車歩分離とグリーンマトリックス?
聞き慣れないことばかもしれません。
“まちづくり”に欠かせないキーワードの一つです。
その実践事例が横浜市都筑区に位置する「港北ニュータウン」です。
1974年(昭和49年)8月27日のこの日、建設省に提出されていた港北ニュータウン計画申請の事業認可が建設大臣から下り着工が始まりました。
計画発表から約10年目のことでした。(港北ニュータウン)
現在、都筑区内の丘陵地に広がる港北ニュータウンは、
市の中心部から北北西約12km、都心から南西25kmに位置します。
計画地の広さは約2,530haあり、1965年(昭和40年)2月25日に六大事業の一つとして発表されました。
No.58 2月27日(月)政治家が辞めるとき
元々、農地と林野に多数の地権者がおり、ニュータウンに必要な区画整理事業は成功しないだろうと予測する声も多かった計画でした。
しかも手間と時間はかかるが住民側の意向を活かした「申出換地」という当時としては新しい手法で区画整理が実施されることになりました。
地権者と住民が参加する街づくりは、当時としては画期的な推進方法といえるでしょう。
東急の五島慶太も夢見た事業です。
No.19 1月19日(木) 五島慶太の夢
港北ニュータウンの特徴は「車歩分離」の徹底といえます。
住宅地と車道の分離により歩行ゾーンを確保し開放感のある生活空間を実現しました。
中でも「グリーンマトリックスシステム」の採用で、既存の緑と公園緑地・緑地・せせらぎなどの緑を有効に“繋ぐ”連続的な緑地帯を確保(オープンスペース計画)し、さらに歴史的な遺産やもともとある水系なども、地区全体の空間構成に活かす街づくりの考え方です。
この軸となっている緑道は、ニュータウン全体で五本、全長約14.5kmに及び日本一の長さを誇るといわれています。
日本のニュータウン計画ってめちゃくちゃ多い
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本のニュータウン
中でも300haを超えるニュータウンは全国に約40数地区あります。その中で、港北ニュータウンは比較的後発の部類に入ります。
これが遅れた分過去の経験を踏まえた計画を多数取り入れていった結果、現在でも横浜市の人口増加、集中を一手に引き受けている人気住宅ゾーンです。
問題が無い訳ではありません。
他のニュータウン問題に比べ遅れて到来しつつある高齢化への対応、地域コミュニティ形成の難しさ、防犯、車歩分離の弊害等々、いろいろありますが市内では最も元気のあるエリアです。
港北ニュータウンの進化で
横浜市の人口重心調査の変化が起きています。
※人口重心とは、人口の1人1人が同じ重さを持つと仮定して、その地域内の人口が、全体として平衡を保つことのできる点をいいます。経年的に地域の変化を評価する指針として活用することが出来ます。
例えば、今年の日本全体の人口重心は、311でおそらく大きく変化しています。
急激な変化は、社会にきしみをもたらします。
人は理由無く居住地を変えることは無いからです。
この先 横浜の 重心は どう変化していくのでしょうか?