として整備した街道です。
別称 大山街道です。(複数ありますので注意)
江戸時代に始まった“観光”=講ルートでもありました。
残念ながら古道の面影は殆どありません。

■中原街道(なかはらかいどう)は
江戸虎ノ門(現在の東京都港区虎ノ門)から平塚中原(現在の神奈川県平塚市御殿)をつなぐ脇街道です。
中原の名は、終着点の神奈川県平塚市御殿の地名に残る徳川将軍家別荘「中原御殿」からきています。

■東海道(とうかいどう)
江戸時代の主要陸上交通路として整備された五街道の一つです。
日光街道・奥州街道 ・中山道・甲州街道 
東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は
浮世絵や和歌・俳句の題材に用いられ“観光街道”でもありました。
産業街道としては“中山道”が主要道として活用されました。

■八王子道(はちおうじどう)
神奈川宿から延びる「絹の道」の一つです。
現在の国道16号線が最も重なる道筋です。

■神奈川道(かながわみち)
長津田から恩田川沿いを通り、
東海道神奈川宿に向かう道を「神奈川道」と呼びました。
古くは“鎌倉街道”の一つとして、開港後は“絹の道”として栄えました。
※神奈川道も一つではなく幾つか「神奈川道」があったようです。
 泉区にも大和市の上和田から“鎌倉上の道”に合流する年貢を運んだ道を
 「神奈川道」と呼びました。

■金沢道(かなざわみち)
程ヶ谷宿(現 保土ケ谷)から金沢の六浦陣屋まで上大岡、能見堂跡、金沢文庫と続く道です。
平安時代から使われた「道」で、鎌倉時代に整備されました。

■相州道(そうしゅうみち)
程ヶ谷宿(現 保土ケ谷)から、桜ヶ丘の尾根筋を通り
二俣川を経て厚木の方へ通じる道です。
※相州道は神奈川宿から

■稲毛道(いなげみち)
神奈川宿から鶴見川の大綱橋で渡るまで、東急東横線と並走し溝の口で矢倉沢往還につながります。
歴史街道歩きルートとしては、横浜市内で最も“魅惑的”な道の一つです。

■横浜道(よこはまみち)
幕末横浜開港にともない、
東海道と横浜港を結ぶために現在の横浜市西区浅間下から中区吉田町間に造られた街道です。開港前はかなり不便なエリアだった「横浜村」と「東海道芝生村」を三ヶ月の突貫工事で開通させたかなり強引な“道”です。
開港前日にやっと開通したという逸話が残っています。
現在は全く当時を偲ぶ面影はありませんが、明治期に築かれた石積みの壁が残っています。
かなりドラマチックな「道」であったと想像できます。
次回以降、横浜の「みち」
そして横浜の「かわ」について
小さな物語を紹介していきます。

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