No.166 6月14日(木)歌人俳人の横浜

「旅せむと病みてかへるも花こころ」
可中庵朴因、辞世の句です。
彼は諸国を遊歴中に五味史遊の庵で発病し1892年(明治25年)6月14日(火)の今日、
野毛十全病院で亡くなりました。51歳でした。

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現在の老松中学校

”可中庵朴因“は滋賀県粟津の義仲寺(ぎちゅうじ)で墓守をしていました。
義仲寺は平安時代末期木曾義仲<源義仲>が矢で射られ最期を遂げた“粟津の松原”があったところで、木曾義仲ゆかりの寺です。
また、江戸時代の俳人・松尾芭蕉の墓や多くの句碑があることでも有名です。
可中庵朴因の詳細は不明ですが、彼が芭蕉の句碑の中で育った事で俳句に傾倒していったのでしょう。
遊歴の旅は全国<芭蕉の句>巡りだったのかもしれません。

(句・歌に詠まれた横浜)
横浜には松尾芭蕉の句碑が幾つかあります。
有名な一句が

「鎌倉を 生きて出けむ 初松魚」
戸塚宿・富塚八幡宮境内に句碑があります。
以前にも書きましたが、
戸塚宿は鎌倉郡戸塚村でしたので句にも「鎌倉」の地名が詠われています。

芭蕉『句碑』
「梅か香にのつと日の出る山路かな」
熊野神社(横浜市磯子区中原)

「うき我をさひしからせよかんこ鳥」
天宗寺(横浜市都筑区)

「春もややけしきとゝのふつきと梅」
飯田家住宅(横浜市港北区)

「あかあかと日はつれなくも秋の風」
池谷邸の入口(横浜市港北区)

「觀音の甍見やりつ花の雲」
東福寺(横浜市鶴見区)

「草色々おのおの華の手柄かな」
街山八幡社(横浜市戸塚区)

「世の人の見つけぬ花や軒の栗」
清源院(横浜市戸塚区)

(その他横浜に因む句・句碑)
横浜市金沢区近辺は 兼好法師が歌・文に残しているように、古くから明媚な場所でした。
横浜を詠った歌人 俳人
○窪田 空穂(くぼた うつぼ)
「青海の上に浮かべる白雲の光帯びたり春来と見えて」
「眺めをる心さみしみ海の岸離れてくれば足に砂鳴る」

○与謝野 寛(鉄幹)
「夏島が剥がれて白き一面を隠さぬも好し炎日のものと」
「いにしえの文庫の主なる顕時を敬するこころ鐘ひとつ撞く」

○与謝野 晶子
「金沢や安芸を目がけて人の飛ぶやぐらの下の秋のしら波」

○佐佐木信綱
「金沢のいり江おだひに丘きよみ七百年(ななももとせ)を文ここにあり」

○高浜 虚子
「昔ここ六浦と呼ばれ汐干狩」
「春の浜に柵結いありぬ検疫所」
「鴨の嘴よりたらたらと春の泥」
(横浜市中区 三渓園 池畔)

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「茂り中日限り地蔵の旗つづく」
(横浜市戸塚区 戸塚町464 親縁寺日限地蔵前)
○中村汀女

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蕗のたう おもひおもひの 夕汽笛
(横浜市西区野毛山公園内句碑)
※西戸部に暮らしていた時期があります
「横浜に 住みなれ夜ごと 夜霧かな 汀女」
「噴水の ましろにのぼる 夜霧かな 汀女」
「船影が つつじのうえに ふとくなる 汀女」
「竜のひげ 夕方落ち葉 やみにけり 汀女」

○古澤太穂
「少年どち若葉染みに来くつわ展」
(横浜市中区根岸森林公園内)
※横浜育ちの歌人、横浜文化賞を受賞

○大野林火
「白き巨船きたれり春も遠からず 林火」
(横浜市中区フランス山内)
※横浜市中区日ノ出町に生まれた俳人
 平楽増徳院にも句碑があります。

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彼岸鐘 草木聞けり 鳥聞けり

○南部松若丸
「山の間のこの閉寂を宣しとして文明のもとを護り給へり」
※松屋銀座勤務、昭和十年頃に横浜松屋勤務、
 その間 磯子に暮らし後進指導にあたりました。

○尾山篤二郎
「称名寺の裏の柴山木の芽さし明るき径が一すぢとほる」
※晩年 金沢区称名寺門前に暮らし多くの歌を残しています。
 野島公園「旧伊藤博文金沢別邸」に歌碑があります。

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