港は出会いと別れのプラットホーム。
今日も港ネタです。
幕末期、函館から密航しアメリカに渡った新島 七五三太(しめた)が、晴れて1874年(明治7年)11月26日の今日、横浜に“日本人宣教師”として帰国します。
彼に密航を決意させたのは“アメリカの地図書”に見た世界の広さでした。
イメージです。本文とは関係ありません。 |
“米国の大学で初めて学位をとった日本人”
新島 七五三太(敬幹)は、徳川時代に掟を破り渡米したため<無国籍者>でした。
明治になり日本政府が初の海外駐在外交官として米国に派遣した森有礼によって、
初めて日本国パスポートが発行されます。
新島はアメリカ訪問中の岩倉使節団と出会い、木戸孝允の知遇を得ます。
木戸は新島の卓越した語学力を評価し欧州使節団に参加させます。
※岩倉使節団は、明治新政府によって派遣された初の大規模な公式使節団です。
岩倉使節団の目的は、まず不平等条約の改正に向けた予備交渉でしたがほとんど成果をあげることができませんでした。しかし、
もう1つの目的“欧米各国の国家制度、産業技術、伝統文化などを視察すること”については、使節団のみならず通訳として同行した新島 七五三太にとっても「智識を世界に求め」る最高のチャンスでした。
新島が後に編集した岩倉使節団の報告書『理事功程』は、
明治政府の教育制度に大きな影響を与えることになります。
(Joseph Hardy Neesima)
新島 七五三太(敬幹)は、1864年(元治元年)6月函館から出国し、上海、香港を経由し米国行きのワイルド・ローヴァー号で太平洋を渡ります。
1865年(慶応元年)ボストンに到着し、船主のA.ハーディー夫妻の庇護を受け高等教育を受けるチャンスをつかみます。
函館から上海に向かう船上で船長ホレイス・S・テイラーに「Joe(ジョー)」と呼ばれていたことから以降「ジョー」の名を使い始めます。
帰国後1875年(明治8年)1月、郷里群馬の父に宛てた手紙で初めて自分はこれからジョセフの略で「襄」と名乗ると書き送ります。
彼こそが後の同志社大学を開く「新島襄」です。
この後、
明治六大教育家の1人に数えられた新島襄は活動の場を関西に移し、キリスト教の布教活動と学校(同志社)の設立に奔走します。
米国で無国籍の新島襄に日本国籍のパスポートを発行した森有礼も
明治六大教育家の1人で、明六社の発起代表人、文部大臣として学制改革を実施し一橋大学の創始者です。
※明治六年結成した「明六社」は、日本最初の学術団体。機関誌『明六雑誌』が有名。
悪名高き太政官政府の「讒謗律・新聞紙条例」で廃刊、解散になります。
(聖書の翻訳)
ここにもう一人、横浜に因んだ人物が登場します。
1874年(明治7年)11月26日の今日、新島襄を横浜港で出迎えた米国人
ダニエル・クロスビー・グリーン(Daniel Crosby Greene)です。
後に新島と「同志社」を築くメンバーですが、
新島襄同様にアメリカ外国伝道委員会「アメリカン・ボード (American Board of Commissioners for foreign Missions)」から派遣された宣教師です。
ダニエルは、1874年6月1日宣教師の活動を行っていた神戸から横浜に来て、ヘボンらとともに宗派を超えた共同の聖書翻訳に取り組んでいた時に新島が帰国したのです。
※Daniel Crosby Greene
From June 1874, until May 1880, he resided in Yokohama, as a member of the committee for the translation of the New Testament into the Japanese language.
日本国内で最初に聖書を翻訳したのは、
ゴーブル(J.Goble,1827〜1896年)ですが、
明治時代に入り聖書翻訳は“個人訳の時代”から“共同訳”の時代に入ります。
プロテスタント宣教師らによる
聖書翻訳委員会(翻訳委員社中)が横浜で組織されます。
メンバーは宗派を超えて集まりました。
多くが横浜に縁の深いメンバーです。
★ジェームス・カーティス・ヘップバーン(Presbyterian)
一般的にはヘボン式ローマ字の創始者のヘボン博士で有名
★サミュエル・ロビンス・ブラウン(Reformed Church of America)
横浜の修文館の教頭兼英語主任、
ブラウン塾から一致神学校を経て明治学院に発展しました。
★ロバート・S・マクレー(Methodist)
横浜山手でキリスト教神学を教授する
「美會神学校」(青山学院神学部の源流)を設立。
青山学院初代院長。
★ネイザン・ブラウン(Baptist)
日本で第二番目のプロテスタント教会である
横浜第一バプテスト教会を設立。
山手の横浜外国人墓地に眠る。
★ジョン・パイパー(Anglican)
東京で聖パウロ教会(目黒区五本木)を開きます。
★ウィリアム・B・ライト
(Society for the Propagation of the Gospel in Parts)
牛込聖バルナバ教会を建てる。
そして
★ダニエル・クロズビー・グリーン
(American Board of Commissioners for Foreign Missions)
らが参加し「新約聖書」の翻訳を完成させます。
ダニエルはその後、関西に戻り同志社に関わり神戸で亡くなります。
米国で報道されたダニエルの死亡記事 |
神戸の外国人墓地に眠るダニエルの碑 |