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No.231 8月18日 (土)give a twenty‐one gun salute.

汽帆走コルベット艦「エルツヘルツォーク・フリードリヒ(Erzherzog Friedrich)号」は
1875年(明治8年)8月18日の今日、横浜港内で祝砲21発を放ちます。
二日前にオーストリア・ハンガリー領事より神奈川県に「軍艦フリードリヒ号にて祝砲施行」の通知が届いていました。
※礼砲21発は最高儀礼を表す外交プロトコルで、明治初期にもうしっかり使われていました。

オーストリア=ハンガリー二重帝国の国旗

祝砲の理由は、オーストリア=ハンガリー二重帝国、オーストリア=ハンガリー君主国とも呼ばれた19世紀末から第一次世界大戦までの半世紀、最後の国王と呼ばれたフランツ・ヨーゼフ1世の45歳の誕生日に合わせ行ったものです。
 (ここでは以降オーストリア帝国と略します)

フランツ・ヨーゼフ1世


19世紀のヨーロッパはアジア覇権の時代であると同時に、列強各国のつばぜり合いの時代でした。ここで簡単にオーストリア帝国と日本の関係を紹介しておきましょう。

フランツ・ヨーゼフ1世は、没落しつつあるハプスブルグ帝国の末期の国王として最後の光り輝く時代を生き抜きます。(在位は1848年 – 1916年)

1869年(明治2年)日墺修好通商航海条約が締結されます。最後の欧州列強と日本との国交樹立です。この通商条約は英国領事パークスの勧めで締結されましたが、パークスの狡猾な外交戦術でもありました。

欧米列強による日本に対する不平等条約の集大成とも言われています。
この時、オーストリアの使節団と一緒に一人の青年シュティルフリート男爵が来日し横浜でベアトに本格的に写真術を学んだ後シュティルフリート商事(Stillfried & Co.)という写真スタジオを設立し横浜写真史の1ページを築きます。(斎藤多喜夫著「幕末明治横浜写真館物語」吉川弘文館)
ここでは省略します。詳しくは前記書籍か、下記リンク参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ライムント・フォン・シュティルフリート
http://ja.wikipedia.org/wiki/シュティルフリート・アンド・アンデルセン
ベアトに写真を学んだシュティルフリートは日本の写真を
1873年(明治6年)5月1日〜11月1日まで開催されたウィーン万国博覧会に出品し評価を得ます。

18731
10013


この博覧会は、日本政府がはじめて公式に参加、出品した博覧会でした。

1,300坪ほどの敷地に神社と日本庭園を造り、白木の鳥居、奥に神殿、神楽堂や反り橋を配置し、産業館では(有名な)名古屋城の金鯱、様々な工芸品を展示しウィーンのジャポニスムとして1890年代の分離派、クリムトの絵画に大きな影響を与えます。

そして、1874年から76年にかけて、オーストリア帝国戦艦「エルツヘルツォーク・フリードリヒ(Erzherzog Friedrich)」(海軍総司令官ペック)による世界周航の途中、横浜港に立ち寄り国王の誕生日を祝砲で祝います。この航海は、ハプスブルク帝国の軍艦がこれまで成し遂げた世界周航の第3回目にあたります。


1857年4月に建造され、総トン数1,724トンの当時のオーストリア帝国が誇る艦船でした。

This photo was taken in 1873, seven years after the battle.

その後、オーストリアも第一次。第二次世界大戦を経て大きな変化の中、現在に至ります。1955年(昭和30年)に日本国とオーストリア共和国が再び国交を樹立し今日に至っています。

http://wiener.web.fc2.com/jo.html


ここでオーストリアと関係の深い横浜ブランドを紹介しましょう。

■横浜でオーストリアといえば、
31年間、ドイツ料理店として培った礎とオーストリアハンガリー帝国時代のウィーン宮廷料理をコンセプトに、伝統と歴史を加味した新しい料理を提供している日本大通にある「アルテリーベ」でしょう。
http://www.alteliebe.co.jp

■横浜市青葉区荏田にオーストリア国家公認製菓製造マイスターの資格をもつシェフの店「ウィーン菓子 NASCHKATZEーナッシュカッツェー」があります。

http://www.naschkatze.jp

■そして「近沢レース」の”プチポワン刺繍”は250年余りもの昔にオーストリアの女帝マリア・テレジアの君臨するハプスブルグ家で開花した歴史ある優雅な技法です。

http://www.chikazawa-lace.co.jp


(礼砲に関しては)

No.64 3月4日 日本初の外国元首横浜に

1881年(明治14年)3月4日日本国を訪れたハワイ国王が、最高儀礼で迎えられます。
日本初の国家元首訪日でした。

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