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【閑話休題】

第990話 近代・ミシン・横浜
を三回に分けて書きましたが、結果消化不良になってしまいました。
この事件は、偶然書店で購入した「ミシンと日本の近代」の中で横浜中央店を舞台にした労働争議の模様が実に詳しく書かれていたので、簡単に紹介してみようと思い立ちました。
「シンガーミシン争議」は横浜市史に書かれていたので概要は知っていましたが、
歴史や市場背景に関しては追いかけていませんでした。
なぜ”ミシン”で乱闘事件が起こったのか?
詳しくは「ミシンと日本の近代」を!
「ミシンと日本の近代」
ミシンは日本の近代化を考える上でとても興味深い道具です。欧米より日本の近代化におけるミシンの存在は大きいでしょう。<和服>から<洋服>へ そして近代軍隊への転換にミシンは重要な役割を担ってきました。
確かに軍服という近代の象徴はうなづけます。ここに日清・日露戦争による未亡人・女性の自立があったり、女性の総合教育の機能を担ってきた背景があります。
一方で企業のグローバリズム化による初期資本主義の弊害をここにみることができます。 横浜を素材に日本の近代化(異文化の受容)を考えてみたい。
これが現在の私のテーマです。
異なったこと、違うモノを受け入れる際の「受容と拒否」が近代化の日常でした。異なったことを<新しいこと>に置き換え、新しいことは<良いこと>という物語を維持しながら、日本は比較的スムースに近代化の道筋を歩んできたように思います。
開港開国以降、明治維新を経て、日本の近代化はある意味”節操の無い”程の積極的受容を試みます。歴史家の中では「不平等条約」を撤廃するための受容だった、と分析している方もおります。
異文化導入をテコに、武士政権から天皇を軸にした立憲君主的な政治構造への変革を遂げるには近代化の需要は必須だったのかもしれません。
日本人はアジアの中で早く近代化の道を歩み始めます。時期的にも 受容の速度としても早かったことは事実です。 横浜の明治から大正期の人通りから 横浜でも圧倒的に女性は和服だということが分かります。
当時の服装を絵葉書から眺めてみます。
伊勢佐木、花見煎餅、玩具の満利屋、ガス灯が見える。人々はほぼ和装。自転車も普及。
伊勢佐木町界隈の風景。ハットをかぶる男性、傘をさす和装女性、和装の従業員、自転車に乗る白服男子
野毛の風景。車夫以外は和装。右側は最近閉店した醍醐三河屋茶店
大正末期の風景、母親は和装、子供は洋服(制服か)
明治期の子供たち。
大正初期の風俗絵。尻にひかれている子供を背負う洋服の夫と和装の女性。

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