19世紀は二回。
1874年(明治7年)12月、1882年(明治15年)12月の二回。
20世紀はありません。
21世紀では2004年6月8日、2012年6月5日(火)午前7時過ぎから午後1時45分の間観ることができました。
次回は2117年12月11日です。
さてなんでしょうか?
さらになんで 12月9日に関係があるのか?
今日はこのあたりをひも解きます。
(日面通過)
一生に一回、観ることができないかもしれない天体ショー、
「金星の太陽面通過(金星の日面通過)」が
1874年(明治7年)12月9日の今日、観測されました。
しかも、横浜が観測ベストポジションでした。
この観測活動の記念碑が(地味に)横浜市中区紅葉坂の県施設の一角にあります。
金星の日面通過とは、
金星が太陽面を黒い円形のシルエットとして通過していくように地球から見える天文現象で非常に稀な現象です。
原理は簡単で、金星が地球と太陽のちょうど間に入ることで起こりますが、そう頻繁に起りません。太陽系、「すい・きん・ち・か・もく」なんて記憶したものですが、共に太陽の周りを回っているため、
太陽と地球の間に「金星」が入るためには長い時間が必要になります。
イメージ図です。実際の惑星間、位置を現わしていません。 |
(地球と金星の関係)
金星の日面通過が起きる間隔は(近年では)
243年で、その8年後に一回
その後121.5年と105.5年の長い空白期間があるため中々観測できません。
金星は英語でVenus、太陽に近い方から2番目の惑星です。明け方と夕方に目視できるので「明けの明星」「宵の明星」として古くから人々の生活に登場してきました。
(横浜観測点)
1874年(明治7年)12月9日に起った「金星の日面通過」の時は、当時天文観測の先進国だった欧米各国が世界70か所以上に観測隊を派遣します。日本が観測に最適な場所の一つだということで、フランスとアメリカ、そして太陽の国メキシコがそれぞれ観測隊を派遣します。
明治7年の日本はまだ明治維新直後で、政府も外国からの観測隊訪問依頼の目的がよく理解できずに困惑します。
派遣国は、この「金星の日面通過」の科学的意義の重要性と純粋に科学的な観測である点を伝えます。意義を理解した明治政府は、欧米の進んだ科学技術を吸収できる絶好の機会と考え、観測隊に便宜を図ります。
同時に観測技術を学ぶことを水路寮(現在の海上保安庁海洋情報部の)に命じます。
長崎にフランス隊とアメリカ隊を
神戸にはフランス別働隊が観測所を設けます。
横浜はメキシコ隊が拠点を置き観測を行いました。
横浜のメキシコ観測隊は、二カ所で観測します。
横浜市中区の宮崎町三九番地と、山手町(フェリス女学院高校門柱横)の二カ所で観測が行われました。
フランシスコ・ディアス・コパルーピアス隊長率いるメキシコ観測隊と日本からは水路寮の吉田重親海軍中尉が参加しました。
紅葉坂にある記念碑には
第1観測地点(野毛山)東経1390 37′ 48〝 北緯350 26′ 45〝
第2観測地点(山 手)東経1390 39′ 02〝 北緯350 26′ 07〝
二点の観測座標が刻まれています。
実はこの観測まで、日本の位置は科学的に確定していませんでした。
この時アメリカ観測隊は長崎とワシントン間、長崎と東京間それぞれの経度差観測も行い、これによって日本の地図上の正確な経度が初めて決定されることになります。
紅葉坂にある「金星の太陽面通過(金星の日面通過)」記念碑は、ちょっと判りにくい場所にありますので 注意深く“観察”しましょう?!
写真の右下の一角に記念碑があります。 |
この日は私のブログでも全くノーチェックだったようで、悔しいというか残念でした。
もう観ることができない!
No.157 6月5日(火) 半ズボンより長ズボンでしょ!
※2117年も日本で観測できるそうです。