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No.120 4月29日 庭球が似合う街

開港時から多くの外国人が暮らした横浜山手地区。
この地から始まった外国文化との出会いが多くあります。
テニスも代表的な横浜から始まった欧米文化の一つです。
1998年(平成10年)の今日、当時の様子を伝える「横浜山手・テニス発祥記念館」が山手公園内(横浜市中区山手町230)にオープンしました。


日本最初の洋式公共公園「山手公園」には12面のテニスコートが点在し(内 市営コート6面)、最初のローンテニスが行われた場所に相応しい雰囲気を持っています。


ここには、「日本庭球発祥之地」と記された記念碑が建っています。
1878年(明11年)横浜の居留地に暮らす外国人が、自分たちのためにクラブとコートをつくった史実にちなんだものです。
倶楽部創設から100年後の1978年(昭53年)に元デビスカップ(デ杯)選手の安部民雄氏の書により建てられ除幕されました。


「1876年(明治9)、ここ山手公園でわが国最初のローンテニスが行われ、1878年にわが国最初のテニスクラブが誕生しました。日本初の洋式公園である山手公園と、わが国でのテニス発祥120周年を記念してこの記念館を設立しました。」

テニス発祥記念館には、かつて外国人がテニスに興じたテニス用品、年譜などが展示されています。この公園と、テニスコートを散策しながら「テニス発祥記念館」を訪れるのも、開港の風を感じるうってつけの空間といえるでしょう。
1870年(明治3年)6月4日に開園した山手公園内には、歴史的洋館の山手68番館が市営テニスコートのクラブハウスとして使われています。


(余談)
ここにそそり立つヒマラヤスギも山手公園に初めて植えられ、全国に広まったマザーツリーです。

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