「森鴎外から「武鑑」に関心が出てきて数冊「武鑑」を入手した。」と
“歴史学”の専門家に話したら
危険だ!と言われてしまった。冗談で「幕末で止めておきなさい」
掃部山にその名が残る幕末の大老 井伊掃部頭 |
横浜に関係する歴史的な話題を探す際、概ね幕末からの資料が中心になります。
横浜の歴史はついつい 近世末期からスタートしてしまいます。横浜が脚光を浴びた時期が幕末「開港」の時代だからです。
一般的に安土桃山時代から江戸時代を近世
明治維新以降を近代と呼びます。
歴史の範囲を「江戸時代」まで遡ると
一気に守備範囲が等比級数的に拡がっていきます。江戸時代はこれまた面白い時代です。しかも資料をコレクションし始めたら
たしかに危険な匂いがします。
(武鑑に夢中)
文豪で思想家でもあった森林太郎(鴎外)は武鑑コレクターでもあり研究家でもありました。
彼は「伊沢蘭軒」「渋江抽斎」他を書くにあたって武鑑をフル活用しました。
彼自身の「武鑑コレクション」は有名です。
「伊沢蘭軒」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2084_17397.html
「渋江抽斎」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/2058_19628.html
池波正太郎、司馬遼太郎、松本清張 他多くの時代小説作家も「武鑑」を資料にしながら作品を残しています。
「武鑑(ぶかん)は、江戸時代に出版された大名や江戸幕府役人の氏名・石高・俸給・家紋などを記した年鑑形式の紳士録。」(Wiki)
「武鑑とは江戸時代に民間の書肆(しょし=本屋)が営利のために刊行した大名・幕府役人の名鑑である。江戸時代初期寛永頃の『大名御紋尽(ごもんづくし)』や『江戸鑑』を経由して1687年(貞享4年)『本朝武鑑』で始めて武鑑の名前が冠された。『正徳武鑑』に至り体裁が整い、明和元年(1764)の武鑑で形式が定まって、幕末に終刊する。」(伊従保美)
http://www.kawara-ban.com/daimyouNO13.html
私が入手したのは、
「袖珍武鑑(シュウチン ブカン)」と
「袖玉武鑑(シュウギョク ブカン」という対の武鑑です。
「珍」と「玉」いささか語弊のある文字ですが?!
「袖珍武鑑」はイロハ別大名図鑑で諸藩大名を名前から探ります。
一方
「袖玉武鑑」は役職別幕府役人図鑑で、大名以下の細かな役職担当者も記載されています。江戸時代の組織が見えてきます。
図版からわかるように家紋や槍などの道具印は図も丁寧に描かれ、ほぼ毎年発行されています。
この武鑑を手にして驚くのは、
ハンディタイプであること。大きいサイズもあるとのことですが、手元に置いておくなら手頃な大きさです。この中に
徳川御三家から國主大名、外様大名、譜代大名の
氏名、官位、御所号、本國、家紋、石高、さらに江戸より居城までの里程などが記載されています。さらに
江戸城中の詰所の別とか、大名行列の槍の形(どこの大名か見分けるのに便利だった)など 小さいながらも事細かに記載されています。
ユーザーは
江戸屋敷在勤の武士が日常政務の際、他の武家屋敷との折衝や交際の基礎資料として購入したそうです。
頻繁に使用したのは出入り商人や街道筋の役人、商店、旅籠なと宿場町関係の人々でビジネスの必需品となりました。
余裕が出てくると 参勤交代の下級武士のお土産、町人の大名行列の見物資料とになったそうです。
なんとも優雅な世界というか、この一冊だけでも江戸時代の成熟度を感じます。
(何が危険か)
集めたくなる衝動にかられるからです。特に「袖玉武鑑」は
時代と共に変わっていく役職の面白さを探す
いったい何だろう?と思う役職探し他
読み出したら 別な世界に入り込んでしまう“危険”が確かにあります。
現在16冊で幕末が殆どです。先輩のアドバイスに従って
幕末より遡るのは止めておくことにします。