【ハガキの風景】人の居る風景1

昔の雑多な絵葉書の中から、魅惑的な一枚を探し出す楽しみに耽った時期がありました。単価にしたら10円から30円程度でしょうか、値段のつかないモノクロハガキの束の中から少し汚れや痛みが目立つ中一枚一枚を見ているとそれまで見えなかった風景がそこに登場します。

今日は「人の居る風景」というテーマで発見した中から何枚か紹介しましょう。
特に水辺の側、海水浴場と海辺、そして子供の風景をピックアップしてみました。勿論、横浜に関係があるものもありますよ。
(かなり気取っているような)
まず南紀白浜、千畳敷の観光絵葉書です。

lig_絵葉書水辺の人々037戦前の発行ですが、中々“格好つけている”と思いませんか?
モデルらしき男性が麒麟麦酒と三ツ矢サイダーを置いて構図を作っています。

三ツ矢サイダーといえば、
「三ツ矢サイダーの起源は、明治時代に宮内省が、兵庫県多田村平野(現在の川西市平野3-23-1)の平野鉱泉を用いて炭酸水の御料工場を建てたことに始まる。その後、工場は三菱に払い下げられ、明治屋が権利を得て、1884年(明治17年)に「三ツ矢平野水」(みつやひらのすい)として販売した。」(Wikipedia)
とあります。横浜と関係するではないか。キリンはもちろん横浜生まれですが、現在アサヒビールが販売する三ツ矢は、横浜の明治屋が育てたことになる訳です。
無理無理は承知?!。
というのも、その後、三ツ矢サイダーは帝国鉱泉株式会社→日本麦酒鉱泉株式会社→大日本麦酒株式会社→朝日麦酒株式会社に。

一時期「全糖三ツ矢シャンペンサイダー」なんて命名していた時代もあったそうです。現在はアサヒ飲料株式会社が販売しています。
逆に歴史を遡ると外国人居留地でイギリス人ノース・アンドレーが製造販売したのが最初の国産サイダーであるとか?王冠を用いることによって本格的に流通したサイダーの元祖は、1899年(明治32年)、横浜扇町の秋元己之助が興した「金線サイダー」であるとか、サイダーには“横浜”の香りがしますね。
※ちなみに、ここで使われている椅子は“トーネット”でしょうか。
明治大正期は輸入家具主流の時代でした。横浜・神戸のような開港場の街を除くと国産の洋家具が作られるようになるにはもう少し時間が必要だったようです。

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lig_絵葉書水辺の人々021 lig_絵葉書水辺の人々023 lig_絵葉書水辺の人々025 lig_絵葉書水辺の人々027 lig_絵葉書水辺の人々029 lig_絵葉書水辺の人々031 lig_絵葉書水辺の人々033

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