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No.211 7月29日 (日)株式会社横浜国際平和会議場

1990年代、首都圏にコンベンション競争時代が到来します。
国際会議等に対応するコンベンション施設が続々完成します。
東京、千葉
そして神奈川では…
1991年(平成3年)7月29日の今日、
横浜みなとみらいに通称“パシフィコ横浜”
「会議センター」と「ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル」が完成しました。
運営会社の正式名称は「株式会社横浜国際平和会議場」です。

観覧車からパシフィコ

(コンベンション獲得競争時代)
国際見本市というと現在ではかなり“古くさい”という感じがしますが、1980年代まで、首都圏のコンベンション施設といえば「はるみ」でした。
当時、代表的なイベントといえば「東京モーターショー」。
「東京国際見本市会場」(東京都中央区)で第6回から第27回まで開催され独占状態でしたが、第27回1987年(昭和62年)10月29日〜11月9日から幕張メッセ(千葉市美浜区)に会場を“奪われます”。
※2012年はビッグサイトになりました。

コンベンション施設 競争の時代が始まります。
1989年(平成元年)10月、千葉県美浜区に「幕張メッセ」が開業。
1991年(平成3年)7月、横浜市西区みなとみらいに「横浜国際平和会議場」(パシフィコ横浜)10月に展示ホールが竣工。
http://www.pacifico.co.jp/

展示ホール内
展示ホール海側 穴場ですよ!

1994年(平成6年)4月、パシフィコに「国立大ホール」が完成。
1996年4月(平成8年)、東京都江東区有明に「東京国際展示場」(ビッグサイト)
1997年(平成9年)1月、旧東京都庁舎の跡地に「東京国際フォーラム」が開場します。

(苦戦を乗り越えて)
横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)は、1991年(平成3年)に開業以来、幕張メッセと有明ビッグサイトと顧客獲得競争を繰り広げてきましたが開業当初はかなり苦戦します。
バブル崩壊という時代背景もありましたが、幕張、有明との熾烈な獲得競争に
“おとなしい?”パシフィコは後塵を拝してきました。
2000年に入り、2002 FIFAワールドカップのメインプレスセンターとなったあたりからバランスの取れたコンベンション施設として評価を得るようになります。
国際会議対応能力は日本一の水準、ホール、展示場、ホテルなどがコンパクトにまとまっている点で、他の施設との差別化につながっています。

多角的なアクセスが可能 そこが魅力

アフリカ開発会議(2008年)アジア太平洋経済協力首脳会議(APEC)(2010年)といった大型国際会議にも対応能力を発揮しました。
多くのプログラムが東京、千葉との獲得競争中心でしたが、
2010年、パシフィコで第一回が開催されたCP+(カメラ&フォトイメージングショー)はリーマンショック後の“横浜発”大型見本市として注目されました。

(アフターコンベンション)
「パシフィコ横浜」の最大の強みは立地性とアフターコンベンションでしょう。
最寄り駅「みなとみらい駅」から五分以内、海からのアプローチ「シーバス」はかつての晴海を思い起こします。
アフターコンベンションでは
みなとみらいはもちろん、野毛界隈、
中華街、元町そして横浜港を配し魅力アップに繋がっています。

(地域貢献)
「パシフィコ横浜」は、地域貢献にも力を入れています。
みなとみらいエリアの住民交流への支援、社会貢献等を積極的に実施し一定の効果を得ています。

(余談)
311の時には、臨時帰宅難民避難所として機能し、多くの帰宅難民が宿泊しました。
県市の職員もかなり利用したそうです。

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