閉じる

No.197 7月15日(日)老舗ホテルを支えた横浜

1878年(明治11年)7月15日(月)の今日、
箱根宮ノ下に日本初のリゾートホテル「富士屋ホテル」が開業しました。
富士屋ホテルは創業時、深く横浜と関わっていました。

7月6日のテーマにしようかなと考えていたポスター
独特な和洋折衷のデザイン。内装も必見です。

箱根富士屋ホテルは、
1951年(嘉永四年)神奈川区青木町に医者の息子として生まれた山口仙之助によって創業されました。

仙之助は小さい頃から俊才として頭角を現します。
東海道神奈川宿青木町で漢方医を営む大浪昌随の五男として生まれた彼は、10歳で栃木県出身の実業家で遊廓神風楼(幕末は伊勢楼)の経営者だった山口粂蔵の養子となります。
11歳の時に江戸浅草の小幡漢学塾で学び、1868年(明治元年)17歳の時、日本最初のハワイ移民149人の渡航に際し通訳として随行します。
彼がどこで通訳を勤めるほどの語学力を身につけたかはまだ不明ですが、現在研究がすすんでいるようです。
その後外国行きのチャンスを探していた仙之助は、1871年(明治4年)11月にアメリカ本土の土を踏みます。
アメリカでの暮らしは皿洗いをするなど困難を極めましたが、資金を貯め牛を購入し日本に持ち帰るという当時では大変な事業を成し遂げます。(日米間約一ヶ月の時代です)
日本に帰った仙之助は、港町から高島に移った父の遊郭神風楼近くに牧場を開いた(可能性が高い)ようです。
横浜に登場した牧場は、当時の政府の目に止まり内務省駒場勧業寮に牛を売却します。

この時、かなりの資金を手にしたはずですが仙之助は、
事業ではなく学校に学ぶことを選びます。
彼は福沢諭吉の慶応義塾に入社(入学では無く慶応は入社でした)します。
福沢は山口仙之助に“(やはり)君は実業に向いている”とアドバイスし、
外人客専門ホテル設立に踏み出します。
神奈川県足柄下郡底倉村の老舗旅館「藤屋旅館」を買い取り「富士屋ホテル」と改名し1878年(明治11年)7月15日(月)に開業する運びとなります。
仙之助が箱根に着目した理由はわかりませんが、福沢の意見が強く影響されていたことは間違いありません。
福沢はオープンした「富士屋ホテル」に何度も仙之助を尋ね、友人も紹介しています。
当時、外国人向けのホテルに必要な食材は現地で調達できませんでした。
牛乳をはじめ、多くの食材や消耗品は横浜から小田原まで馬車で運び、ホテルまでは人力で運んだそうです。

「山口仙之助、箱根宮ノ下に500年の歴史を有する安藤勘右衛門経営の温泉旅館藤屋を買収して洋風に改造し、底倉区有温泉の使用権を獲得、富士屋ホテルと改称外国人専門のホテルを開業す。当時パン、肉類の如きホテルの必要の食料品は凡て横浜より供給を受け、横浜・小田原間は馬車便、小田原宮ノ下間は毎日早朝宮ノ下より人夫を派し運搬させ朝の食卓に供せり」(日本ホテル略史)

箱根福住楼に良く湯治にきていた福沢はこの立地でのホテルビジネスにはインフラ整備が必要と説きます。
この助言に動いた箱根の実業達が道路造を始めます。
1880年(明治13年)に福住旅館の主人福住正兄達が「小田原ー箱根湯本間」を完成させ、1887年(明治20年)には仙之助が、総工費1万882円をかけ距離約7kmの人力車道を開通させます。
横浜と富士屋ホテル間の物流の完成がホテル成功の重要な要素となったことは間違いありません。
現在も日本を代表するリゾートホテルの品質と風格は変わりません。

猫足のバスタブです。酔っぱらっているときは注意!
ジョンレノンの座ったテーブルでジントニック 

「富士屋ホテル」
http://www.fujiyahotel.jp
(仮説)
すでに研究されていると思いますが、素人想像の愉しみついでに“仮説”を一つ。
父、山口粂蔵の経営していた「神風楼」はその後廃業しますが、高島嘉右衛門との交流もかなりありました。
高島はガス灯事業のすぐ後に東京電灯会社の社長になるなど電気事業に目をつけています。そこで、
高島嘉右衛門が、電力発電のアドバイスを仙之助にしていたのではないか?(という妄想を抱いています)
仙之助は、1891年(明治24年)「外人商館横濱バグネル・アンド・ヒル商會より45馬力の火力發電機」により館内照明点灯を実現し1893年(明治26年)にはホテル内に自力で水力発電機を設置、三年後には宮ノ下水力電気合資会社を設立し地域に電気供給を始めます。
(余談)
その後1908年(明治40年)箱根に創設された「箱根水力電気」株式会社は、
その後「横浜共同電燈会社」と合併した後「横浜電気会社」「東京電力」と変遷していきます。
当時の発電所は 施設を新しくして現在も発電を続けています。
100歳迎える「塔ノ沢水力発電所」

No.365 12月30日(日)横浜初の発電所

No.162 6月10日(日)日本よさようならである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください