本日から三日間、ハードな旅行のためちょっと異色のモードで行きます。
1959年(昭和34年)9月12日(土)の今日、
横浜市役所七代目新庁舎が現在の場所に完成、落成式が行われました。
もうこのアングルでは撮影できません。(大通公園から) |
他市の事例はわかりませんが、横浜市役所本庁舎は何度か引越しています。
簡単に市庁舎引越の歴史を紹介します。
2012年時北仲は衆知の事実かとおもってました |
①初代市庁舎(1889年〜1911年)
本町1丁目にあった横浜電信分局を1887年から使用。
市制が施行された1889年から初代横浜市庁舎とした。
レンガ造り2階建て。
②二代目市庁舎(1911年〜1923年)
港町1丁目の元高島嘉右衛門が開設した生鮮食品の市場跡に建設。
ルネッサンス様式を取り入れたレンガ造り3階建て。
関東大震災(1923年)で被災焼失。
★緊急で横浜公園に仮庁舎
③三代目市庁舎(1923年〜1925年)
桜木町一丁目にあった中央職業紹介所を臨時市庁舎として使用。
④四代目市庁舎(1925年〜1944年)
現在地内に建設。木造2階建て。
1945年の空襲にて焼失。
⑤五代目市庁舎(1944年〜1950年)
第二次世界大戦下、空襲を避けるため
野毛山にあった旧老松国民学校(現老松中学校)に疎開し開庁。
鉄筋コンクリート造3階建て。
市議会会議場はすぐ近くの横浜市図書館内に設置
⑥六代目市庁舎(1950年〜1959年)
日本貿易博覧会神奈川会場(現神奈川区反町公園)で使用していた建物に移転。
木造2階建て。
No.75 3月15日 JAPAN FOREIGN TRADE FAIR YOKOHAMA
反町公園 |
⑦七代目市庁舎(1959年〜現在)
横浜開港百年記念事業の一環として建設。
鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階、地上8階建て。
現在に至る。
中央が市庁舎 |
⑧目下 新市庁舎計画進行中。北仲へ。
現在20近い民間ビルを借用し市役所の各部局が点在、知らない人にはたらい回しされているような感覚になる状態であることは間違いなし。
http://www.city.yokohama.lg.jp/somu/org/kanri/access/
市HP掲載の案内図 これがまたわかりにくいのなんのって |
(横浜市役所分散ビル名)
関内中央ビル
横浜関内ビル
関内駅前第一ビル
関内駅前第二ビル
松村ビル
松村ビル別館
JNビル
横浜朝日会館
第一総業ビル
住友生命横浜関内ビル
関内STビル
尾上町ビル
横浜馬車道ビル
昭和シェル山下町ビル
テーオービル
横浜メディア・ビジネスセンター
産業貿易センター
教育文化センター
テーオービル
横浜メディア・ビジネスセンター
産業貿易センター
教育文化センター
見事でしょう!未確認ですが、市役所としては日本一!(世界一)の分散度ではないでしょうか。いちいち確認しながら希望部局に行かなければなりません。中には本庁舎から徒歩で20分もかかる離れたビルもあります。
議会中は大変ですね。
でも引越となると
民間ビルのオーナーには厳しい話しでしょうが、ちょっとひどい現状だと思います。
市庁舎引越の話しは、80年代にはもう議論されていたようです。
現市庁舎は巨匠、村野藤吾作品ですが、この市庁舎を建替えてはどうか?
という案も当然あったようです。
どうして移転になってしまったのでしょう?
現在の場所を建替えるには市営地下鉄の関係で工事費用が膨大なものになるからという話しもちらほら聞きましたが 真相はわかりません。
新候補地ではテナント収入も当てにしているようです。
さらに現貸しビル業の皆さんには厳しい話しですね。
そういえば、以前 みなとみらいに市庁舎できるって話しが関係者の間に飛び交っていましたが、どうなったのでしょう。
踊らされた方(企業)もいるのでは?
(今日はちょっと「生」な話しになりました)
今の内、迷路のような分散ビルを巡るスタンプラリー!やりましょう!(不謹慎でした)