1968年(昭和43)12月8日の今日、京浜外貿埠頭公団のコンテナ専用埠頭にアメリカからフルコンテナ船の第1号「シーランド・サンファン号」(Sea-Land Service「San Juan」)が入港しました。
京浜外貿埠頭公団のコンテナ専用埠頭 |
横浜港の本職は?
若干語弊がありますが、横浜港の本職は貿易です。横浜港を利用する船舶の多くが「貨物船」です。
横浜港は、東京、神戸、名古屋と貿易量(額)の国内のトップを競っています。
特に神戸とは幕末開港以来のライバルです。
神戸港 |
(高規格化競争)
貿易港も近代化、技術革新による【高規格化】競争の歴史です。設備と環境で優位性が変わります。21世紀は激化する国際競争の中、中国・韓国がトップ争いを繰り広げています。
横浜港も、開港時の英吉利波止場では国際貿易に対応できず「新港埠頭」を築港することで神戸と互角に貿易競争を闘いますが、大震災と東京港の国際化で停滞します。
戦後、再び日本有数の貿易港として成長していくために横浜は「本牧ふ頭」をはじめ近年は「南本牧ふ頭(建設中)」を整備し港の【高規格化】を推進しています。
昭和40年代の港湾計画 |
貿易の横浜港を知っていますか?
横浜港のコンテナ船の多くが高規格化された「本牧ふ頭」「南本牧ふ頭」で荷物の受渡しを行っています。
ここでは、簡単に「本牧ふ頭」について紹介しましょう。
「南本牧ふ頭」については、
http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/guide/gaiyou/mhonmoku.html
「横浜港全般」については
http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/
(本牧埠頭)
本牧ふ頭は全部でA突堤からD突堤まであり1960年代から順次建設されました。AからCまでは横浜市港湾局、横浜港埠頭公社と民間会社が管理し、A突堤には現在ベイブリッジが架かっています。
D突堤には、横浜港シンボルタワー、本牧海づり公園、本牧漁港、港湾職業能力開発短期大学校横浜校など港湾に関係する関係施設が多く設置されています。
D突堤の一部は一般開放されていますが、A突堤からC突堤を見るには横浜港クルーズ(ロイヤルウイング)を利用すると外観を観ることができます。貿易の視点から「港」を観るのも新しい楽しみ方です。
(コンテナ船の歴史)
container
海上コンテナの歴史は比較的新しく、1956年(昭和31年)に全米有数の陸運業者を裸一貫から創業したマルコム・マクリーン (Malcolm McLean) がコンテナ専用貨物船「Ideal-X」を就航させたことに始まります。
船荷を規格化(コンテナ)することで、船に積んだ荷物をどこの港でも規格車台を持つトレーラーに積み込みそのまま客先まで運ぶことができ、海陸一貫輸送が実現します。マルコム・マクリーンは「シーランド」社を作りコンテナシステムを導入することで、期間短縮・効率化を実現します。このコンテナ規格は一気に世界の海運会社が追随しグローバルスタンダードとなります。
時代的背景には「ベトナム戦争」のための兵站輸送がありましたが、1960年代後半には世界各地の主要港でコンテナ専用埠頭が次々完成していきます。
(日本のコンテナ専用港)
日本では神戸港がいち早くコンテナ埠頭を整備し、横浜・東京が追随します。
兵庫県神戸市に1967年(昭和42年)日本初のコンテナターミナルを備えた摩耶埠頭が竣工、マトソン社のハワイアンプランター号が初入港します。神戸港は、
1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)までコンテナ取扱個数神戸が世界一でした。各国の船会社もコンテナ船の建造を迫られます。
コンテナ船は、コンテナと共に他の荷物も積む貨物船(セミコン船)から現在はコンテナのみ専門に積む(超)大型貨物船(フルコン船)が主流となっています。
この専用貨物船(フルコン船)が初めて来航したのが、
1968年(昭和43)12月8日の今日という訳です。
※国産フルコンは?
日本郵船は1968年(昭和43年)に北米西岸航路に日本初のフルコンテ
ナ船「箱根丸」を就航させ、コンテナによる定期輸送を開始します。
(本町コンテナ街道)
1960年代に本牧ふ頭が整備され始めた結果、中区の本町通は連日大型コンテナ専用トレーラーが爆走する通称「コンテナ街道」と呼ばれていた時期があります。
県庁の前を毎日多くのトラックが爆走していました。コンテナ街道の解消のためにベイブリッジ下層部の国道357号線が開通し、かなり混雑緩和が実現しました。現在では考えられない光景です。