No.105 4月14日 白の悲劇(加筆)

1958年(昭和33年)4月14日の今日、
1600時、次の寄港地ホノルルに向かうために横浜港を出発したキュナード・ライン社の客船「カロリナ号」は、折からの強風と湾内を航行する米軍艦とのニアミスを避けるため旋回したことで防波堤に衝突。

突堤の横浜港「白灯台」をなぎ倒し座礁しました。

絵葉書にもなった白灯台倒壊
絵葉書にもなった白灯台倒壊
カロリナ号白灯台衝突記事
カロリナ号白灯台衝突記事 

キュナード・ライン社は
1839年創業のクイーン・メリー号、クイーン・エリザベス号など豪華客船を就航させているイギリスの海運会社です。
”Green Goddesses=緑の女神”の愛称を持つ客船「カロニア号」は、クルーズ用途に合わせデッキにはプール、全室にバスルームが設置された豪華客船で1949年に建造されました。
総トン数34,000、速度22ノットで戦後早々の大西洋定期航路と世界一周クルーズで活躍します。
1954年から12年間運行された“春季世界一周クルーズ”で毎年横浜に寄港し「カロニア号」は春を告げる客船として日本でも有名になります。事故後「カロニア号」は、横須賀に回航され、アメリカ海軍横須賀基地の工廠で修理され定期航路に復帰します。


この五回目の寄港となった「カロニア号」の事故でなぎ倒された”横浜港東水堤灯台”略称「白灯台」が今日のテーマです。
港には国際ルールで、紅白の灯台を設置することが義務づけられています。
外港から港内に入る時、右が赤灯台(赤い光)、左が白灯台(緑色の光)です。
事故に遭った「白灯台」は、「赤灯台」と共にイギリス人技師H.S.パーマーの設計により明治22年に着工、難工事の末明治29年5月16日に初点灯が行われた非常に貴重で現役の灯台でした。
手前が赤灯台、右奥に見えるのが白灯台です

当初は石油ランプが使われ、
大正時代にガス灯に変わるまでは夕方になると灯台守が船で向かい泊まり込んで灯りを守ったそうです。

現在も赤灯台は現役です

(イギリス人技師H.S.パーマー)
日本の灯台に燈を灯した「技術者」パーマーを紹介しましょう。
H.S.パーマー(Henry Spencer Palmer)(1838~1893)は
香港政庁付武官のときに、広東の水道設計を終え 帰国途中に来日します。
このとき神奈川県より横浜の水道建設の調査を依頼され、彼は一気に明治 16 年多摩川水源案と相模川水源案をまとめ上げます。
その後 このプランが採用され工事に際しても顧 問工師として招かれます。
日本ではじめて近代水道を完成させた人物として日本、横浜に大きな足跡を残します。
また、東京、大阪、神戸等の水道計画に参加したほか、横浜港の 築港工事、横浜ドッグの設計など幅広い分野で活躍しました。
母国に帰還することなく
東京で没し、青山墓地に眠っています。

野毛山公園にあるパーマー像です
白灯台の無い地図
白灯台の無い地図

(白灯台)
話しを白灯台に戻します。築港計画と共に計画され、今も現役の赤灯台と対の<白灯台>は戦前、横浜港の<絵葉書>にも多く題材として使われてきました。
light20150629154235白灯台 light20150425211801light2016-04-10-20-03-16白灯台

事故でなぎ倒された”横浜港東水堤灯台”「白灯台」は海に沈みます。二日後の4月16日には仮灯台を設置し港湾機能が復活します。この時に引き上げられた<白灯台>は1963年(昭和38年)に山下公園の「氷川丸」横に移設されます。その後引き揚げたままの状態でしたが、2010年(平成22年)に全面リニューアルされ現在は山下公園のシンボルとなっています。

マリンタワーから良く見えます

(二度ある三度目は?)
白灯台のある突堤は「カロニア号」事件が起る9年前の1949年(昭和24年)の4月にも座礁事故が起っています。
三井物産船籍の貨物船「有馬山丸」(8,697t)がお米を輸送中に20番ブイに係留しようとした際、船底を白灯台のある突堤の基礎部分に接触し座礁します。
どうも、赤よりも白の方が部が悪いようです。
では現役の北水堤灯台(赤灯台)はというと、関東大震災で一部が倒壊しましたがドーム形の天井などは当時のままで、2009年11月に白熱灯から発光ダイオード(LED)に切り替えられたそうです。
電力が従来の25分の1で済み、太陽光発電装置も併設されたクリーンエネルギータイプで115年の歴史を刻んでいます。
三度目とは縁起の悪いことですが、2007年頃?プレジャーボートが突堤に衝突した事件を記憶しています。

(後日談)この事故に対し、日本の海難事故調査委員会は「カロニア号」に対し12,500ポンドを請求します。結果どうなったか??未調査です。

1件のコメント

  1. Caronia(正:カロニア)が白灯と衝突した事件当日、同船独特の汽笛を聞いて根岸の海岸へ行き、本牧鼻から顔を出すのを待ってましたが、予定時刻を過ぎても一向に現れず、事故を知って翌日港へ行った所、右舷船首海面付近に長さ30cm程の右に曲がった亀裂が入って元のCバースに戻って居ました。
    其の修理は本来なら横浜船渠のドックがすぐ近くで便利なのですが、船が大き過ぎて入渠出来ず、横須賀旧海軍工廠のドックで修理しているのが、我が家の正面対岸に位置しますので暫く大きな船尾と煙突を見せてました。海中へ落とされた灯台が、氷川丸係留桟橋先端に移設されて居る事を知ったのは、かなりの年月がたってからです。

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