No.323 11月18日(日)歓楽街の住まい方 (加筆修正)

飲んべえを大量に引き寄せる「野毛界隈」に
初めて高層住宅+商業施設が出現した日です。
1983年(昭和58年)11月18日(金)の今日、
商業施設「ちぇるる野毛」が開業しました。

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ちぇるるパンフより
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ちぇるるパンフより

(横浜道の要所)
野毛界隈は東海道(江戸時代)と横浜港(明治時代)を結ぶ
横浜道の要所として幕末から賑わった街です。
日本初の鉄道駅、造船所、戦後は闇市、劇場、場外馬券売場と移り変わりながらも“下町の居酒屋”で賑わってきました。
戦後このエリアは中低層の飲食・料理店などが大半を占め防災上の課題を抱えていましたが、
たまたま野毛3丁目の一角の土地買い占めに端を発し、
再開発計画がこのエリア最初の試みとして進められました。
正式名称「野毛町3丁目第一種市街地再開発事業」は、
権利者の長い合意形成行動の結果、
十年の時間をかけた“画期的”な都市計画遂行でした。
合意形成には多くの障害を乗り越える必要がありました。
敷地面積6,510平米、地下1階から地上2階までが商業施設。
3階が横浜市野毛地区センター、
4階から9階までが住居という複合ビルとして計画されました。
この一角は
地権者24人、借地権者11人、借家権者22人からなる複雑な利害関係のある混在地域でした。

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昭和30年代
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1977年 
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1988年
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2011年

横浜市中区野毛地区の先行的再整備事業「ちぇるる野毛」誕生の経緯は
 1970年(昭和45年)3月に基本構想作成
 1973年(昭和48年)7月権利者による準備組合が発足
 1978年(昭和53年)11月都市計画決定
 1981年(昭和56年)2月部分着工
 1982年(昭和57年)3月全面着工、7月キーテナント決定(ダイエー)
 1983年(昭和58年)8月公募で「ちぇるる野毛」と決定
 1983年(昭和58年)11月18日(金)ちぇるる野毛開業。

(ちぇるる)
商業施設のネーミングは公募によって「ちぇるる野毛」と決まりました。
桜(チェリー)とビルのコンセプトカラーであるパールホワイトを合わせて「ちぇるる」と名付けた案に決定します。

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開業当時、この野毛界隈には大型商業施設が無く、
地元住民からは要望もあり大型キーテナントの誘致を図りますが、
立地商圏の購買力に弱さがあるということで難航しますが、ダイエーに決定します。
その後、トポスに業態変換し最終的に撤退します。
その後、TSUTAYA進出か?と騒がれますが
最終的に横浜市域を中心に業績を伸ばす「青葉」が食品スーパーとして開業します。

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現在の商業施設、競合マップ

野毛エリアは意外と商圏が重なっていることが上記の図でわかります。
「ピアゴ」は一時期閉店し、リニューアルを検討中です。
2015年新たにオープンしました。

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(ちぇるるの歴史)
一階では、ダイエー系ハンバーガーショップ「ドムドム」が出店し、その後ダイエー系「ウェンディーズ」となり好調でしたが、
身売りのため関連閉鎖し現在は中華料理店が出店しています。

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このように、「ちぇるる野毛」テナントは一部を除いて
撤退・新規を繰り返しています。
近年は個人病院の出店により医療モールの色合いが強くなってきました。

■横浜・桜木町 ちぇるる野毛ショッピングセンター
http://cherurunoge.com
■横浜市野毛地区センター
http://www.nogechikusen.com

(変貌する野毛)
平成に入り野毛の街中、周辺にマンションが急増し地域の模様が変化しつつあります。
また居酒屋の野毛からラーメン街道に。
※一時期15店舗以上が火花を散らしていました。

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2000年代になり深夜まで営業するカジュアルバルが急増し客層が多層化してきました。
※バジルドミノ!(イタリアンレストラン「バジル」が野毛に新しい風を起こし、新規出店ラッシュが巻き起こっています)

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No.424 琉球バル

(課題山積)
JRA頼みの土日型から脱却できるのか?
若干乱立気味の新規店舗は共存できるのか?
周辺のマンション新築が続く中、地域との接点をどうするのか?
野毛界隈の「連帯」と「個性」の両輪は回るのか?

30年の時が経過する「ちぇるる野毛」が見つめて来た野毛界隈は今、
変化のまっただ中にありどこに行こうとしているのか?
飲食店と住宅と商業施設の相乗効果は実現するのか?

1人の飲んべえとしては次代に新しい合意形成を期待するところです。

※「大道芸」「野毛流し芸 in 柳通り」には触れませんでした。

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